2011-12

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【伝説のイベント】でのスピーチ

以下、壇上で父の代理として挨拶させていただいた内容です。

 みなさん、今日は本当にありがとうございました。実は、7月15日の時点ではここへ車椅子を使ってでも連れてくるつもりでおりました。
 しかし、直前になって主治医の先生からドクターストップが掛かり、参加することができなくなりました。本人は、この会場へ来たくて仕方がなかったんです。でも、こればかりは父の体調が許さない限り、息子としても聞くわけには参りません。実は、主治医の先生も大のライダーファンだったんですが、彼をして、『主治医としても一ライダーファンとしても、行かせるわけには行きません。』と。
 そんな中、昨日のイベントの様子を父に話しましたら、『俺は、世の中のためにロクなことをしてこなかったけど、ライダーファンのみなさんには少しだけ良いことができたのかなあ。』って言っておりました。
 実は、父は私ともひとつ約束をしております。それは、『ひ孫の顔を見るまでは頑張る。』というものです。その私の娘が、いま15歳です。ですから、父もあと15年くらいは頑張ってくれることでしょう。
 もし、次の節目のイベントがあって、そこで父が元気でいたならば、それこそ車椅子であろうが、ストレッチャーであろうが、僕は必ず連れていきたいと思っております。どうか、その日まで、よろしくお願い致します。



「仮面ライダーをつくった男たち1971-2011」 216頁に掲載しております。
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父が愛したクルマ

父が愛したクルマ
みなさん、おはようございます。クルマの画像選択に悩んでいました。
このクルマは、父が京都撮影所から東京へ異動となった時、愛用していたモノです。
父が、東京へ異動したのは、1965年12月、私が3歳を過ぎた頃です。年表を追っていたら、息子の記憶が曖昧でしたね。
ずっと、4歳で引っ越したと思っていました。
東京への引越しは、家族4人このクルマに乗車して、なんと箱根越えをしていたのです。
東名高速道路は、全線開通したのは1966年5月でしたから間違いありません。
父は、家族で引越しするのに電車という選択肢はなっかたのです。それは、次男坊は3歳、長男は7歳。
小さな子どもを電車で移動する大変さを、気遣っていたのかもしれません。
東海道新幹線の開業は、1964年10月1日でしたが。
「仮面ライダーをつくった男たち1971-2011」にもコミカルに描いていただいていますが、一升瓶にガソリン詰めて、大阪へ行った事は本当の話です。しかも、当時のクルマは、オーバーヒートで立ち往生することが当たり前の時代です。
父らしい、無謀な話ですね。(笑)
父は、2011年初頭までクルマを運転してました。必要に迫られてなんですけどね。
春の入院騒ぎを境に、息子はクルマと免許を取り上げました。だって、危ないんだもん。

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父、平山亨は、2013年7月31日23時24分心不全により他界いたしました。

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