2012-04

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【悲しいお知らせ 義兄であった監督 松村昌治さん、急逝】

親戚から連絡が入り、義兄である監督 松村昌治さんが亡くなり、昨日葬儀を済ませたそうです。東映関係者や、親戚関係者にも事後報告とさせていただいたとの事。全ての供花や御霊前などは辞退させていただいたとの事でした。享年92歳。大往生でした。

父と一緒の映画を撮った縁で、義兄弟となりました。
1951年から時代劇監督として活躍し、父が企画した『キカイダー01』、『ロボット刑事』のシナリオライター:中山昌一として参加。松村昌治さんは、引退後も父との交流も深く明るく楽しい話を、僕ら息子達にもしてくれました。京都に遊びに行った際も、バイクに乗せてくれたり、2家族で琵琶湖にも連れて行ってくれた事がありました。

松村の叔父さん(私はこのように呼んでおりました)は、父の事を「平山くん」と呼び、それは本当に実の弟のように接していました。つい先日まで、介護施設のデイサービスに通うのが楽しそうだと聞いていたのに。

この訃報は、公式ニュースにはなっていないと思います。
次の父の見舞い時に、報告すべきか考えなければなりません。
息子の私にも、優しく、時には厳しく(私の水泳の先生でした)してくれた、松村の叔父さん。

ご冥福をお祈りいたします。合掌。

では、また。

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拡散希望!!【仮面ライダーと乗松印刷さん、福屋の赤弁当、三栄土木さん】のはなし

仮面ライダー大研究―全100話&全怪人写真400枚と秘話仮面ライダー大研究―全100話&全怪人写真400枚と秘話
(2007/05/21)
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こんにちは。
いやー、今朝の『特命戦隊ゴーバスターズ』、『仮面ライダーフォーゼ』は、面白かった。
『特命戦隊ゴーバスターズ』は、売れっ子グラドル&タレントの「吉木りさ」さんが登場!!いつもの弾けたキャラとは違う姿が拝見できて、オジサンを自認する私は嬉しくなりました。
『仮面ライダーフォーゼ』は、財団Xは登場するし、太秦映画村での撮影シーンが多く観ていて楽しいものでした。ここ最近の『仮面ライダーフォーゼ』は、ストーリー展開が早くて見逃せません。
ニチアサで、続く『プリキュア』は、京都へ修学旅行の話であり、『仮面ライダーフォーゼ』の展開に申し合わせたような形でありました。大人目線で言えば、上手なステマ?のような気がしてなりません。

さて、今日の話題は【仮面ライダーと乗松印刷さん、福屋の赤弁当、三栄土木さん】のはなしです。

仮面ライダースタッフからの視点でお話しする際に、上記3つは外すことはできません。

「乗松印刷さん」は、父が現役時代に大変お世話になったシナリオを印刷していただいたところです。息子の私も、何度か父から「この原稿を乗松印刷さんへ」と運ぶお手伝いをしていました。もって行く場所は、喫茶店だと記憶しています。
当時は、PCが普及する以前でしたから手書きの原稿でした。それは大事に大事に、失くしてはいけない一心でした。
シナリオを子ども心ながら、ペラペラめくってみた事がありますが、ガリ版で印刷していました。あの手書きのガリ版の字が独特の味があって、私は好きな字でした。ロケハンに間に合わせる下さる為に、乗松印刷さんの関係者が多数待機して、鉄筆でガリガリと書いてくれていたのです。ですから、微妙な筆跡が違うこともありました。みんな大好きな『仮面ライダー』のために、早朝から頑張ってくれていたのです。たしか父から聞いた話だと、浦和にお住まいだった故伊上勝さん宅を早朝4時過ぎには出発しなければならず、6時に原稿渡して9時のロケハンに間に合うという厳しい状況でした。ある資料によると、『仮面ライダー』のシナリオは、阿部征司プロデューサーが担当されていたとか。しかし、故伊上勝さん宅前にクルマを横付けして待機していたのは、父もしていましたからね。今では、その話をする父は「もー、大変だったよ」と笑いながら教えてくれます。


東映生田スタジオの名物、福屋の赤弁当、略して「赤弁」。
父が、息子の私を生田スタジオに連れてってくれた時でした。昼時近くになると大量の弁当が配達されます。記憶に頼ると、プラスチックの弁当に、今で言う「のり弁」のような内容だったような気がしています。故内田有作所長が、生田スタジオの周りは飲食店がほとんど無い場所で厳しい予算の中で仕出し弁当を手配してくれていたのです。当時、小学生だった私も、スタッフさんが「食べていいよ」という優しい言葉に、感激していただいていました。当時のスタッフさんや、「中の人」、俳優さんも仰っていることですが同じ釜の飯、ならぬ「同じ赤弁を喰った仲」といわれています。一部には、犬もまたぐ弁当とする方もいましたが、私はおいしくいただきました。
ここ最近、何方かのブログを拝見していて、当時のことですが廃棄予定のシナリオを、そのお弁当を配達してくれる店先で1冊あたり数十円売っていたとか?私はその場を見ていませんので、未確認情報です。

そして、なんといってもロケ現場としてフル回転の『三栄土木さん』。
1971年4月から放映された「仮面ライダー」でしたが、当時の生田や稲城方面は、まだまだ街が出来上がっていませんでした。造成がどんどん進み、住宅が増え、店舗も増えて街らしくなってきました。昔の生田や稲城というのは、狸がでるようなところでしたね。高度成長期でしたから、ベッドタウンとしての開発がジワリジワリと進んでいたのでした。
父が思い出話として教えてくれるのは
「生田から山を越えるとあんなに素晴らしいロケ地があるなんて、僕らは恵まれていたよ。確かに、生田スタジオで仮面ライダーを撮り始めた時期は無い無いずくし。それでも、スタッフのみんなは“お金が無いなら、知恵をだせ」と創意工夫してくれた。怪人とのアクションはどうしても野外になるからロケ地というのは重要なんだよ」
「あの当時は、火薬を使ってのシーンが多くてね。あの三栄土木さんの協力がなければ、出来なかったよ」
「聞いた話だけど、今は火薬を使ったシーンが撮りずらいだってねえ。子どもはCGかどうか、容易く見破るからね」

映画やテレビドラマで使う爆破シーンをどんな火薬、または仕掛けでその効果を解説するサイトを見ていたら火柱なら「ナパーム」飛び散る砂煙なら「セメント」など、アクション映画好きなら知っていて損は無い知識かなと思います。

余談です。
爆破シーンでググってみると「西部警察」が多数出てきます。あれは、凄いを通り越して「無茶だろ」というレベルでしょう。

今日の話はここまで。
では、また。

ブログランキング、猛追されて焦っております。
ご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。

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父、平山亨は、2013年7月31日23時24分心不全により他界いたしました。

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