2017-02

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拡散願う【故 平山亨を偲ぶ会】遺族代表の挨拶原文


故平山亨 「偲ぶ会」にて最後に遺族代表として挨拶させていただきました。
以下原文のまま

本日は、父 、 亨の偲ぶ会にご参列いただき、誠にありがとうございました。
本来であれば、告別式にみなさまに来ていただくのが本筋で御座いますが、あのタイトなスケジュールでは対応が難しいと判断し、偲ぶ会を開催する運びとなりました。それでも、私のチカラ不足ですべての関係者にお伝え出来なかったことをお詫び申し上げます。
さて、みなさんご存知の父ですが
優しい、温厚、仏の平山と評していただきました。さぞかし、優しい父親であり、夫であると想像するでしょう。残念ながら違います。怖くて、厳しくて、家族の意見を聞かず、頑固な父でした。それでも、父を遠ざけたり嫌ったりできませんでした。何度も過労で倒れながら、そして体調不良で入院をしても、復帰しては物凄い勢いで仕事をしていました。どんなに疲れていても家族には「疲れた」という言葉を云いませんでした。
その背中をずっと見てきたのです。
2年前からの入院でやっと親子の会話が誰にも邪魔されずする事が出来ました。父はずっと自分の仕事に私が興味がないと思いこんでおりましたが、その誤解も解けました。
忙しく仕事をしておりましたから共通するプライベートの思い出が無い親子です。ずっと仕事の質問をして聞いておりました。

入院中、こんな事を言っておりました。
「みんな僕のこと、忘れちゃったかな?」その言葉から、父の事を発信するためにブログやTwitter、Facebookを始めました。息子が親の情報を発信するのに、何故か様々なバッシングを受け、ずっと辛い気持ちで続けておりました。

父の容態が落ち着いた頃、何度も云っておりました。
「藤岡は、来たか?もう来たのか?」
やがて、キカイダーの伴さんを筆頭に、一文字隼人役の佐々木さんや声優の飯塚さんなど、ライダー俳優さんは全員、そして多数の関係者がお見舞いに来てくださり
ほんとうに父は上機嫌で嬉しそうでした。

そして入院中に「僕の本をだせ」と命じられました。先ほど、講談社の實吉さんがスピーチして下さいましたが、企画を通し一生懸命に進めてくれました。出版に漕ぎ着けるまでに紆余曲折はありましたが、父がたくさんお喋りできるうちに世に出すことが出来てほんとうに良かった。實吉さんのアドバイスでゴク一部の関係者で編集したことが良かったのでしょう。この場を借りて深く御礼申し上げます。

ほんとうに、長い長い入院生活でした。
その間、特撮研究所の矢島会長をはじめ、東映同期の安斉さん、バイクの大橋さん、スーパー1の高杉さんなど、何度もご心配の電話をいただき有難うございました。父に伝えると嬉しそうに聞いておりました。

父はこんな事も絞り出すように云っておりました。
「このまま終わったら、世間から笑われる。」
小さな紙の切れ端、メモ帳、レポート用紙。寝たきりになっても、口頭で伝えようとします。ずっと、一生涯現役プロデューサーとして完うしたい。それを叶えてあげたい一心で寄り添ってきました。
長い闘病生活でしたが、よくぞ此処までがんばってくれました。
天晴れな人生だったと思います。
映画のように、最期は父の手を握りしめてほんのちょっとだけでもいいから会話が出来ると勝手に思っていました。病院から急変の電話をもらい、その6分後に心肺停止。「お前が看取ってくれ」と命じられたこと。それを守れなかったのが唯一悔やまれます。

父が「我が陣営」と呼ぶ、監督さん、脚本家の方々、作曲家の先生方、スタッフ。そして出演してくださった俳優のみなさま。そしてテレビ局のみなさま、出版関係、スポンサーさまなどいろいろな方々に支えられて父は生き続けることが出来ました。

父が教えてくれた事をお伝えします。
「子どもが面白いと思う事は時代が移り変わろうと、本質は変わらない。」
父は、ほんとうに本当に幸せなプロデューサー人生だったに違いありません。
ご来場のみなさま、プロデューサー平山亨の事を忘れないでください。



最後になりました。
この偲ぶ会を支えてくださった各団体、東映のみなさま、実行委員会の参謀役の鈴木美潮さん、スタッフのみなさんに改めて御礼申し上げます。
本日は、誠に有難うございました。遺族を代表して御礼申し上げます。

ここまで。

この記事をもって、「偲ぶ会」のお話は終了させていただきます。

このブログを閉鎖することは考えておりません。
また、ポツポツと記事更新してましります。

平山 満より
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拡散願う【故 平山亨「偲ぶ会」】を終えて

倉井さん作成_convert_20131030173844
(カメラマン倉井勝則氏の著作につき転載不可)

去る、10月27日日曜日、千代田区の学士会館で父、故平山亨「偲ぶ会」が執り行なわれました。

当日、参列賜りましたみなさま、お仕事や体調の理由でやむなく欠席されたみなさま、大きなスタンド花を献花いただきましたみなさま、ご弔電をいただきましたみなさま。
本来であれば、ひとりひとりにご挨拶に伺うべきところではありますが、この場を借りて深く御礼申し上げます。

また、ひとりの会社OBでしかない父の為に発起人になってくださいました東映株式会社 代表取締役社長 岡田裕介様、特撮研究所の会長 矢島信男様、石森グループ会長の小野寺利子様に深く深く御礼申し上げます。

長い入院生活でした。それでも最期の最期まで一生涯現役プロデューサーを貫こうと必死だった父。
家庭では、とてもじゃないが100点などほど遠い存在でした。
父は、「負けじ嫌い」です。父が何度過労で倒れても、自らのカラダを文字通り粉にして仕事をしていました。家庭にいるのは、お正月の三が日だけでしょう。その三日間は、どなたも休みだから打合せもできずにいたからです。もし、お正月もどこかのセクションが動いていれば間違いなく仕事をしていたと思います。

父はファンと話すことが好きでした。好きだという理由のほかに若い子の生の声を聞きたくて接していたと聞いています。あくまで、子ども目線であるべきと考える父。自分自身が子どもだからという父。子どもを甘く見ちゃ駄目だと真剣に番組をつくっていた父。どんなに忙しくても会って話しを聞く。その行為がファンに感激を与え、もっと番組が好きになり応援したくなる。そんなサイクルと輪が広がっていたのかもしれません。

プロデューサーと役者さん等との交流も、その垣根を越えた固い絆と縁ができたのかもしれません。
偲ぶ会の参列賜った方々を拝見していて、「偲ぶ会」だけど笑顔と笑い声が溢れた夜でした。

父は亡くなりました。そのお骨も近々に納骨します。
「偲ぶ会」では絶対に泣かないと父に約束して、みなさまをお迎えしました。
本音を言えば、ずっと入院中はあんなに寄り添って必死に尽くしてきましたが
やはり悔いは残りました。

「お前が看取ってくれ」という約束が果たせませんでした。
病院から急変の連絡をいただいてから、6分後の心肺停止。同じ市内に住んでいても間に合わないタイミング。たったひとりで息を引き取った父の寂しさを考えると堪らなく辛く申し訳ない気持ちでいっぱいです。

2011年4月から必死に父親に尽くした大切な時間。掛け替えの無い時間でした。
そして様々なことを学びました。

どうか、まだ親御さんがご存命のみなさん。
親御さんに顔を見せてあげてください。

父が孫(私の娘)云ったそうです。

「ミツルがいてくれて良かった」

父はあまり息子を褒める人ではありませんでした。

その話を聞いて心の中でこのように思いました。

「俺に直接云えよ」

恥ずかしいのでひとりで泣きます。枯れるまで泣いて、次に進みます。


みなさんにお願いがあります。

「プロデューサー平山亨」という存在を忘れないでください。

それが一番の供養になります。

ほんとうにほんとうに有難うございました。


喪主 平山満

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はじめまして

2011年3月からツイッターにupしていますが

タイムラインがどんどん流れていってしまい

「もったいない」のでブログを開設しました。

ブログ素人ですが、みなさんが楽しめる場に

していこうと思っています。

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プロフィール

次男坊

Author:次男坊
【泣き虫プロデューサーの遺言状】講談社より好評発売中。
父、平山亨は、2013年7月31日23時24分心不全により他界いたしました。

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