2012-04

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拡散希望!!【ロボット刑事って、変身しないのです】のはなし

ロボット刑事 Vol.1 [DVD]ロボット刑事 Vol.1 [DVD]
(2003/11/21)
特撮(映像)、千葉治郎 他

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こんばんは。
昨日のTwitterは、#本当の昭和生まれなら知っているはず という括りで大変楽しませていただきました。息子の私自身も、「これでもか!」とUPさせていただきましたよ。内容が秀逸すぎて、納得、笑い、頷きを繰り返していました。また、みんなで盛り上がりましょうね。

さて、今日の話題は【ロボット刑事って、変身しないのです】のはなしです。

この番組の概略をご説明しましょう。
1973年4月からフジテレビ系で、全26話が放映されました。
ちょうど、仮面ライダーV3が同時進行で撮られていました。父は、大変な忙しさでしたね。

いろんなところで、父がこのように語っています。
「平山さんの番組って、変身ものばかりだね?変身しないヒーローってできないの?」という事を言われたのが切っ掛けのようです。
この番組のテーマは
「人間に限りなく近づきたいと努力するロボット」
だから、機械であるロボットの不自由さがなくてはならなかったと、言う。
心情描写の不自由さなどがそれで、いつもうつむき加減で控え目なK(ロボット刑事の名)は、いじらしかった。

あらすじなどはググってみてくださいね。

父が、この番組の思い入れは2人の俳優さんが、暗くなりがちなこのシリーズを救ってくれたという。
千葉治郎さん。仮面ライダー2号でFBI捜査官として、大変かっこよく活躍されて、アクションにキレがあって、父としても頼もしい存在でした。

もう、この世から亡くなってしまいましたが、老刑事役 芝大造を演じた 故高品格さん。父が配役を考える上で「老け役」をしていただいたおかげで、ロボット刑事など架空の話を、故高品格さんが演じることで真実味がでたのだ、と言っている。

父のプロデュースした番組に出演していただいた、数々の俳優さんのみなさんも亡くなってしまった方が多数いる。父と話すと度々、その活躍していただいた俳優さん(女優さんも含みますよ)の話題を息子に話をしてくれています。そこに、「ちょっとだけ」エピソードを添えてね。

話題を探っていると様々な話題はあるのだが、今日の話題はここまで。
では、また。

追記
14日(土)15日(日)東京 板橋区大山町で
仮面ライダー2号で活躍された「佐々木剛さん」の 『改造人間哀歌』上映会が行われます。
まだ、チケットが有るか否かは判りません。左側のリンク集に「上映会スケジュール」がありますから直接お問い合わせください。佐々木剛さんのサイン会もある模様。

頑張って、頑張って、頑張っております。
素人の文章書きですが、UPする話題でお悩み中。
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拡散希望!!【がんばれ!!ロボコンの誕生秘話】のはなし

がんばれ!!ロボコン DVD-COLLECTION Vol.1がんばれ!!ロボコン DVD-COLLECTION Vol.1
(2009/10/21)
特撮(映像)

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こんにちは。
火曜日は、父へ見舞い日と決めており、遠路遥々慣れない代車で向かいました。
午前中は、後楽の某喫茶ルームでの打合せ後に近隣の「小石川後楽園」の綺麗な庭園で桜を楽しみ東京ドームなどの建物とのコントラストに驚きながらデジカメ撮影してきました。
父との会話には、毎回驚きがあり「いつかは伝えなければ」という思いでいます。
父との会話に後ろ髪を引かれながら、再度都心部へ向かう道中に自衛隊朝霞駐屯地、練馬駐屯地があります。どの敷地にも立派な桜の木があり、よそ見してはいけないと判りつつ少しだけ寄り道して桜を愛でていました。
全国各地の自衛隊駐屯地にも立派な桜があるのか、知りたいところです。

今日の話題は、【がんばれ!!ロボコンの誕生秘話】のはなしです。

この企画を思いついたのは、『仮面ライダー』(1971年4月~)より前に放映していた『柔道一直線』(1969年6月~)を撮影している時だと言います。
東映さんの先代の社長、故岡田茂さんから叱責を受けたことが発端だったのです。
父が東映に入社した当時、故岡田茂さんは太秦(京都撮影所)で制作課長をされていました。父は、自分達と苦楽を共にしてきてトップに登りつめた人だからという意味で、社員から信頼と尊敬を集めていたという。
東映かつくった映画『聞けわだつみの声』をご存知の方も多いと思う。その映画を周囲の先輩方の反対を押し切って映画を企画した名プロデューサーであった人物が、故岡田茂さんです。

その、父が尊敬する故岡田茂さんから、『柔道一直線』など視聴率を30%オーバーを得ていても「銀行金利をも払えないような番組を止めてしまえ』と言われ、父としては現場を知っている故岡田茂さんから言われたことがショックだったと回想して言います。
その時代、版権ビジネスとしては、東映動画がキャラクター商品(魔法使いサリー、など)として売れていましたが実写モノの番組についてはまだ追いついていない時代でした。

父は、「視聴率は20%以上取ります」と豪語していました。事実上、『仮面ライダー』以前の番組でも一部の番組を除いて『ジャイアントロボ』『柔道一直線』など、視聴率は誰もが納得する数字を得ていたのだが、制作費が赤字続きでテレビ局からの延長の要請があっても、打ち切りという憂き目にあっていたのだ。

父は、番組が打ち切りになることを恐れていました。父は、太秦(京都撮影所)の余剰人員として人事異動を命じられ、テレビ部プロデューサーとなった。番組を3本同時進行で放映できていたら、父自身、また一緒にテレビを撮ってくれる仲間が仕事を失う事がないと考えていたのです。

父が太秦からの助監督仲間であった人との会話をご紹介したい。
こんな時、撮影所前の喫茶リバーでこれまた京都撮影所の仲間の助監督で配転になった田宮武くんに出会った。彼はもともと実写が好きで助監督になった男だから、心ならずも動画をやっているが、実写をやりたいとぼやいていた。
やがてアニメの話になり『魔法使いサリー』の人気の話になって、サリーの画を描いた文具なんかがよく売れるという話。そしてそのおかげで東映動画は制作費は赤字だが全体では黒字なんだと聞いて、どうして『柔道一直線』はそういう風にならないのかと聞いた。「実写はキャラクターじゃないからですよ」と言われた時、それじゃあ、一条直也(柔道一直線の主人公)を可愛いロボットがやったらと思った。『柔道一直線』はスポーツ根性物で、スポコンと呼ばれていた。ロボット根性物だから「ロボコン」だと早速企画書にして渡邉次長(当時)に見せた。
渡邉さんは、物の面白味が判る数少ない達人なのだが。この時はアクション物に凝っていたからだろうが、一読し「駄目だい、こんな物」と投げて返した。


そうです。『がんばれ!!ロボコン』は、一度、上司からボツを宣告された企画だったのです。

父は、“ボツ”を宣告されても「折れない心」で企画を暖めていました。
父は、自分が面白いものは面白いと言い切れるプロデューサーです。
あれだけの番組を世に出しても、“ボツ”になった企画は数えきれないと言います。

それから数年後、管理部長がテレビ局から戻って
「平山くん、何かないかな?」
「何がです?」
「さっきテレビ局で言われたんだよ。企画会議で一枠決まってないのがあって、何か面白いコメディ風のがないかって言われたんだ」
「いつまでですか?」
「今すぐ」

上司の渡邉亮徳部長の、明朝までというのは慣れていたのだが、今すぐというのは驚いた。そこで、出したのが『がんばれ!!ロボコン』の企画書だったのだ。

大急ぎで読んだ管理部長が「面白い!!」と早速、テレビ局で連絡を入れた。
「最高のがありました。早速ウチの平山に持っていかせますから、よろしく」

なるほど急いだだけあって決定も早かった。翌日には、局からOkの連絡があって局プロデューサーも決まりさっそく石ノ森章太郎先生に相談にラタンへ走った。

そこからは、ファンのみなさんがご存知のテレビ画面で『がんばれ!!ロボコン』の大活躍となるのです。

今でも、超合金シリーズの『がんばれ!!ロボコン』の販売を続けています。
『がんばれ!!ロボコン』放映は1974年10月から始まり、全118話が放送された大人気、ロボットコメディ特撮番組でした。

今日のお話は、ここまで。
では、また。

「スーパーヒーロー大戦」試写会を観た父。
やはり、エンディングのクレジット(役者さんやスタッフさんの名)を凝視していました。
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拡散希望!!【企画の名人達人の絶対条件とは】のはなし

仮面ライダー THE MOVIE VOL.1 [DVD]仮面ライダー THE MOVIE VOL.1 [DVD]
(2006/03/21)
特撮(映像)、藤岡弘 他

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こんにちは。
最近、ブログ記事の更新が出来なくて申し訳ない。
昨日、娘の入学式が済み新たな学校生活が始まります。友達できるかな?なんて心配していますが、みんな同じこと考えているから大丈夫とアドバイスしています。

昨夕のTwitterでご心配掛けましたが、とうとう愛車が壊れて整備点検となりました。これから、息子の私自身の足をどのように解決するか考えなくてはなりません。

さて、今日の話題は【企画の名人達人の絶対条件とは】のはなしです。

父は
「面白いものを面白いと言える」事が大事と言います。
当たり前じゃない?と思われるかもしれませんが、中々それが難しいと感じる方々がいるようです。
父の著作「東映ヒーロー名人列伝」の中で、このように記されています。

以下抜粋
企画というものは、何もない空間に手探りで「面白いもの」を作り出そうとする作業で、企画は映画作りの「意志」なのだから、企画者が面白いと思う方角に進むしかないのだ。だから、発注者であるテレビ局の意志を代表する局プロの権威は最高であり、そうしても局プロの好む方角に作られていくのだ。だから局プロのセンスの良否は決定的なのだ。私たちプロダクションプロデューサーだって、言われたとおりに作ればいい、なんて投げやりな作り方はしない。
「こうしたらよいと思います」
「こうしたらどうでしょう」
「こうしましょう」
「こんなやり方のほうが面白いですよ」
とことごとに提案して、番組が面白くなるアイデアを提供するのだが、そのよさを判ってくれる局プロの場合は成功したとしても・・・

以上抜粋

父は企画する番組を、本気ですべて世に出したいと考えていました。そのように考えながら、あの膨大な企画書を書いていました。
父が、息子が社会人になってからだと記憶していますが、こんなことを教えてくれました。
ある人に、「どうしたらヒットする企画書を書けるんですか?」
と聞かれたそうだ。ある人とはマスコミではなく、同じ企画者の立場の人だったようだ。
「とにかく書け!」
自分で面白い番組になると思えばこその愛情ある返答だったに違いありません。
父が、太秦(京都撮影所)から異動した当初は、本当に手探りの毎日だったと言います。番組をどのように作るかというところからはじめたのです。当然、ヒットする企画書の書き方など知りません。

父のうしろ姿を見て育った息子の私は、「尋常でないレベルの負けず嫌い」と「あきらめない心」を感じていました。その2つは、83歳になった今でも健在です。

一度や二度くらい、企画書を提出しても「折れない心」があったのだと息子は思っています。
「企画書が通らない事ぐらいで、凹んでいたらプロデューサーなんて出来ない」と教えてくれた事もありました。

昨年7月から父の仕事関係者と接する機会が多くなっています。
父が慕われていた様子は、良く耳にします。
父は知らない事や判らない事は自分で調べたり、教えてくれる人を探し出して頭を下げて真摯に「教えてください」と言える人でした。常に良好な人間関係を築き上げてきたように思います。それでも、ごく一部の人から苛められた事は、つい最近知りましたが。(内容までは知りません)

父が、「名人列伝」を書く動機は、「仮面ライダー名人列伝」のまえがきにあります。
要約すると
父がこの業界で多数の名人達人天才秀才に出会って、学ばせてもらった。
理屈で判らない部分もあるのだが、それを伝えることが先人の労苦を報いることになる
(強引に要約しました)

試写会でみた映画は、見どころ満載で楽しい時間でした。
その映画も、父が手探りであった時代から、父やその仲間が「怒号と汗と涙」を出しながら築き上げたものが基礎になっていると、息子の私は勝手に思っています。
まさにオールスター総主演のキャラクターを、父はどんな思いで映画を観ていたのでしょうか?

「スーパーヒーロー大戦」4月21日封切りです。
昭和ライダーやゴレンジャーをリアルに観ていない世代も、平成ライダーなんてライダーじゃないと思っている世代も、是非とも劇場に足を運んで観てくださいね。
ネタバレ禁止ですから、そこのところはよろしく。

今日の話はここまで。
では、また。

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拡散希望!!【試写会でスーパーヒーロー大戦を観て】のはなし

こんにちは。
昨日は、朝6時起床で1日頑張って付き添いしてきました。高齢者の家族がいらっしゃる家庭でしたら、ご理解できるのではないでしょうか。今朝、おかげさまで体重が減りました。

さて、今日の話題は【試写会でスーパーヒーロー大戦を観て】のはなしです。

Tさんのご配慮や東映東京撮影所(大泉)の所長さんの快諾によって、父が試写を観ることができました。
Tさんの話によると、今回の試写会は、マスコミ関係者というよりこの映画に関わった近いスタッフなどが観るものだということでした。父は、遥か昔に定年で退職した身ですから当然なのですが、最前列に車椅子できたお爺さんがいるという認識だけで、声を掛けてくれる人はいませんでした。

父は、その撮影所内にある「東映デジタルセンター」に入り、上映を待っていましたが、まるでホテルのような雰囲気に「よくこれだけのもの造ったな」と感心しておりました。
父は、本来、車椅子スペースで鑑賞するべきなのでしょうが、右耳が不自由な父はスクリーン向かって左側端の場所は辛いため音響や観やすさの点から、最前列中央に座らせていただきました。車椅子からの移動も、息子にとって「転ばないように」と気疲れするほどです。

上映時間は、90分を少し下回る時間でしたが父は、ずっと人間態の俳優、女優さんのみなさんや、数多くのキャラクターを目で追っていました。
ストーリーは、「ネタバレ」を避けたい為にお話できませんが、息のつく暇が無いほどの連続です。

鑑賞後に所長さんやTさん達と少ない時間でしたが、歓談させていただきました。
父の第一声は「この映画の監督さんは誰かな?」という質問でした。
「金田治さんです。JAEの方で現在のテレビ放映しているものも多数撮っていますよ」という返答に

父は
「なるほど!あれだけの出演者(人間態もキャラも)を良く描ききった!」
「大人1,800円のチケット代なら、みんな大満足するね」
息子が
「平成からのライダーや戦隊を知らなくても、充分楽しめる」と言うと
父は
「そうだな」と頷く。

試写会ルームで延々と父の話が続きそうなので、一旦ロビーへ。

介護タクシーを呼ぶまでの時間に、ロビーでまた歓談が始まります。
息子が止めなければ、延々と喋り続ける父ですが、「喋る」ことが父の元気のバロメーターならば
状況が許す限り、話をさせてあげようと思っています。

父が滞在する介護施設までの車内で、こんな会話をしました。

「出演している俳優さん等を説明してくれ」と言うので

それぞれの番組名と配役とあらすじを父に話をした。(ちゃんと予習しましたよ)
父曰く、
「キャラだけを前面に出すだけでなく、ちゃんと彼ら俳優を演技させていて安心して観られたよ」
「お前から、キャラの出演数を聞いたときに、正直なところ、驚きとどうやって見せるんだよ?と思った」
「名乗りは出来なくても、こんな見せ方があったんだな」と、帰りの車中で親子共々、興奮して会話が弾みました。

前作の「MEGAMAX」上映後から、父にDVDを観せるか、劇場で一緒に観るか、息子の私は思案していました。先日、Wさんから本社試写会のお誘いがあり、父が安心して移動できるか、介護タクシーが停車できるような場所なのかなどかクリアーできないと判断、本社試写会を断念して、Tさんの大泉の話に乗ったのです。車椅子を利用している人にとって階段や段差を避けたい。車椅子用のトイレも考えなくてはいけないのです。Wさん、Tさん、そして所長さん、本当にありがとうございました。

父は、本当に久しぶりの大泉の撮影所に足を踏み入れる事ができて感激しておりました。
もう、ひとりで行きたいところに歩いていく事は出来ません。外部からの連絡も、息子を通じて伝える手段になりました。父は、歯がゆい思いをしているに違いないのですが、息子に負担を掛けて「すまんな」と度々口にしますが、息子の私は、体力・気力・資金力が続く限り添い遂げたいと思っております。

因みに、息子自身は、劇場で2回観にいきます(断言しちゃった!)
お時間が合えば、ご一緒する方いますか?

東映公式HPに東京撮影所のページがありました。
東映デジタルセンターの様子も此処から見ることができます。
http://www.toei.co.jp/studio/tokyo/

追記
白倉プロデューサーをお見かけしましたが、大変お忙しいようで会釈のみで失礼しました。
父と現役バリバリの白倉プロデューサーとの会話がお聞きしたかったのですが残念です。

今日のお話は、ここまで。
では、また。

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拡散希望!!【父、平山亨と特撮の巨匠 矢島信男会長との仲】のはなし

こんばんは。
今日は、暖かく春らしい日ですが若干風が強いようです。
今週から、秘密基地内が妙にざわざわと慌しくなってきました。

さて、今日の話題は【父、平山亨と特撮の巨匠 矢島信男会長との仲】のはなしです。

父のつくった数ある「特撮ヒーロー番組」を語る上で、特撮の巨匠 矢島信男会長の話をしなければなりません。

父との出会いは、父が太秦(京都撮影所)で助監督をしていた頃にさかのぼります。
「八幡船」という大作映画にセカンド助監督として参加している時でした。
東京撮影所から“矢島さん”という特撮技師が来て、特撮プールで船団海賊を撮るというので、父は見に行ったのでした。父はその時の矢島さんのイメージをこのように表現しています。

「スマートなダンディで、黒で統一したスーツ姿も颯爽としていた。」

以下「東映ヒーロー名人列伝」より抜粋
矢島さんは、その特撮プールを見て
「駄目だね、このプールはホリゾントの向きが間違っている。これじゃ、太陽光の撮影はできない」
技術部長はあわてた。
何しろこのプールは当時の技術顧問の立会いの元に設計施工された京都撮影所自慢のプールなのだ。それを矢島さんは一言の元に欠点を指摘したのだ。

矢島さんは
「撮影は夜やるとしてライト足場の用意、嵐の風を起こには、この扇風機では全く風量が足りない。大映に新しく作った航空機エンジンを使用した大馬力扇風機があるから、それを借りること」
矢島さんは、ビシビシ決めて鮮やかに所長室に引き上げた。

「すごい!」
これが矢島さんに初対面の印象だった。
以上抜粋

その後、ファンのみなさんはご存知だと思いますが、東映さんの番組クレジットで古くは、矢島信男さんの個人名であったり、特撮研究所のクレジットだったりと目にした事があると思います。
最近では、「日本アカデミー賞 協会特別賞」を2011年に受賞されています。

太秦での出会いから、父は、矢島会長からさまざまな事を教わったといいます。
「特撮は、本物の竜巻を起こそうと思ってはいけない。本物に見えるにはどうしたらいいのかを考えるのだ」
「船を引っ張ったら船首の切る波が出来ると思うな。波はそれらしく起こしてやらなければならない」

矢島会長もまた、父の資質を讃えてくれていた。
父は、理屈合わせに終始していも面白いものはつくれないと考えていた。
理屈が合っていても面白くないものは駄目だ。「なぜか こうなる」という考えかたを矢島会長は褒めてくれていた。
ワンカットの画面を見て「怒り」「悲しみ」「笑い」が感じられるような映像をつくるのが理想だと2人は共鳴したのでした。

矢島会長は、父より1歳年上になりますが、昨年の入院騒ぎから、何度もお見舞いの電話をいただき「お父さん」の具合は如何ですかと心配してくださいました。

1月28日 「故内田友作さん お別れ会」で2人は本当に久しぶりの再会を果たすことができました。
その写真はいつか、何らかの形で世に出せたらと思っています。その写真は、父は痩せてしまいましたが、「いい笑顔」矢島会長は、何歳になられてもダンディな方だと息子の私は思いましたね。

父と矢島会長は、「同じ目的のために」日本の特撮ヒーローを世に輩出し、そして面白い絵を撮るために研究を重ねてきたのです。

初めての出会いから何年経ったのでしょうか?
「絆」という文字がもてはやされているようですが、息子の私から見て「絆」という言葉以上の結びつきがあるように感じられます。
父と一緒にいつまでもお元気でいていただきたいと切に願っています。

今日のおはなしは、ここまで
では、また。

ランキング何故か3位に陥落しました。
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テーマ:特撮ヒーロー - ジャンル:テレビ・ラジオ

拡散希望!!【父、平山亨が日本中の子ども達に伝えたいこと】のはなし

こんにちは。
昨日は、春の嵐の中を強行軍で、父の見舞いに行ってきました。
いつもの場所では無いところで、ゆっくり話そうと父を迎えに滞在するフロアへ上がりました。
父に「よお!孫が会いにきたぞ」と言うと
「こんな暴風雨の中に、もう。。。」と言いながらも、気持ちが弾んでいるのがわかります。

今日の話題は【父、平山亨が日本中の子ども達に伝えたい事】のはなしです。

会話の主役は、2人。父と孫。
父は、孫には自分の仕事の話をしません。最初は、孫が話す事を実に嬉しそうに、ややオーバーアクションで相槌を打ちながら、聞き耳をたてています。そうです、父は、マシンガントーク炸裂しますが、聞き上手でもあるのです。孫に限らず、ちゃんと聞いてくれる大人たちを子ども達が好きな事を知っています。そして、褒め上手です。仕事は厳しい男ですが、子ども達に対してはリップサービスでは無く、良いところを見つけて子どもの目線で話しかけ褒めるのです。

そして、『泣き虫』です。思い出し笑いと云うのは聞いた事がありますが、父は、記憶を思い出しては泣くのです。一部のファンのみなさんは知っていると思います。座談会などでも、涙を溜めて話すといいます。『仮面ライダー』の企画段階で、想像上のヒーローに涙した父を、石ノ森章太郎先生は「彼ならできる」と村枝賢一先生の漫画で表現してくださっています。
そして、この話は以前書いたかも知れませんが、某劇団の子ども達の講師として教えていた時期もありました。子役と云えども、シナリオに泣くシーンがあれば涙を流さなければなりません。子ども達に泣く事を教えたのですが、父は一緒に泣いたと、本人が云います。

そして、笑います。実に嬉しそうに笑います。周りの人も幸せになるような笑い方です。「ニヤリ」などはしないでしょうね?仕事先では、どうだったか不明な部分でありますが、所謂、嘲笑という事をする性格ではありません。

怒ります。プロデューサーとして脂が乗っている頃でした。毎日ではありませんが仕事帰りの不機嫌さ、クルマの運転中、原稿などの書き物の筆が進まない時、兄が父に楯突いた時、次男坊の前でも怒ります。

父は、自分が住む場所や体裁など全く気にしない人です。そして、人より良い生活がしたいとか、良い車に乗りたいとか全く考えたことがないといいます。京都時代や東京に出てきた当初は、公団住まいでした。辻堂の公団に決めたのは、母の希望だと後年になって聞きました。母は、ミーハーな部分があって「大宮と辻堂」という選択肢を父から云われて「辻堂」と即答したのでした。昭和40年の辻堂など、今と比べて何もなく、サーファーなどカラフルなウエットスーツではなく、真っ黒なスーツ、「カラス」と呼ばれている時代です。

父の関係者に強く勧められて「持家」という方向にすすみました。あるとき父は云ってました。

「僕は、いい仕事ができれば満足なんだ。家なんて雨風凌げれば充分さ」

母は、それを聞いて怒っていましたけどね。

私は、次男坊でしたから割合、自由に何でもさせてもらいました。ほとんど「勉強しろ」などという事も云われた記憶がありません。「勉強」しろという代わりに「読書」しなさいと言葉では云いませんでしたが、自然とその行動をするように仕組まれた気がしています。父に何かを教えて貰おうとすると「調べてみろ」と国語辞典や百科事典などを引くような習慣がつきました。最近、電子化といって百科事典でも小さな機械になってしまったことを父は残念がっています。と云うのも紙の書籍で調べると興味が膨らむだろ?と言うのです。もっともな話で、百科事典の見開き2ページを見れば、写真や絵や言葉が自然と目に入ってきます。そんな父に育てられた息子ですから、父がしてくれたようなことを娘にもしてあげようと思っています。


父は、「悪魔くん」を筆頭にさまざまな子供向け番組を輩出してきました。其々の番組が、平山亨の子どものような存在であり、その番組を通じて日本中の子ども達にメッセージを送る、大事な語り手でもありました。

昭和からの多くのファンが、
「私達の子どもの頃、父がつくった番組から教わり人格形成をする上で基礎となりました。」と云ってくれます。今の時代からすれば、臭いセリフもあったかもしれません。ツッコミどころ満載なものだったかもしれません。「子ども番組」を面白くする為に、大の大人が束になって真剣に取り組むように舵取りしていたのです。当時、リアルに見ていたファンが大人になりDVDや有料放送などで、自分のお子さんと一緒に番組を楽しんでくれている様子が私に伝わってきています。ただ、「あはは」と笑って終わらない「人として重要なこと」を劇中に織り交ぜながらストーリーが進んでいきます。昭和ライダーは、劇中で“特訓”と称して新しい技をあみ出したり、ヒーローであっても努力していましたよね。

一昨日、『キカイダーとハワイ』の話題を記事にしました。大変な反響をいただいて恐縮しているのですがハワイでは『仮面ライダー』も放映していたと父は云っています。あの『仮面ライダー』でさえ、「キカイダー」に敵わなかったという事実には、父自身もびっくりしている様子です。できことなら、ハワイの方々に「なぜキカイダーあれほど、人気を得て記念日まで制定されるまでになったのか、ハワイに行って聞いてみたい」と昨日申しておりました。

「キカイダー01」の人間態を演じた、故池田駿介さんの遺灰が、ハワイの海で散骨されたことは知りませんでした。ブルー(知性)とレッド(情熱)の色の花びらと共に流したと聞いた父は、昔の現場を思い出しているようでした。

1日連載をおやすみしても、駄文に終わった感がします。
今日の話題は、ここまで。
では、また。

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テーマ:仮面ライダー - ジャンル:テレビ・ラジオ

拡散希望!!【人造人間キカイダーとハワイ】のはなし

人造人間キカイダー VOL.1 [DVD]人造人間キカイダー VOL.1 [DVD]
(2008/04/21)
伴大介、神谷政浩 他

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こんばんは。
エイプリルフールから明けて、穏やかな春の気候になりました。このまま続くかと思いきや、3日はまた強風が吹き荒れるとかニュースで流れていました。
自分でブログを開設しておきながら、毎日話題の選択の悩みを抱えながらPCに向かっております。

今日は、「人造人間キカイダーとハワイ」のはなしです。
まず、この番組の概略をご説明します。
1972年7月8日~1973年5月5日まで。その後、キカイダー01という続編が放送される
全43話。キカイダー01は、全46話なので、ロングランの番組でした。
この期間、「仮面ライダー」も同時進行していたので、父、平山亨は多忙を極めていたのでした。

「人造人間キカイダー」の人間態であるジロー(演:伴大介さん)はギターを背負って登場。サイドカー仕様のバイクも強烈な印象でした。
続編の「キカイダー01」の人間態であるイチロー(演:故池田駿介さん)はトランペット。実は、息子はこのトランペットを吹く姿に憧れて、平山家が1973年8月に藤沢市辻堂西海岸の団地住まいから東京都府中市戸建に引っ越し、転入先の小学校で吹奏楽が盛んなのを、その学校の朝礼で知り「ラッパ吹き」になったのです。兄に比べれば次男坊の私は、習い事はずっと音楽関係でしたね。その趣味は続いています。

この特撮ヒーローものも、37話から悪役にハカイダーを登場させるなど大変面白いものになっています。
息子の個人的な考えなのですが、頭部が一部内部の機械が見えていたり形がいびつだったりすることが、このヒーローの特色であり「人造人間キカイダー」の良さと言ってもいいと思っています。しかし、巷の評判は、批判も多かったと記されている文章も散見されます。
ただ、「不完全な良心回路」をストーリーに組み込んだ事で、キカイダー自身が板挟みになることもあり、ヒーローの苦悩も表現しています。まだ、この映像を見ていない方はDVDを入手してくださいね。

さて、この「人造人間キカイダー」「キカイダー01」がハワイで人気者になり記念日が制定されたり、演じた、伴大介さんは名誉市民として認定されております。
両番組もハワイで放映されました。当初は、日本語版に字幕のみの放映で大ヒット。では、なぜ、「キカイダー」だったのか?
近年のハワイでのプローモーションに積極的に関与しているのは、英語版キカイダーソフトの販売元JNプロダクションである。その代表であるNinomiyaさんが英語版ソフトで、伴大介さんと生前の池田駿介さんに日本語でインタビューを行い、1970年代にハワイでキカイダーシリーズを視聴して影響を受けた子ども達が道徳的に良く育った事を評価し、またその子ども達の世代がキカイダーを視聴して成長することの意義を強調している。
当時、放映したのは「キカイダーシリーズ」だけだったのか?そうでは無いらしい。巨大ヒーローも放映したのだったのだが、ハワイのロコ(地元住民)の心に響いたのは「キカイダーシリーズ」だったのだ。今世紀に入ってからも再放送され新しいファンを生み出している。この現象は「ジェネレーション・キカイダー」と呼ばれ、世代を超えた多くの人々がキカイダーファンとして存在する。

2002年4月12日にハワイ州知事によって4月12日が「ジェネレーション・キカイダー・デイ」に制定。
2007年5月19日にはマウイ市長によって5月19日が「キカイダー・ブラザーズ・デイ」として制定。

未確認情報なのですが、初めてハワイで「キカイダーシリーズ」を放映された時の最高視聴率は26%越え!さらにこれも未確認ですが、再放送時には70%だったとか!!この数字は、「キカイダー ハワイ」でググッて、たくさんあるハワイで暮らす日本人のみなさまのブログから拾ってきました。
また、「キカイダー」の主題歌も、ハワイロコのみなさんがすぐに覚えて、Barなどで大合唱になるんだとか。「キカイダー」のパワーはハワイでも炸裂していました。

ブログをいろいろ見ていると、「キカイダー01」の人間態を演じた 故池田駿介さんの散骨を知らせてくれるものがありました。池田駿介さんは、生前、身内に遺灰はハワイで散骨してくれと言っていたのでした。
「キカイダー」の色、ブルー(知性)レッド(情熱)の花びらと共に2010年11月11日(故池田駿介さんの誕生日)にハワイの海に流されたのでした。
そのブログURLは以下のとおりです。
http://sachiuchi.cocolog-nifty.com/colorsofhawaiibehindthesc/2010/11/01-7403.html

故池田駿介さんの父は、殺陣師である大内龍生さん(大野剣友会の創設者 故大野幸太郎師匠の師匠)ということも申し添えておきます。

父、平山亨は、「キカイダーシリーズ」がハワイで大ヒットしていること。二世代に渡って、子ども達の健やかな成長に役立ってくれている事を知っています。父が「勧善懲悪」のストーリーに、ヒーローでありながら「不完全な良心回路」に挟まれ苦悩したり、完全無欠では無いヒーロー像をつくったのです。
ヒーローを演じた俳優 宮内洋さんは「ヒーロー番組は教育番組である」と言い切りました。宮内さんだけではありません。藤岡さんも、佐々木さんも、父の番組で演じていただいた俳優さんは、みなさん揃って父の番組をつくる上での気持ちを汲み取って、演じ続けてくれました。

1月に行われた「故内田有作さん お別れ会」では、主演されたみなさんが、父の手をしっかり握り締め、しかも目線を同じ高さにする為に屈んで、実の親子のように話をしてくれた事が大変印象的でした。

父のつくってきた番組は、40年以上経つものも多数あります。時代が変わっても、根底に有るものは「人が人であるかぎり」変わらないのということが、ハワイで証明してくれたように思います。

ハワイでの「キカイダー」の表記は「KIKAIDA」のようですね。ハワイの街中のポスターはそのような表記になっていました。
東映さんのDVDパッケージは、どうやら英語圏での販売を意識しているような気がしますが、どうでしょうか?

今日の話題はここまで。
では、また。

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拡散希望!!【仮面ライダーを取巻く環境の変化】のはなし

こんにちは。
今日の『仮面ライダーフォーゼ』見どころ満載で楽しかったですね。
大杉先生が大活躍。まさか、仮面ライダー部の秘密を知ってしまうところで、次週へなんて。シナリオライターさん魅せてくれます。個人的予想は、大杉先生が仮面ライダー部の顧問(学園には非公式)になって、大杉先生もコミカル&レギュラー陣のサポートに回る、そしてボクシング部顧問役の長澤奈央さんに、恋をするという、想像をしていますが如何でしょうか?
『特命戦隊ゴーバスターズ』は、寝坊のため視聴できす。ごめんなさい。

さて、今日の話題は【仮面ライダーを取巻く環境の変化】のはなしです。
この話は、息子である私の私的見方が強いのでご注意ください(笑)

まず、リアルに旧1号から視聴したファンの方々、思い出してください。
今から、もう41年前です。何歳でしたか?
そのころは、「仮面ライダー」と一緒に闘っている気持ちでテレビにかじりつくように視聴してくれたと思います。ビデオというものも、まだ普及する前です。この放映を逃すまいとしていたのではないでしょうか?あの「ライダーキック」が、とび蹴りをする姿がカッコよすぎて、子ども達は皆、真似していました。息子の私も、体育館のフカフカマットを目掛けて大声で叫びながら、飛んでいました。ビビリですから、街中でできなかったのです。「仮面ライダー」ごっこもしました。息子も、遠慮しながら戦闘員で「イーッ」なんてね。
玩具は、「面子」(めんこ)。たぶん、「面子」ってなあに?というファンも多数いるのかな?知らない人は、近くの大人に聞いてください。四角い缶に集めて。友達と遊んでいました。

先ほど、Twitterで「仮面ライダー」の嗜好のいろいろを聞いていました。
映像、音楽、玩具、監督、シナリオ、スーツアクターEtc 実に多様化しています。それだけ、多くの方々に愛されている証です。

今月号の「日経エンタ」では、ロングラン商品に「仮面ライダー」がランクインしているそうです。まだ、本屋に買いに行ってないので何位かは知りません。でも、41年もの間、キャラの作り方が変われども、本当に親子、いや3世代に渡って愛すべきキャラになったのです。でなければ、嗜好の多様化など無いと思っているのです。
先日、拝見したコラムで「キャラクター玩具の購入」を記しているものがありました。
昔は、視聴率があるライン以上取れて、版権ビジネスがそこそこなっていれば、1年で新キャラで新番組とはなりませんでした。しかし、1年で新キャラで新番組が始まる事が判っているなら、親御さんたちは子どもに駄々をこねられても、現キャラの玩具購入を控えてしまう。親御さんにしてみれば、最初は喜んでもすぐに新キャラを買って、買ってとなるのが判っているから。そんな記事でした。

また、昔は≪中の人≫と言っていた人が、いつしか≪スーツアクター≫という名称に変わり、≪スーツアクター≫さんだけで、しかも顔出しで充分、お客様を呼べるまでになっています。そして、≪スーツアクター≫さんが好きで詳細にあのシーンのあの役は誰それさんが入っていて良かった、なんて会話も普通に行われています。

フィギアもそうです。むかしは、ソフトビニール製の人形で、遊んでいましたね。それが、フィギアとあわせて、コレクターという嗜好に。

テレビ放映分の監督さん、シナリオライターさんに注目してみたり。
本当に、みなさん楽しんでいただけているようで嬉しく思います。

「仮面ライダー」をつくった男のひとりとして、父、平山亨は、ここまで末永く愛され続けてくれるとは、当初思わなかったといいます。一時期、途絶えた時期もありましたからね。

一つの「仮面ライダー」が生まれ、時代が変わってスタッフも変わりました。音楽も変わりました。変わっていいんですよ。変わらなきゃいけない。血の入れ替えがなければいけないのです。

先日、親子の会話でこんな話しました。
「41年も経って、仮面ライダーが愛され続けているのは、東映という会社だったからなのかな?僕(平山亨)は、最初をチョコチョコっと文芸面をつくっただけで、若い世代が頑張って育ててくれたと思うんだ」
「これが、独立プロダクションだったら難しいかったのかな?人を大胆に入れ替えるって難しいからね」
父は、これまで携わってきたスタッフや関係者を思い、そんな話をしてくれました。

確かに、息子の知りえる範囲のファンでも「あれは仮面ライダーではない!」と力説したり、平成から興味は無くなったという方も実在します。否定は、しませんが父の息子である私は、なによりも「仮面ライダー」と名の付くものが無くなることを恐れています。
「宇宙刑事シリーズ」もあります。「スーパー戦隊シリーズ」もあります。でもね、等身大の特撮ヒーローを此処までに成長させたのは、「仮面ライダー」だと思うのです。全て、仮面変身ものの原点は、「仮面ライダー」だと思っています。

父が涙を流した被災地の子どもさんへのインタビュー。「仮面ライダー」になりたいって。「ウルトラマン」は宇宙人だから、なりたくてもなれません。子ども心に、もしかしたら「仮面ライダー」になれるかもと思わせる事が、ヒーローたる所以なのです。

子役の福くんが「仮面ライダー」になりたいって言うだけでニュースになります。
もう少し成長したら「少年仮面ライダー隊」の班長やってほしいな。

父譲りで話が飛びました。
この話はここまで。

では、また。

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【泣き虫プロデューサーの遺言状】講談社より好評発売中。
父、平山亨は、2013年7月31日23時24分心不全により他界いたしました。

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