2012-03

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拡散希望!!【仮面ライダーのプロデューサーとしての仕事】のはなし

こんばんは。
今日は、“春の嵐”が吹き荒れていますね。近隣の大看板が支柱の根元から折れて倒れてました。仲間からの連絡もまばらで、めずらしく秘密基地で原稿を前にうーーーんと唸っております。唸ったところで、あれこれ考えてしまう息子でありました。

さて、今日の話題は【仮面ライダーのプロデューサーの仕事】のはなしです。
父、平山亨の仕事は番組全般の舵取りなのですが、その一つに番組づくりをする上で、仕事を発注してくれた放送局との折衝もまた、父の仕事でした。
父が、きちんとネクタイを締めてスーツを着て出かける用意をすると、子どもだった私にも「ああ、お偉いさんに会う日なんだな」と父の後姿をみていました。

息子が何度も読み返している「仮面ライダーをつくった男たち1971-2011」で毎日放送さんの方々が登場します。
中でも、父が一番印象的だったのは、広瀬隆一局長だったと言います。
父を怒鳴りつけた唯一の殺陣師が故大野幸太郎師匠ならば、父が怒鳴りながら話し合いができたのも、広瀬隆一局長だったのです。

通常、放送局長といえば絶大なる権限を持ち、仕事を発注してもらえる東映側の父は反論し難かっただろうなと思うのですが、違ったようですね。
広瀬隆一さんは、満州で「陸王」という大きなバイクを伝令兵としてかっ飛ばしていた、まさしく、つわものでした。
広瀬さんが言いました
「ライダーと言うからにはバイクの魅力を100%出してくれ。スクーターでポトポトなんて許さんぞ」と過激な局長さんだったのです。
でも、そのおかげでスタッフにもバイクの重要性が浸透して、あれだけの素晴らしいバイクアクションが出来たのでした。

ここで、放送局と事実上番組を撮る会社(ここでは東映さん)の関係を、簡単に説明しておきましょう。
放送局が、事実上番組を撮る会社へこの時間帯に@@@のような番組が作れませんか?という相談(発注)があるのだ。当然、制作費は放送局が出すのである。力関係で言えば、施主と請負のようなもんだろうと息子は勝手に解釈しています。

父は、近年になって様々なことを息子に聞かせてくれるのですが、「仮面ライダー」の当初の予算は本当に厳しかったと言います。具体的数字は言ってないけど。それでもへこたれる父とスタッフではありませんでした。
「お金が無ければ、知恵をだせ!」といったところなんでしょうか?

あるところからドコモのスマホを貸していただき、「平成 仮面ライダーの映画」を見始めています。
予備知識がないので、理解に苦しんではいますが、第一印象では「予算タップリ」だな、ということ。
主人公も悪役も、CGもなにもかもお金が掛かっている。それは間違いないと思います。うらやましいという話では無いのです。お金があっても、ロケ現場探しに苦労したり、ファンの目に見えない苦労はいつの時代でもあることですから。

プロデューサーの仕事は、文芸面のみならず予算など番組全般の舵取りなのですが、強力な助っ人がいなければ「仮面ライダー」も成功は成し得なかったと思うのです。
強力な助っ人、その人の名は、「阿部征司さん」です。

昨年、7月に開催された【伝説のイベント】で阿部さんとお話する機会に恵まれました。
阿部さん曰く
「お父さん(平山亨)ね、忙しいから“じゃ、よろしく!”って、いなくなっちゃうんだよ」と笑いながら教えてくれた。
それを父に聞くと、顔をくしゃくしゃにして
「もー、そうなんだよ。阿部チャンがいなかったら、どうにもならなかったもん」と申し訳なさ半分、嬉しさ半分、といった様子だった。
「阿部チャンがいてくれたから、僕は文芸面に集中できたし、僕はお金の計算も弱いから予算面も苦労かけちゃったしね」

昨年の【伝説のイベント】で、阿部さんはフル回転の働きをしてくださった。本当は、大病した後だったから大変なのにね。実行委員長の故内田友作さんも、一時は体調不良で参加が危ぶまれた。父、平山亨は、4月の緊急入院で参加できず、孤軍奮闘だったのでした。2月の再手術を終えて、療養されていることは風の噂で聞きました。

もしかしたら、ロケ現場や撮影中の逸話など父より詳しいかもしれないですね。

プロデューサーの仕事にスポンサーになっていただく交渉があるのですが「仮面ライダー名人列伝」のこのように記しています。ご紹介しましょう。
以下抜粋
今流行の物をやる時には、スポンサーを説得しやすいが、海の物とも山の物とも判らない物をやる時は説得が大変である。しかも枠の現在は5%以下。そんな中で、あの鉄腕アトムのスポンサーだった明治製菓さんを獲得したのは彼ら(毎日放送さん)の努力のであった。
この明治製菓さん説得に同行して欲しいと言われて京橋だったか明菓の本社に行った事があった。勿論、まだ準備中との事でそんなに材料は無かったが、必死で喋りまくった。明菓の宣伝部長さんが
「うちは未知の物を好みます。新しい物で当たったら、うちは先駆者となれる訳だからです」と言われたのを覚えている。
「新しくても当たらなくては困ります。私達は何故か当たる物が判るのです」
その明治製菓さんが付いてくれたと聞いた時は、これはヒット確実だと心強く思ったものだった。

父にしてみれば、スポンサーさんにこのような、お言葉をいただいたことが嬉しかったに違いないと息子は思うのです。

今日は、ここまで
では、また。

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では、また。

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拡散希望!!【ギリシャ劇・ペルソナ論と仮面ライダー】のはなし

こんにちは。
慢性的な肩こりと背中の張りに悩まれております。先日、街のほぐし屋さんで施術していただきましたが、その施術者の指をぶっ壊してしまいました。(若者よ、すまんな)

この世に出版されている書籍などに「仮面ライダー」が如何にして生まれたのか?と記述しているモノが多数ありますが、父がこの企画の元になったのは「ギリシャ劇・ペルソナ論」だという事はあまり知られていませんね。父が多読王を称していましたが、この分野まで読んでいました。
逆を言えば、映画の監督を目指していた父が、その事を知っていて当然かもしれません。

「ペルソナ」を新解さんと呼ばれる国語辞書で調べてみました。
persona ラテン語 「仮面」の意です。

「ペルソナ論」をここで語ると大変なことになるので、何故「ペルソナ論」と「仮面ライダー」が結びつくのか、そこに絞ってお話します。

元々、「仮面ライダー」が放映されていた時間枠は、裏番組が「巨泉の頭の体操」(視聴率40%という)放送局として大変苦戦しており、今迄4%位の視聴率という惨状であったのだ。放送局の希望としては、何でもいいから、少なくとも15%以上の視聴率を取ってほしいと考えていた。放送局側から東映さんに相談が来て、東映側が考えたのは既存のものをやっても、これから流行るだろうと予測したものでも駄目だと考えたのだった。

当時、父の上司であった渡邉亮徳さんは、随分冒険もするけど、本性は安定型。渡邉さんの座右の銘は「二分の冒険、八分の安定」という堅実な人であった。
そこで、渡邉亮徳さんは、持ち前の切れ味で「逆転の発想」で考えたのだった。
裏番組はお化け番組の「巨泉の頭の体操」だから、普通の発想では負け戦になると「見回して無いものをやれ」となったのだ。
見回して無いものとは、当たりそうもないから、誰もやらないものだ。
当時、「スポ根もの」が大変流行っていた時期でもあり、事実、『柔道一直線』が30%オーバーの視聴率を得ている真っ最中であったのだ。その時期に、「仮面モノ」の企画を出せとなったのである。

それこそ、多読の王と自称していた父は、その引き出しの中に「ペルソナ論」があったのだ。
父の著書にこのような記述がある“得意のギリシャ劇のペルソナ論から引用した『仮面変身論」を軸に最初の企画書が出来上がり、石森章太郎先生(当時)のところへ持っていったのだ。

それからは、みなさんがご存知のエピソードとなります。

父が回想して言うのだが、渡邉亮徳さんが僕の企画力を信用してくれていたんだと嬉しそうにしている。

その父が、息子の私に「鉛筆、赤鉛筆、それがちびた時に使う軸受け、鉛筆削り、それと・・・ノートを用意して持ってこい」と命じた。
今年、83歳を迎えました。それでも、書く意欲は、衰えません。ただただ、その気持ちに頭が下がる思いです。

最近、それをこのまま埋没させるのは「モッタイナイ」気がしています。平山亨 原作として息子が仕掛けようかな?なんて、無謀かもしれないことを考えています。

この記事は、ここまで。
では、また。

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拡散希望!!【仮面ライダーと主役俳優の関係性】のはなし

こんにちは。
昨日は、つたないこのブログ記事をお読みくださいまして、改めて感謝申し上げます。
アクセス解析を見まして、芸能関係でもないただの個人ブログに、こんなにも反響(1日で延閲覧数が約1000名)がある事にビックリすると共に、みなさまの『仮面ライダー』への愛情が感じられました。そして、これからも真摯にノンフィクションの記事を掲載してまいります。


さて、今日の話題は【仮面ライダーと主役俳優との関係性】と題して、お話します。
この話題は、大事なフォロワーさんからの素朴な疑問が発端でした。

仮面ライダーと主役俳優さんとのいわゆる2ショットの写真は有りませんよね?というモノでした。
最初に、息子が個人的にお答えしたのは
「当初、旧1号ライダーは、中の人も藤岡弘、さんがアクションをされていたので、当然並んで撮られた写真は無いですね」というものでした。これは、ファンの方もご存知だと思いますが、あの衝撃のバイク事故(第10話の最後を撮影中に発生)から、現代風に言えば≪スーツアクター≫さんは、大野剣友会の方がするように代えざるを得ませんでした。

父にその事を聴きました。
「そうだな。おまえの言うとおり、当初は、藤岡くんが中の人もやっていたから並んだ写真は無いはずだ」
「僕はね、子ども達の夢を壊しちゃいけないと思うんだ。だから、その後も、スタッフに「仮面ライダーのキャラと主役俳優を並べる2ショットは、駄目だよ」と言ったのは覚えているよ。それが、明文化された決まりが有ったかどうかは忘れたけど。」

父は、「ジャリ番」だからと言って手抜きはしてはいけない、子どもは正直だから、期待を裏切る事をすれば番組から離れてしまうと考えていたのでした。そして、何よりも子ども達が大好きで「ワーワー」言いながらハシャギ、座席で飛び跳ねる姿が好きだったのです。子ども達を嬉しい気持ちにさせる事がね。

昨日の記事のように大人の真剣勝負の現場。
スタッフに厳しい言葉を投げかけるのも、「出来上がった映像、音響が全てであり、子ども達の目からどのように写るのか?」「子ども達が見たいとする画面はどんなものか?」ずっとずっと考えてました。

息子の私は、『仮面ライダー』にかかわる俳優さん、監督さん、脚本家さん等の書籍を何度も読み返しています。白倉プロデューサーの著書も例外ではありません。

『仮面ライダー』ファンのみなさんも、お金と時間と意欲があるならば、是非、一通り購読していただきたいと思うのです。関係者が『仮面ライダー』とは、子ども達にとってどうあるべきか、その気持ち、スタッフは腕の見せどころや、人間模様など知って欲しい部分がたくさんあるのです。

お読みいただければ、プロデューサーの父がどのように考え、その意を俳優さんみなさんが理解して演技に望み、父をも、うならせる映像や音響も含めて出来上がった事が、ファンのみなさんも、「そうだったのか!」とさらに『仮面ライダー』が好きになってくれると思うのです。そうすれば、今日の記事のような質問も、自己解決できると考えています。

父は出演していただいた俳優さん、女優さんには、大変厳しい目を向けていました。
父が企画した別番組でしたが、大変俳優として力量もあり演技力もある某俳優さんが、脇役で出演していました。
「彼は、何度言っても主役を喰う演技をしたからな」と以後、父が企画するどの番組にも出演することは無くなりました。父は、仕事に厳しい男です。珍しく、家でテレビを観ていても「このヘタクソ」とブツブツ言いながら画面をみると、また別の某俳優さんです。父の背中を見て育った息子は、そんな一面も見ているのです。


先日、お会いした【大野剣友会代表 岡田勝さん】に、叱咤激励?されました。
「もっと、お父さんの近くに居てやりなさいよ!」
ごもっともです。
何かの縁で、秘密基地を海の向う岸に構えることになり、毎週、父の見舞いにせっせと通っております。
往復約200Km、約5時間越える小旅行です。でも、苦になりません。平山亨の「せがれ」ですから。

少し前、Twitterで親孝行の話を大事なフォロワーさんにした事があります。
親にとって、遠くにいても自分の子どもが元気でいてくれる事が一番。お金が大変で中々帰郷できない人もいるでしょう。プレゼントひとつできないって言うけど、電話ひとつでも「元気にしてる?」って連絡してごらん。音信不通は元気で忙しい証拠なんて、息子の私は嘘だと反省しています。まずは、「声」を聴かせてあげること。手ぶらでもいいから、元気な姿を見せること。このブログを読んでくださる方に、心当たりがあるなら、今からでも遅くはありません。「元気にしてますか?」って連絡してくださいね。

父は、息子と約束しました。「ひ孫の顔を見るまでは頑張る」(一説には120歳まで頑張るそうですwww)
息子は父からの願いを叶えなければなりません。「お前に看取って欲しい」
体調は、一時期より安定もしていますが、なんたって83歳のお爺さんです。
出来る限りのことは、父の為にしたいと考えています。

今日は、ここまで。
では、また。

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拡散希望!【仮面ライダー旧1号のスタッフ職人魂】のはなし

こんばんは。
今朝5時起きが、6時半起床になり海の向こう岸から、おっさん暴走族と化した息子の私は約束時間前に余裕で到着したのだった。さすがに睡眠3時間半は無茶だったか・・・

さて、今日の話題は【仮面ライダー旧1号のスタッフ職人魂】のはなしです。
この話は、昨日、父から聴きました。

東映生田スタジオにに集まった猛者とも言えるスタッフは、大映からあぶれた者も少なからずいたことは、有名な話です。そのスタッフ達とプロデューサーの父との話です。

父はこの番組を成功させたいと気合を入れ、スタッフの引き締めをしていた。
父は、カメラマンとライトマンに「ジャリ番と思ってバカにすんなよ。写ってりゃいいなんて、仕事したら承知しないぞ」と厳しい言葉を投げかけたのだった。

これには、複線がある。当時、「子ども向け番組」というのは通称「ジャリ番」といって、大人向け番組より格下に見られていた事実がある。大映からあぶれた猛者は、大人向け番組を撮っていた者ばかりだったのだ。父は、「ジャリ番」だって大事な番組だし、世間をアッと言わせる番組にしたいと常々考えていた。
だからこそ、スタッフに向けて挑発的な且つ、厳しい言葉を投げかけたのだった。
その翌日だったらしいが、進行から連絡があって「スタッフが怒って、ロケに集まらないかもしれません」と悲痛な声を出していた。父は、ここで頭を下げる訳にもいかない。状況を静観していたのだった。
後年別のスタッフから父が耳にしたのは、父から厳しい言葉を投げられたスタッフは、このように言っていたそうだ。
「俺達を誰だと思っているんだ。映画の世界で、芸術の香り高さを誇って来た我々に、お前は東映かプロデューサーか知らないが、舐めるのもいい加減しろ。お前が我々の腕を見直す画面をつくって、それから皆で袋叩きにしてやる」と大変な険悪そのものだったそうだ。
それから心配をよそに、スタッフは集結してロケに行った。

出来上がった映像を父は観て、素晴らしいライティングとカメラワークとアングル。プロデューサーとして要求する以上の出来栄えだったのだ。

それを、息子の私に伝えようと身振り手振りで教えてくれたのだった。

もし、お手元に第1話と第2話の映像があったならば、是非、確認と再評価の為にも視聴していただきたい。

第1話1971年4月3日放映 「怪奇蜘蛛男」 脚本 伊上勝さん 監督 竹本弘一さん
『仮面ライダー』のシナリオの冒頭にはこのように記されている。
思うがままに改造人間をあやつり、世界の平和を乱し、手中に収めようとするショッカー一味。
その行く手を阻止せんとし、敢然と立ち上がる我らが仮面ライダーの必死の攻防。
この映画は単なるアクションドラマでなく、スピード感あふれるアクション怪奇さをプラスした“痛快怪奇アクションドラマ”である。

竹本監督の演出の特徴は、徹底的にフィルムを回し、多くの素材を独特のタイミングで編集するところにある。それが、バイクアクションのみならず『仮面ライダー』という作品にスピード感を表現したのであった。

第2話 1971年4月10日放映 「恐怖蝙蝠男」 脚本 伊上勝さん 監督 折田至さん

撮影現場は、有名なお化けマンション。全体の建物を写したシーンは無かった?と思うのだが、「蝙蝠男」の怪奇さを表現するのにハンディライトで撮影したというが、それが返って味のある映像に仕上がったのだ。

第1話の視聴率は、関東では前宣伝の不足もあり8.1%(この数字は父はハッキリ覚えていました)で少なからず父はショックだったのだが、関西の視聴率が20%を超えたことが、後日判明して下手なテコ入れをせずに済んだエピソードもある。

第2話の関東での視聴率は11%越えて、「怪奇性が強すぎる」と批判を受けたが、それが大ヒットとなる、お化け番組として成長していくのである。



父は、3月19日で83歳になりました。記憶が抜けていく事を恐れているのか、いままで未公開だったエピソード(善悪含めて)を息子に伝えようとしてくれています。火曜日の見舞い時には、【ドクトル・Gの謎】から始まり、ずっと親子で会話をしていました。

残らず伝えようとする父。
それを必死で受け止めようとする息子。

特撮ヒーローの歴史を語る上で重要な役割であることに、親子は楽しい会話に
「たのんだぞ!!」
「息子がキッチリと受け止めきってやるぞ!!」
との“気持ちのキャッチボール”をしているのが実情です。

まだまだ、お伝えすることがありますが本日はここまで。
では、また。

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現在、特撮部門1位、サブカル部門2位です。(3月28日15時現在)


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拡散希望!【ドクトル・Gの謎】のはなし

こんばんは。
やっと、秘密基地へ帰還いたしました。毎週、往復約200km、時間にして5~6時間かかりますが、欠かさず父の見舞いに行っています。息子としては、ほんの親孝行のつもりです。
交通渋滞さえ無ければ、3~4時間の往復時間ですが、こればかりはしかたがありません。

さて、今日の話題は【ドクトル・Gの謎】のはなしです。
先日、俳優 千波丈太郎さんの誕生会へ参加してきたことを父に報告いたしました。
「千波さん、元気にしていたかい?」と父は上機嫌です。もう、自立歩行が難しいことは父自身理解しておりますので、父の代理として参加したのが嬉しかったようです。
「千波さん、オヤジの次男坊ですと自己紹介したら、びっくりなさってたよ。逆にオヤジのこと心配していたぜ」
「ありがたいねえ。」
ここから、親子の会話はスタートしました。

「オヤジ、ドクトル・Gの変身後の怪人覚えているかい?」
「うーーーん」しばらく考え込む。
「カニレイザーなんだよ。それで、千波さんも、何でまた≪カニ≫なの?という会話で盛り上がったんだけど、オヤジ知ってる?」
「うーーーーん」また、考え込む。
「思い出せないな。デストロンの紋章がサソリなのは覚えてるんだよ。シナリオライターの伊上くん、亡くなったしな」
「僕が思うに、こういうことなんじゃないかな?」と父。
「デストロンの紋章がサソリ。ドクトル・Gは忠誠心をあらわす為に、ことさら大きな紋章をつけた衣装を着ていたんだ。サソリの研究もしていた。でも、武器として使うまでの結果を得られていなかった。デストロンの首領は、紋章にしているサソリは最終兵器だと考えていて、この段階ではサソリの怪人を出すのは早かったと思ったのかな。サソリ怪人で負けちゃったら、デストロンの恥だからね」
「なるほど」と頷く息子。
「でも、本当のところは伊上くんだけが知っているのかな?」なんて答えていた父。
父の答えは、推測であって真相は本当に闇の中である。

父は、こんな事も教えてくれた。
千波丈太郎さんと二人だけの時、千波さんが教えてくれたんだ。
「私より、前に出演していた大幹部のみなさんは素晴らしい演技をして存在感がタップリあった。だから、どうしたら、それ以上の演技ができるか考ました」と、千波さん。
父は、死神博士=天本英世さん、地獄大使=潮健児さん、ゾル大佐=宮口二郎さんのことだろうね、という。
千波丈太郎さんは、現在、後進の俳優育成に尽力されている事を父に伝えたところ、
「千波さんの演技は勉強するところがたくさんあるから、是非、演ずるということを伝えてほしいなあ」と父。

父は、あの有名な「ラ~イダー」という独特の節回しを演ずることは知らなかったという。最初、ビックリしたと言うが、父曰く「さすが、千波さん」だと言い、V3の人気をさらに盛り上げてくれたと喜んでいるのであった。

父にTwitterで知り合った大事なフォロワーさんの話を伝えた。
「そのお子さんにXライダーの映像を見せてあげたんだって。そのお子さんが「面白い!!」って、喜んでくれたんだってさ。時代移り変わっても、面白いものは変わらないですねって言ってたよ」
「そうかぁ」と実に嬉しそうな父。
まさに、二世代で昭和ライダーを楽しんでくれてるんだね、と親子で納得していたのだった。


特撮ヒーローモノのイベントMCに大変良く登場する読売新聞の鈴木美潮さんの話題になった。
「オヤジ、鈴木美潮さんってCD出したの知ってるかい?」
「アイツ、調子こいて歌?のCDだしてな、1枚買ってやらにゃいかんなと本当に買ったんだよ」
そんな乱暴な言い方をしていても、実に愉快で嬉しそうにしていた父でありました。

最初、父の口調はもつれがちでしたが、そのうち調子は絶好調になり息子は、心地よい会話疲れというものを久々に味わいました。

まだ、お伝えすることはありますが今夜はここまで。
では、また。

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拡散希望!!【5人そろってゴレンジャー】の発想のはなし

こんばんは。
今朝は、5時起床で午前中に六本木での打合せでございました。
海の向こう岸から都心部への道中、大好きな風景が3つあります。
1つは、アクアラインを川崎方面へ向かって海上の橋を走行中の風景。海と海岸線に伸びる工業地帯、街中、ずっと奥に見える山並み。
2つめは、川崎側から走行する湾岸高速道、途中に羽田空港側を通過します。北トンネンルだったかな?ジェット旅客機の尾翼だけが移動していく風景が見えます。これには、ああ、どこか遠くに行きたいという衝動かられますが、ぐっと堪えます。
3つめは、東京方面から走行中のレインボーブリッジの高速道から見える超高層マンション群の風景。これは、夜に限ります。明かりの色も、白、青っぽいもの、黄色っぽいものなど様々で、其々の生活や活動があるんだなあ、なんて考えたりしています。

さて、今日の話題は、【5人そろってゴレンジャー】の発想のはなしです。
テレビ放映劇中の見栄切りは、間違いなく当時、大野剣友会の故高橋一俊さんが、歌舞伎から発想したものです。これは、一部の本の記載内容を除いて有名な話だと思います。

父、平山亨は、多人数の新しいヒーローを考え出すに当たってこんな事を考えていました。

それは、子ども達の遊びを見ていて感じたと言います。
ウルトラマンや仮面ライダーなどのヒーローごっこをすると、多人数で遊ぶには1人がヒーロー、1人が悪役、その他は戦闘員などという役回りになってしまう。それが、順番に役が回って楽しく遊べばいいのだが、得てしてお山の大将がヒーロー、次に強い奴が悪役、いじめられっ子は戦闘員やその他が延々と続くのだ。父も、小さい頃は病弱な事もありその他大勢の部類だったと言う。

ヒーローが多人数いたら、弱い子だって女の子だって加えてもらえるかもしれない。ましてや、『秘密戦隊ゴレンジャー』は、必ず女の子が必要なのだから、大いばりで入っていけるかもしれないと考えたのだ。
この『秘密戦隊ゴレンジャー』が放映されたのは1975年からだから、小さい子ども達がヒーローごっこをしていた記憶があるのだが、今の子ども達って、集まってヒーローごっこするのかな?なんて、息子は思ってしまいます。

多人数のヒーローを如何にカッコよく見せるか?これは、父には絶対の自信があったように感じます。
父、平山亨が長年お世話になった東映さんは、たくさんの娯楽映画をつくってきました。
「オールスター映画」という東映の映画をご存知でしょうか?
「東映の顔見世」と言って関西人は楽しみにしていたそうだ。贔屓のスターが多いときには18人もの出演があり大盛況であったのだ。
父は、著書でも記しているように「オールスター映画」は他社でもつくってはいたが追随を許さなかったと。

東映ヒーロー名人列伝より抜粋
他社のものは東映のように、各スター1人1人についてそれぞれが立つように気を配っていなかったから、ストーリーの流れの中にそのスターの持ち味を生かす所までいってなかった。つまり、極論すれば金魚のウンコになっているスターがいるケースが多々あったということなのだ。東映のオールスターが面白かったのは、それぞれのスターの見せ場がいっぱいあり、極端に言えば見せ場から見せ場で全編つながれていて、説明のシーンとか、つなぎのシーンなんてダレ場がなかったし、それぞれのスターも競って演技するからいつも以上の演技ばかり見られたからだ。

試しに計って見た人の話では、総勢の斬り込みのシーンなどでは互いに競争するから、立ち回りののスピードがレギュラーの時より早くなっていたほどだ。

これは、各スターがそれぞれ負けまいと、脚本作りからがんばって自分の見せ場を確保しようと努力したからだし、また、ライター、監督を頂点に我々スタッフも各スター見せ場を考えたからなのだ。筋売りのシーンなんていらない!筋売りは見せ場でやれ!当時の映画の長さは、120分なんてない。長くても110分。それを単純計算で割り算したら18人のスターさん1人当たり6分しかない!見せ場をつくるだけでギリギリで、見せ場じゃないシーンはつくってられないのだ。

こんな具合だから、見せ場から見せ場で110分、これで面白くないわけがない。ここに東映オールスターのノウハウがあり、そのノウハウをテレビでも生かして集団ヒーローもののつくり方は東映のお家芸になっているのだ。集団ヒーローもので一番心配なのは芝居がないのにただ出ている、金魚のウンコがスターの価値を落としてしまう部分である。

息子としては、最近のヒーローもの劇場映画を言い当てているような気がしてならないのだ。

父と約束しているのだが昨年暮れに封切りになった ≪MEGAMAX≫と≪スーパーヒーロー大戦≫は、DVDを入手して親子並んで、鑑賞するんだと。

さて、どんな映画批評をしてくれるのか?興味もありますが、手厳しい批評だったらどうしようかと考えてしまいます。そこは、ご意見番としての正直な映画批評を、このブログで掲載したいと計画しています。

では、また。

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拡散希望!【ドクトル・Gと蜘蛛男】のはなし

こんにちは。
みなさん、今朝の『特命戦隊ゴーバスターズ』と『仮面ライダーフォーゼ』視聴していただけましたか?
ツッコミどころ満載でTwitterが、大変楽しいタイムラインになって暫し、眺めておりました。
いろいろなツッコミがありましたが、共通するのはこの番組を愛してくれているというのが、私なりに理解しております。
『ゴーバスターズ』は、闘いが終わってイエローが、低血糖症でフニャと倒れるシーンがお決まりですね。
あれ、従来の大人の考え方であればあの娘のキャラで倒れるはずが無いのですが、敢えて倒れさせるところが憎らしい設定です。
『仮面ライダーフォーゼ』は、春休み?バージョンでレギュラー陣が私服っぽいもので登場。息子の私などは、美羽ちゃん私服姿で倒れるシーンに、思わず「惚れてまうやん」とつぶやいてしまいました。中々、シナリオライターも魅せてくれます。

さて、昨夜はUpした写真のとおり『仮面ライダーシリーズ』でご活躍いただいた【ドクトルG】役の千波丈太郎さんの誕生日前日でありましたが内輪の会に呼ばれて、銀座へ出かけてきました。
坊主頭の私の隣には、あの【大野剣友会代表 岡田勝さん】です。

千波丈太郎さんは、3月25日で75歳になられました。約40年前(35歳)当時、【ドクトルG】を演じていただき、あのラ~~イダー、というという節回しで、悪役と言えども大変な人気者でありました。昨夜も、【ドクトルG】役で一番好きなPhotoを持参してくれましたが、今見ても惚れ惚れする姿です。
おそらく、悪役である【ドクトルG】単独でサイン会を開催して大盛況だったのは、千波丈太郎さんだけだと記憶しています。

もう白髪の姿になりましたが【大野剣友会代表 岡田勝さん】とこんなに話し込んだのは初めてで、ひとりのファンとして接していました。

岡田さんに質問しました。
「本当に泳げないのですか?」
「あの当時のメンバーで泳げないのは。俺(岡田さん)と文弥。中屋敷は泳げたな。」
「だから、あのカッコよい落っこちができたんですね?」「水に落ちて痛いことを知っている人は、痛くないように自然と受身とりますからね!」

「V3でエントツに登るシーンありましたよね?」
「あれは、中屋敷が登る後に文弥が仮面を持って付いていったんだよ」「中屋敷がエントツの上で立つ時、カメラに写らないように後ろ側で文弥が足首押さえていたんだ」

もー、息子の私は、年甲斐も無く目を輝かせて聴いていました。当時のシーンを思い出しながら。

わいわいと話が盛り上がって、当時の話になり【ドクトルG】が怪人に変身する時のこと、千波さん含めてこの会に参加したメンバーが皆、《サソリ》をモチーフにした怪人になると思っていたそうだ。ふたを開けてみれば《蟹》なんだよ。ちっとも、《蟹》じゃ怖そうなイメージが無いんだよ。と、異口同音に口にし、私が父、平山亨になんで《サソリ》ではなく、《蟹》なのか聴いてくる宿題を命じられました。お答えできる範囲で父に聴いてみようと思います。

今回は、千波丈太郎さんのファンや仮面ライダーファンも参加してくれました。平均年齢50歳くらいかな?娘にも昭和ライダーを見せているんですよ、と嬉しい話があった。
そのファンによれば、難しい世界観はいらない。「勧善懲悪」の判りやすいヒーローがいいんですよ、と。
そして、辛辣な意見もありました。オブラーゼを被せないでUpします。
「今の『仮面ライダー』は、正直なところ“仮面ライダー”を名乗ってほしくない。」
実に、正直な意見だと思います。

では、逆に平成から再スタート(この表現は正しくないですね、東映さんは今までの路線で無いものをと言っています)した『仮面ライダー』の冠を付けないで、全く違うヒーロー名称でデビューさせていたらどうなっていたか?結果は、読者のみなさまの想像にお任せします。多分、同じ想像でしょう。

やはりここにも、昭和ライダーしか愛せないファンがいました。好き嫌いは個人的感性の問題ですから、息子の私も反対はしませんでした。

俳優 千波丈太郎さんも、大野剣友会代表 岡田勝さんも、父、平山亨に大変お世話になったと、そしてお父様を大事になさって、よろしくお伝えくださいと、40年を経過しても言っていただける事が、息子としてとても嬉しく思いました。

こんなに素晴らしい関係者に恵まれて父、平山亨は『仮面ライダー』をつくっていたのだと感じましたね。

このブログを『仮面ライダー』現役スタッフが読んでくれていると期待して、問いかけます。

ファンの間で、『仮面ライダー』シリーズを中断?終了するのではと言う【噂】が流れております。
本当の話でしょうか?それが事実ならば、父、平山亨は大変落胆し、自分自身が≪生きつづける理由≫を無くしてしまう可能性があります。それほど、父は『仮面ライダー』を愛し続けています。父の存在が疎ましいかもしれません。ひとりのサラリーマンプロデューサーが、会社の組織で番組をつくったこと。少なからず理解しようと息子は努力しています。『仮面ライダー』こそ、父のすべてです、と言い切っても過言ではないと信じています。父が、通常の思考能力を有して、意思表示能力があるまでは、何としても続けてください。

昨夜の興奮が収まりませんが・・・
では、また。

ブログご覧いただいて
面白かったらクリックしてくださいね。




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拡散希望!!【特撮ヒーロー番組の源流は、なあに?】のはなし

こんにちは。昨日、ディベートで闘い疲れて眠れず、ポワーンとしております。

アクセス解析をしていると、面白いんですよ。「仮面ライダー」ネタが要求されているのかなと思いきや、父の思いを伝えることが、みなさんに読んでいただけたり、本当にブログを始めてよかったなと思っています。みなさんの検索ワードの判るんですよ?興味のあるワードを検索していただいているのでしょうが、入口は自由なんですよ。興味を持ってもらう事が、父の喜びであり代弁している息子のやりがいでもあるのです。

父の特撮ヒーロー番組を、この世に多数輩出してきましたが、その源流のはなしです。

父が、太秦(京都撮影所)から、未知のテレビプロデューサーに転身した経緯は、周知のとおりです。

父は、本当にどのようにテレビ番組をつくったらいいかなんて知りませんでした。
そこからスタートしたのです。テレビ番組のプロデューサーになったのは、父が36歳でした。
父の歩んできた道は、なんとまあ凄いものです。
社会派映画「ひめゆりの搭」に感動して東映に入社、辞令で京都撮影所へ行く。何故か娯楽映画である時代劇を助監督として参加するが、現在のスタッフ編成は知らないが、父が体験した編成は、助監督が4人もいたのだった。助監督といえば聞こえが良いが、やっていることは雑用全般である。助監督ファースト、セカンドぐらいは名前で呼んでくれたが、サード以下は名前すら呼んでくれない世界。当時、太秦は父に言わせれば『荒くれもの』の集団だったのだ。

当時の写真が少ない数だか実家のアルバムに保存してあった。父の自慢ではないが、良い顔をして仲間と一緒に写っているのだ。社会派映画とは程遠いものであったが、大監督の故松田定次先生に師事することができて良かったと今でも父は事あるごとに教えてくれる。

一度だけ、両親に連れられて大監督の故松田定次先生とお会いしたことがあった。故松田先生が、伊豆の住居に住まわれている頃でした。故松田定次先生も、父も嬉しそうに会話をしていた記憶があります。おまけに、故松田定次先生にお食事を平山家は招待され、子どもの私達にも“伊勢海老のお造り”を出していただいて、大変おいしくいただいた事がありました。

さて、助監督を数多く務めて監督で数本、娯楽映画を撮った後に東京行きへ命じられます。
父は当時リストラという言葉が無かったと思いますが、要は整理要員で職安まで行ったと後年聞きました。
ひとりならいざ知らず、女房、子どもを養う重責を考えていたそうです。
職安の担当者は「職歴は?」と聞かれ、父が「映画監督です」と答えた。
担当者は「映画監督なんて威張ってばかりで、普通の会社へなんて難しいでしょ?」
なんて云われて、父は凹んだそうだ。

意を決して、東京行きの列車への見送りも無い中、最初は単身で向かったのだった。

どうやってテレビ番組をつくったら良いか悩んでいた父は、同期の宮崎慎一さん(当時NET)へ尋ね当てて、聞いたのだった。

父は後で知ることになったのだが、宮崎慎一さんは当時アニメのヒットメーカーだったのだ。
宮崎さんは「ヒラさんは、漫画好きだったかなぁ」
父は「ああ好きだよ。横山光輝先生の『伊賀の影丸』なんて撮りそこなったからね」
宮崎さん「何かこれやってみたいとかないのかね」
父は「すごいのあるんだ。貸本屋の漫画でね」
宮崎さん「それ見せてくれよ」

翌日、宮崎慎一さんのところへ持っていったそうだ。
それがあの“貸本屋版「悪魔くん」”なのだった。

宮崎さん曰く、「面白いんだけどねえ。テレビではどうかな」とテレビの体質を教えてくれたのだ。
「怖がってちゃなにもできないけれど、怖がらなくちゃ何もできないのがテレビなのさ」と。

そして講談社の内田勝さんと出会い、「悪魔くん」の話をする。
「あのよさが判るの?」とは内田さん。
「人を人と思わない毒々しさがいいですねえ。あんなに面白いのは初めてですよ」と父。
「あのよさが判るなんて大した大人だ。ご褒美にこれあげますよ」と内田さん。
読むと、『少年マガジン』向けにリライトした「悪魔くん」だった。
「これならいけるッ!」と父は感激した。

やりとりは続くのだが、父が最初に手がけた番組は、同期であった宮崎さんい相談したことが発端であった。

父は、何より仕事仲間を大事にしてきました。1999年に出版した書籍も自慢話というより番組にかかわった様々な名人を後世に残しておきたい、すばらしい仕事仲間に恵まれて多数の特撮ヒーローものをつくることができたんだと、ファンにみなさんやこの道を志す若者むけに執筆したという。もっとも、小説家にもなりたかった父の文章力は、どうなんだろうと意見する身内がいたことも本当である。

「悪魔くん」をつくるにあたって“水木しげる先生”に事務所に伺いお化けとは?妖怪とは?を根掘り葉掘り聞き、(父は子どもの頃からお化け好き)その種がたくさんあるからこそ、父が活躍出来たと思っている。

「東映ヒーロー名人列伝」のまえがきに“水木しげる先生”との対談を回想する部分があるが、恩人の“水木しげる先生”がお元気で活躍されていることが、父にとっても嬉しく励みになるのだ。

では、また。

ポチッと押していただくと父も喜び、私も励みになります。

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拡散希望!【父からの伝言】のはなし

こんばんは。
いやー、今日は良く喋った。綱渡りの人生だが、良く凌いだとだけ言っておこう。

昨日の父への質問攻めの中に「良くアイデアが枯渇しなかったな?」と聞いた。
この話題だけは、このブログを楽しみにしてくれるみなさんへ、お伝えしなければならないだろう。

父曰く、
「この道を志す若者たちよ、漫画だけではなく読書をしなさい。そうすれば、若くしてアイデア切れなんてことは起きない」と教えてくれた。
父が父親のように慕っていた漫画家 故石ノ森章太郎先生も、父以上の読書家であったことは有名です。
父自身、多読の王者と称していたが、故石ノ森章太郎先生の読書量には敵わないと思ったそうだ。
父は、読書量はアイデア面だけでなく、思想面に深みを付けるのだ。思想面が弱い人は、この道へ入るべきではないと、語っている。

父が多数の特撮ヒーローは輩出したのも、「仮面ライダー」をつくりながら、あれこれ新しいアイデアが浮かび、このアイデアは「仮面ライダー」では実現できないから新しいヒーローにさせようとか考え付いたのだ。それが「人造人間キカイダー」や他のヒーローであったりするのだ。

この「人造人間キカイダー」については、「東映ヒーロー名人列伝」の中でこのように記している。

この「キカイダー」については原作者 故石ノ森章太郎先生が思想面の重厚さを発揮された作品だと思う。そういう意味だったろうか「大変気持ちよくスラスラできたキャラクターで漫画も楽しく描けた」と述懐されておられるが、テレビの方も何をやってもいいし何をやってもうまくいくといった具合だった。

そんな父も過去にアイデアを出し惜しみして先輩に怒られた経験があるのだ。
怒った本人は他でもなく、父の義兄にあたる《松村昌治さん》である。
《松村昌治さん》は、京都撮影所時代の先輩にあたる人物で、「銭形平次」を何本も撮った売れっ子監督でもあった。父の師匠である「松田定次監督」の映画で、松村さんが助監督ファースト、父が助監督サードなんかしていた頃からの間柄である。

松村昌治さん曰く
「アイデアは汲めば汲むほど湧いてくる泉のようなもので、出し惜しみするような根性では、それこそ枯渇するぞ」と酷く叱ったそうだ。
その、松田昌治さんは、毎朝神棚に向かって「神様仏様、今日も良いアイデアを浮かばせてください」と拝んでいたそうだ。

その《松村昌治さん》は父より10歳年上で、元気で孫に囲まれて暮らしていると聞く。
父は、大先輩である《松村昌治さん》が元気ならば、俺も長生きしなければと思い暮らしているのだ。

余談だが、息子の私は水泳を《松村昌治さん》=松村のおじちゃんに教えていただいた。後年の語り草なのだが、教え方が無茶だろう?というスパルタ式。泳げない私を、無理やりプールの底のほうに沈めたのだ。結局、それが泳げるようになって感謝しているのだが、プールの水はたらふく飲んで苦しかった記憶は鮮明に覚えている。今は、取り壊されて無くなってしまった「茅ヶ崎パシフィックホテル」のプールでの出来事でした。

では、また。

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【父、平山亨の仮面ライダー時代の記憶】のはなし

こんばんは。やっと、穴倉に戻りました。息子の私は、家族を連れて見舞う予定でしたが、娘の体調が思わしくなく単身で父の処へ向かいました。

父が滞在するフロアに着くと、父の姿が見えません。スタッフに聞くとお風呂タイムとか。
やがて父が戻りましたが、娘の件を伝えると残念そうにしていました。
父にとっては初孫ですから、一緒に過ごしたいはずです。
父は「無理はさせるな」と気遣ってくれましたが、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

そんな中で、父との会話が始まりました。
今日は、息子から質問攻めです。日頃、父の出版した書籍や、仮面ライダー関連本を読み漁っており、どうしてもひとりのファンとして聞きたい事があったのです。
質問の内容は此処では明かすことができませんが、父は遥か昔の事であっても昨日の事のように、身振り手振りを交えて教えてくれました。恐らく、何処の書籍や対談でも公開していないものでしょう。

父はこれまで、様々な場所や書籍で対談をしたり寄稿してきました。残念ながらそれらが、資料として纏め切れていません。また、Web上での情報にしても正しい情報か否か、迷うものもあります。

此処まで父が何をしてきたのか?
息子として知りたいと思っています。

同人誌レベルまで、寄稿していたと聞きます。
差し支えなければ、息子宛にお知らせいただければ有難く存じます。

では、また。

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拡散希望!!【超人バロム・1】のはなし

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こんにちは。
鈍い頭痛が続いています。今夜中に治して、元気な姿で愛娘とかみさんを連れて、父の見舞いに行かなくてはと思うのです。

さて、今日の話題は、【超人バロム・1】のはなしです。
若い特撮ヒーローのファンは、ご存知無い方も多いかと思います。簡単にご説明しましょう。

この番組は、1972年(昭和47年)4月2日から同年11月26日まで、よみうりテレビ製作・日本テレビ系で毎週日曜日19時30分から20時00分に全35話が放送された。さいとう・たかをによる原作からは、設定の一部の流用を除き、デザイン、ストーリーは大幅に変更されている。

父の著書「東映ヒーロー名人列伝」によれば、読売テレビの佐野寿七さんが、劇画家:さいとうたかを先生の原画を持参して「これおもしろいから、一緒にやらない?」と誘われた事がきっかけだと記している。
以前から、アニメ「巨人の星」の感情の描写について、いままでにない手法をとったこと。それを局プロとして英断したことに尊敬の念を抱いていたのだった。

【超人バロム・1】の主題歌など《八手三郎》名義で作詞している。その詞の中で“ブロロロローッ!”とか“ズババババーンッ!”という表現を使った。
父は、その表現について記している。
さいとう劇画の天才的工夫の一つに音響の映像化がある。これは、後にアメコミなどで一般化するのだが、さいとう先生は。それよりはるか以前に駆使していたのでだ。

「ブロロロローッ!」
「ズババババーンッ!」
これなど先生が映画監督をやりたかった思いの現われだろう。映画という表現手法は、動く映像とともに音響効果というものがある。動かない画と音のでない紙上劇画の世界で音を表現手段にした天才的手法だ。

もっとも、父が《八手三郎》名義で作詞したものについて、作曲家の菊池俊輔さんを困らせ、歌う水木一郎さんも困っていたようだが、水木さんに「それくらいのもの、あなたなら歌えるよね?」とトボケて歌ってもらった。

後に、この番組に「ドルゲ事件」が起きたのだった。
「ドルゲ事件」は、簡略に説明すると、「ドルゲ」は、劇中で善を憎み、愛を嘲る、地底に降り立った悪の化身。人間をドルゲ細胞(一種の癌細胞)で侵すことによって悪のエージェントである「ドルゲマン(第1 - 8話) / ドルゲ魔人(第9 - 35話) / ドルゲ妖怪(第26話のみ[5])」を作り出す。「ルロロロロロロ、ドールゲー」という不気味な声とともに登場する、悪役であるのだ。

「ドルゲ」という姓をもつ小学生が学校で苛められるというので、それに怒った父親が裁判所に番組の即時差し止めを申し出たのだ。
学校のいじめは、父親が学校へ出向き収まったのだが、ドイツ人である「ドルゲ」さんは、自分の姓を悪役の名前にされて汚されたということに争点はうつった。
決着点は、番組中にテロップで「ドルゲという悪者はフィクションの中のものであって実際には実在しないものです」を出す事で和解したのだった。


父は相当数の特撮ヒーローものやスポ根ものなど番組を、つくり続けてきました。
すべてが順調だったわけではありません。電波にのせて放映されると、その影響力の強さにビックリするとともに、表現方法やアクションひとつとっても視聴者のみなさまが受け取ることは様々です。
父は、息子との会話でも度々話題になりますが、「クレームを恐れて回避しているようじゃ、番組をつくれない」と教えてくれました。

現在、息子の私は父と全く違う畑の住人です。
リスクヘッジも大事ですが、リスクを怖がっているようじゃ前へ進めないだろ?その言葉は大事に胸に秘めています。

では、また。

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拡散!!【プロデューサーという仕事】のはなし

こんばんは。
本来なら、火曜日は秘密基地を脱出して父の見舞いに行く日なのです。しかし、木曜日、誕生日の祝いに娘を連れて行くので、ひとりぼっちで朝から、ゴソゴソと秘密工作をしていました。

さて、今日の話題は【プロデューサーという仕事】のはなしです。
偉そうにお話する材料は、正直なところ断片的なことしか知りません。

平山家が京都から東京(正確に言うと、《藤沢市辻堂西海岸に大きな公団住宅 5階建て》へ転居してからの記憶では父は、時間があれば別室(狭い団地住まいでは書斎は無かった)で、座卓にて濃い鉛筆で企画書を書いていました。父は、大変筆圧が高くガリガリと書くので濃い鉛筆が指への負担が少なかったのでしょう。

父の読書量は、半端な量ではありませんでした。それもあらゆるジャンルに通じ、それが父の話の引き出しに膨大な量として貯蔵されていたのです。

プロデューサーとしての仕事の一端を知るエピソードがあります。
今年1月28日に 故内田友作さん お別れ会での発起人 挨拶文でのことです。

父に、「俺が、草稿を書いてくるから」と云って持参した草稿に父が目を通し
推敲が入りました。

父がおもむろに、「プロデューサーってのはな・・・」と始まりました。
番組つくりに、多数の関係者が拘っているだろ?
「嫌だ」という人にも「無理でもやってもらう」と迫るのが、プロデューサーなんだと。

息子の私は、いろんな関係者の著書を拝読させていただいています。
中には、リップサービスの部分もあるでしょう。でも、段々と父がプロデューサーとして具体的に何をしてきたのかが、わかりつつあります。どの家庭でも同じ事が言えるのではないでしょうか?父が会社で、職場で具体的に何をしているのか?知らない事が多いと思います。父は、幸いに映像として残る仕事でしたから、少なくとも『仮面ライダー』全編は、DVDを頑張って入手したいと思っています。

息子の私が、社会人としての進路で悩んでいる時に父は、同業者になることは色良い返事はしなかったと、先の記事に書きました。
現在は、全く畑違いの世界の住人になりました。

あの時、父の反対するでもなく、グレーの意見であっても父と同じ職業に進んでいたら、どうなっていただろう。あまりに、父の存在が大きく、また影響を強く受けすぎていたから動きが取れなくなっていたのではないかと思います。

文章を書くことは苦になりませんが、ギャラをいただく前提で書くことと全く違うと考えています。
また、当然のことですが番組を視聴している方々や、関係者の批評をいただくことが耐え切れないのでは無いかと思っています。

当時は視聴率至上主義で、版権ビジネスを父が先頭で舵をとった事など聞いた事が無い時代です。
当時は、視聴率が判明するまでに時間がかかりました。父の表情を子どもの私が見ても、機嫌が良い時、眉間に皺が寄っている時など一目瞭然でした。まるで、毎週が父の通信簿というか、批評会のようなものでした。父は、どんな職業についても一緒だよと笑っていましたが、心中穏やかなわけがありません。

秘密基地で、昭和ヒーロー像を作った男「伊上勝評伝」を3度目の読み込みをしていました。

その中で、父、平山亨が語る伊上勝 という章があり
こんな文書がありました。

平山氏は京都の映画人に「仮面ライダーは時代劇だろ?それをあんなに面白くやられては、時代劇が売れなくなってしまうよ」云われたことがある・・・

文芸面で、「勧善懲悪」を貫き“人間の自由と平和のために”闘い続ける。
実にわかりやすいシナリオを書いてもらい、子ども達が食いつくような演技を監督が指示し、俳優がそれを誇りに思って演じ、それに殺陣師が華を添える。

まさに、プローデューサーの思いをスタッフ、関係者が「同じ目的をもって」番組をつくってきた証が番組なのです。

平成の仮面ライダーは、大変面白いのですが世界観が難解で理解するの時間がまだまだ掛かりそうです。

先日、面白い「仮面ライダー」関連書籍を入手しました。
また、読書時間が楽しくなります。

では、また。

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拡散希望!!【父、平山亨の誕生日と息子を助けた言葉】のはなし

おはようございます\(^o^)/
昨日の、『特命戦隊ゴーバスターズ』、『仮面ライダーフォーゼ』は、面白かったですね?
『ゴーバスターズ』は、3人の働きも良いのですが、形を変えていくロボットにも見ていてワクワクしてきます。
3人の演技には、これからを期待しましょう。
『フォーゼ』については、サービスてんこ盛りでした。仮面ライダー部の会長に美羽ちゃんが勝手に(笑)就任を宣言したり、メテオが「ひとりプラネタリウム」と揶揄されたり、何と言っても「弦ちゃんの家」が見れて、何と弦ちゃんのお爺さん役が、あの「八名信夫さん」であったこと。昔々は、ヤクザ映画で悪役専門でしたが、明るいお爺さんのキャラが、弦ちゃんの存在を更に引き立てます。
やはり、ひとつの物語をつくる上で「老け役」が、大事であるかご理解いただけたと思います。


さて、今日は父、平山亨の誕生日です。みなさまのお陰で、83歳を迎えることができました。
息子は誕生日当日に父を見舞いに行けない事が残念でありますが、近々に父の初孫である私の娘を連れてお祝いしてきます。
先日、父のファンの方と会う機会がありました。座談会で、父、曰く
「僕は120歳まで生きる!」と豪語したそうです。
息子の私は、思わず指折り数えてしまいました。父が120歳になると、息子は87歳です。此れから、頑張って精進しなければなりませんね。それには、まず人並みのウエイトまで減量しないと…


数年前、父の言葉に救われた事がありました。
その時、息子の私は心身共に疲れ果てて、すべてを終わらせたい事ばかり考えていました。
そんな状態でしたが、最期に父の顔を拝みに行こうと実家へ行きました。この時だけは、父が家にいるようにアポイントを取りました。今まで、実家へ行くのにアポイントなんてとった事はありませんでしたが。
実家に行き、ほとんど父とは会話らしい事はしませんでした。
私が帰り際、父に「長生きしてくれよ」と声を掛けて帰ろうとすると、背後から父に声を掛けられました。
父は、「そのままでいいから、話を聞け」「いいか?親より先に自分の子が逝く事ほど、親不孝な事はないぞ!」
たぶん、父は私の異変に気がついたのでしょう。
「これは、父さんからのお願いだ。父さんより先に逝くな!父さんは、お前に看取って欲しいんだ。」
「お前に、最期を看取られて、俺に涙のひとつでも流せ。これは、父としての命令だ」
冷静になって考えると、こんな命令なんてと思いますが。
「わかったら、返事しろ!」
私は、小さな声でしか返事はできませんでしたが「わかった」と答えていました。

あの日、実家へ父の顔を見に行って正解でしたね。
父子で、その話を回想する事はありません。
父を見舞いに私が顔を見せると「ニコッ」とするのは、そのせいかもしれません。

冗談か本気なのか定かではありませんが、父が例え120歳まで生きようとも、父との約束は果たさなければならないと考えています。

では、また。

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拡散!【仮面ライダーVS地球温暖化  伊勢原市立子ども科学館】

こんばんは。
身近に勃発した事件(笑)は、思ったより根深かく、凶暴なものです。現在、どうやって解決へ導くか緊急会議をしています。

さて、仮面ライダー関連ニュースです。

伊勢原市立子ども科学館(同市田中)のプラネタリウムで十七日、地球温暖化問題を学べる子ども向け番組「仮面ライダー 恐怖の地球温暖化計画」の県内初投影が始まった。同館によると、番組はプラネタリウム専門で、投影時間は二十五分間。敵のショッカーと戦う仮面ライダー1号、2号、そしてW(ダブル)の活躍を家族で楽しみながら、温暖化問題を学べる。

神奈川県伊勢原市近辺や、気合を入れて遠方からでも観たいという方。
是非、家族でお楽しみください。

今日の「ひとりプラネタリウム」をニヤニヤしたファンのみなさん。
伊勢原市へ行って、ニヤニヤしてください。

ニュースソースはこちらから
http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20120318/CK2012031802000039.html

では、また。



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プロフィール

次男坊

Author:次男坊
【泣き虫プロデューサーの遺言状】講談社より好評発売中。
父、平山亨は、2013年7月31日23時24分心不全により他界いたしました。

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