2012-03

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【父、平山亨の苦悩のわけ】のはなし

こんばんは。昨夜から体調不良に悩まされ、ボーッとPC前で佇んでおります。
たまには、こんな日もあるさと、栄養ドリンクと風邪薬(でいいのかな?)を呑んでおります。

さて、今夜の話題です。
昨年7月18日【伝説のイベント】のフィナーレとも云える表彰式で、父の名代として挨拶をさせていただき、その中で父が息子に話したクダリが織り込んであります。

「俺は世の中のためにロクなことをしてこなかったけど、ライダーファンのみなさんには少しだけ良いことができたのかなぁ」

これは、入院中の父の枕元で聴いたことです。

息子の私は、何気ない言葉ですが、「なんで、オヤジはそんな事いったのか?」と考えていました。

その訳は、こんなことがあったのです。

父の著書に「仮面ライダー名人列伝」があります。その171頁。お世話になった「山平松夫さん」の部分で繋がるのです。

以下抜粋

山平さんのお母さんの話は、私にとって忘れられない話だった。
と、いうのは私が忙しい助監督生活に疲れを覚えた頃、大変に落ち込んだ事があった。
『ひめゆりの搭』のような有意義な映画を作ろうと東映に入った私は、くる日もくる日も代わり栄えしない娯楽時代劇ばかり撮り続けて一体俺は世に何の貢献をしているのだろうか?
お百姓は米を作る。工員は、自動車を作る。みな世に貢献しているのに俺は何もしていないと落ち込んだのだ。
この話を、山平さんにした事があった。
すると山平さんは、こう云った。

「私の母親は岩手の山村で夫に死なれ、私を頭に4人の子供を行商で育ててくれたのです。疲れ果てた彼女が何を楽しみに生きたか判りますか?彼女は東映の時代劇が好きだったんです。それも貴方が助監督をやったという『新吾十番勝負』が大好きだったんです。彼女は貴方の作った『新吾十番勝負』を見て、新しい勇気を揮い起こして私たち4人の子供のために働いてくれたんです。『ひめゆりの搭』じゃ駄目だったのです」

私は泣いた。嬉しくて泣いた。自分の捧げた青春が無為ではなく、たった一人だったかも知れないけれど、一人の健気な母親に勇気を与えたのだという事が何にもまして嬉しかったのだ。

以上抜粋


父がずっと「特撮ヒーロー子供番組」作り続け、特に『仮面ライダー』に関しては思い入れが強いのです。
父が4月2日に緊急入院を余儀なくされ、息子の私は父の枕元でずっと語りかけていました。父の意識が朦朧とする中でも。父との共通する話題は、良いのか悪いのか『仮面ライダー』なのです。

7月の【伝説のイベント】が近くなり、実行委員会の方々とも頻繁に連絡して、その盛り上がりを細かに父の枕元で伝えていました。40年が経過しようとも、こんなにもたくさんのFanのみなさんが伝言板上で『仮面ライダー』がどれほど好きかという思いも、父に伝えていました。

その様子を伝えた事が、父の、“ライダーファンのために少しだけ良い事ができたのかな”という言葉に繋がったのです。

今でも、父の見舞いの会話で、「しばらくファンの前に出ていないから忘れられちゃったかな?」なんて弱気な発言をしていますが、息子の私は『仮面ライダー』と名の付く番組がある限り“仮面ライダーをつくった男たち”の一人。『平山亨』が忘れられる訳ないだろ!!といってやります。

今年、83歳になろうとする父と50歳になろうとする次男坊の会話のほとんどが『仮面ライダー』って良くないですか?息子は、ドヤ顔で自慢したいですね。

では、また。

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テーマ:仮面ライダー - ジャンル:テレビ・ラジオ

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次男坊

Author:次男坊
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父、平山亨は、2013年7月31日23時24分心不全により他界いたしました。

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