2012-05

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拡散希望!!【主役の怪我と監督、父、平山亨プロデューサー】のはなし

藤岡弘、の人生はサバイバルだ。藤岡弘、の人生はサバイバルだ。
(2012/03)
藤岡 弘、

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こんにちは。
GW終盤、秘密基地周辺は天気も良く、家族連れが楽しそうにお出掛けする姿が羨ましくなります。

今日の『特命戦隊ゴーバスターズ』、『仮面ライダーフォーゼ』楽しく視聴させていただきました。
今日は、じっくり視聴しようと実況は控え目にしていました。
『ゴーバスターズ』は、作り手のメッセージがよく伝わり、若い俳優陣も好演していますね。ロボットの場面では、「これ絶対お子さんが欲しくなる!」と思いながら視聴していました。キャラが出てくるたび、親御さんのご苦労が目に浮かびます。
『フォーゼ』は、太秦の楽しさを伝えながら、この回では驚きのシーンも。(個人的にですが)あの弦ちゃんが、人間態でのライダーキックを見せてくれました。あれは、単なる飛び蹴りではないと確信しています。ピンク色のシャツでしたが、あれが、赤いシャツなら感激していたでしょう。朝ドラでも活躍の赤目の理事長も好演。目が離せません。

さて、今日の話題は【主役の怪我と監督、父、平山亨プロデューサー】のはなしです。

旧一号ライダーの藤岡弘、さんの怪我のエピソードは、有名ですので別の視点からお話します。

あの怪我をしたシーンは、第10話でした。メガホンをとっていたのは、故山田稔監督でした。
故山田稔監督の後日談は
「嫌なものだよ。撮影中に誰かが怪我をするってえのは。監督が怪我をさせた訳じゃないと、皆、慰めてくれるのだが、事実、怪我をするような演技を要求した訳でもないのだが、藤岡くん本人も私の不注意で迷惑かけて済みませんと言ってくれているのだが、監督というのはとにかくスタートの号令をかけたのだから、心が痛むのだよ」

父は、太秦時代に同様の経験をしていたのだ。
父が監督として『銭形平次捕物控」(主演:里見浩太朗さん。1963年10月13日封切)のメガホンを握っている時でした。
「主演の里見浩太朗くんに怪我をさせてしまった苦い思い出がある。里見くんの銭形平次が川端の材木置き場での立ち回りのシーンだった。犯人が銭形平次に追われて、立て掛けた材木を倒して、それを避けて更に追うシーンだった。中々、思うような画が撮れずNGの連発だった。5回目だっただろうか、ひと通り撮れて、スタッフ全員の視線が監督に向けられた。みんな、へとへとに疲れていたのだ。ただ、しっくりいかない画なので、リテイクとなった。そこで大事な主役にけがをさせてしまった。倒れてくる材木が里見くんの顔に当たってしまったにだ。
顔を抑えて仰け反る里見くん。バラバラと走り寄る私達スタッフ!顔を抑さえた里見くんの指の間からタラタラと血が滴る。
「救急車!救急車や!」
目に前が真っ白になった。優しい里見くんのは、そんな私を安心させようと無理に笑顔を作ってくれた。
大事な主演俳優に怪我をさせてしまった!それも大事な大事な顔に怪我をさせたのだ。里見くんも私も、新米同士一緒に育って来たような仲なのだ。

診断の結果、彼の傷は目の下に数針の裂傷。ああ、眼球じゃなくて良かった。でも、大事な顔の傷が残りはしないか心配で仕方がなかった。

撮影は長い中断。

里見くんが抜糸を済ませて無事退院し、目の下の傷もまったく判らない元の美青年の顔でセット入りするまで、私は生きた心地がしなかった。辛いんだよねえ、監督というものは。何も怪我するなんて誰も思わなかった。でも、怪我してしまえば、やはりもう一度と言った監督は自責の念に駆られるのだ。

藤岡弘、さんの怪我から2号ライダーが生まれた。

毎日放送という局側と、父との考え方の相違。

父は、制作側のプロデューサーとして、「狼狽える事だけは避けよう」と心に決めたと云う。
この時の心情も、息子に教えてくれたので次の機会にお話しようと思う。

今日の話は、ここまで。
では、また。

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拡散希望!!【父、平山亨が思う、番組主題歌等のこと】のはなし

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こんにちは。
秘密基地周辺は、快晴で気持ち良い気候です。今日は、秘密基地を離れて某所で留守番?をしています。
巷は、GW終盤でお出掛けする方も多いかと思いますが、怪我や事故には気をつけてくださいね。

さて、今日の話題は【父、平山亨が思う番組主題歌等のこと】のはなしです。
先日、NHK-FMにて、10時間を超える番組“特撮三昧!”を放送していました。
父が主題歌などをどのように思っていたかを、探っていたらメモが残っていました。

父がかかわった番組に『花のお江戸の凄い奴』というものがありました。この番組は、残念ながら父のプロデュースではありません。ピンチヒッターで、プロデューサーとして参戦したのです。前任者が局側と喧嘩して、正式に東映側のプロデューサーを変更する要請があったのです。東映側としては、深刻な問題でした。番組を発注するのはテレビ局ですから、関係をこじらせる訳にはいかなかったのです。某管理部長から「君なら、うまくやれるだろう」と云われたという。この番組のエピソードは、別の機会に。
この番組の概略を簡単に説明すると、1969年4月、CX系、全13話でした。
音楽は、渡辺岳夫先生が担当。
実は、渡辺岳夫先生は、スポ根アニメの『巨人の星』の主題歌をつくった先生なのだ。

あの傑作の『巨人の星』は、高視聴率を誇っていた番組でした。しかし、その主題歌は、あまり売れ行きは良くなかったと、当時のコロンビアレコード関係者から聞いていた。
渡辺先生は、問わず語りで父にこんなことを話したと言う。

「あの主題歌は、スポンサーの大塚夫人が何人もの作家に競わせようと、曲を募った。私も、最後に出したのだが不採用で、昔つくった曲を出したら採用になったんだ」
つまり曲想は古いもので、その当時の子どもには通用しなかったと言うのだ。
父は、あの主題歌が好きだったと言う。

『仮面ライダー』の菊池俊輔先生も、
「あの頃の歌はあれで良かったのだが、それから数年世相とともに子どもの好みも変わって、あのテンポでは歌えなくなっているそうだ」と言っている。

父は、そのことについてこのようにメモを残している。
「よくコンピューター時代の子供の好みは昔と違うと云う業界人がいるが、基本的な好みは原始時代の子供も現代の子供も変わらないと、私は主張する。変わったのは、音楽とか色彩のセンスで付帯的センスではないだろうか?あまり先走りしてはいけないが、やはり、遅れていても駄目。それでも、『巨人の星』の主題歌は、根性もののテーマとしては最高の歌だった」


ラジオから流れてくる様々な特撮ヒーロー主題歌を、父と一緒に聞きたかった。
また、延々と話し続ける父の側で。

今日の話はここまで。
では、また。

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拡散希望!!【父、平山亨にとって仕事とは】のはなし

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こんばんは。
今日は、秘密基地周辺も雨模様です。気温もさほど上がらず肌寒く感じます。
今日は、1日特撮三昧!というNHK-FM(高松放送局)があり、楽しく聴取させていただいております。「これぞ、特撮ヒーローの主題歌だ!」と思わせるものや、副題歌等がラジオから流れて、気持ちを元気にしてくれます。NHKだからできるFM番組なのかな?とも思っています。

さて、今日の話題は【父、平山亨にとって仕事とは?】のはなしです。

先日の見舞い時に、息子の私は真面目な顔で父に「オヤジにとって仕事とは?」と質問した。

父は、申し訳なさそうにこう云った。
「僕がね、仕事、仕事って云うと、かあさんが(妻)怒るんだよ。」
「あなたは、仕事ばかりして家族、家のこと何もしない」って。
「俺はそうは思わないけどね」

「僕は、他人にどうしても負けたく無かったんだ」
「オヤジは、とてつもない負けず嫌いだしね」
「他人と言うのは、同じ会社であっても、他社であっても同じだね」

「仕事が無くなるという恐怖は?」
「それもあったな」
「干されたプロデューサーほど、惨めなものはないからな」

「“テレビプロデューサーというのは、敗者復活戦なんて無い”と、思ってるんだ」
「番組を放映できる枠なんて、そうそう増やせるものでもない。」
「だから、その枠をヒットし続ける必要があったんだよ」
「オヤジ、1週間に5本くらい放映できた時期あったしな」
「・・・」


父は、1つの大ヒットした番組で満足してしまう男では無かった。
いつも、ネタになるものを自分の引き出しに入れる。
そして、この企画を番組として放映させるんだと強い意思で書き溜めていた。

実家にあった古いアルバムを見ていて、父が良い笑顔で写真に映っている。
いつもは、父がカメラマン役だから家族の写真が多いのだけれど。

父は、決して「家」や「家族」を、まったく眼中に無く、仕事していた訳ではないのだった。
母は、どちらかと言うと「箱入り娘」的な育ち方をしてきたような感じがしていた。
9-17時の仕事が普通。残業をすればそれだけ残業代が加算されるのが、あたりまえ。
そんな幻想を抱いていたのかもしれない。だから、父の「仕事」という言葉を捕まえて
喧嘩にならない喧嘩をしていた。

まだ、藤沢市辻堂の公団住まいだったころ、父に反抗した兄に、激怒した父が玄関まで追い詰めて言った。
「俺が、朝から晩まで仕事して稼いでくることが家族への愛情なんだ」と鬼の形相で兄を叱った。
怖くて物陰から見ていた私は「スゲエ」と思った。

その話を父に話したら、「そんなことあったか?」と、惚けているが真意はわからない。

父は、私に「お前は、忙しいのに“家族旅行”にも連れて行き、偉いよな」とポツリと言ったことがある。
別に偉いわけでも無いのだが、旅行に行く動機は2回とも親孝行の為だった。

2回とも両親を誘ったのだったが、1回目は、母だけが参加。
年越しを箱根の温泉旅館に招待したのだ。女風呂で3代そろっての入浴。これは、母が気に入ってくれた。

2回目は、父だけが参加。父が脳内出血の入院から数年後の事。
東京ディズニーランドオフィシャルホテルへの招待。
父に実家へ迎えに行くというと断り、不自由な足を引きずりながらホテルのロビーへとやってきた。
孫娘との時間が楽しいようだった。娘も、父(平山亨)の話が楽しいようでくっついて話を聴いていた。

最近は、残念ながら自分の家族すら招待できずにいる。

私は、父を反面教師にするつもりで家族や親を旅行に招待したのでは無いが、実家の場所がさほどの距離でも無いが故に、「いつでも会える」「いつでも一緒に旅行くらい行ける」と思ってしまったのだ。

時々、親孝行について考えるような歳になってしまい、反省している自分がいる。

私が、家族を持って、そして子どもを養う身になって気が付いた事。
実家から出て、一人暮らししたなら度々、声を聞かせてあげよう。音沙汰無いことが、元気な証拠なんて嘘。親は、いつでも子どもの心配をしている。子どもがいくつになってもだ。
出来る事なら、「あなたの子どもは元気にしています」と笑顔を見せてあげよう。土産なんて気にする事ないさ。音沙汰無いことが元気な証拠と、息子が考えがちな事。余程の事が無い限り、実家に寄りつかないなんて事も。まさに、私がこれに当たる。

父が緊急入院した昨年春から、兄弟が急接近して、携帯電話が大嫌いな兄に電話を持たせて連絡を取り合っている。お互いに、助け合いながら凌がなければならない事が、理解できているからだ。

兄は、長男であるがために大変厳しく育てられた。鉄拳での教育もあたりまえ。それがトラウマになって父を遠ざけていたが、嫌いな父であってもやはり兄なりに行動してくれる。お互い2人同時は無理と判断。今のところ連係プレーは上手くいっている。心配は、今後の金銭問題だけだ。もし、2人とも介護施設入所となったら、今でさえ残高が減るスピードが早い。息子2人の支援などたかがしれているのだ。
これが、目下の悩みの種。

今日の話はここまで。
また、取り留めの無い内容になりました。
では、また。

追記
冒頭の本の表紙、父と私が大好きなものです。
父と「格好良いよなあ!!」と喜んでいます。

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拡散希望!!【父、平山亨とのひととき】のはなし

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こんにちは。
今朝は、《ハリケンレッド》こと塩谷瞬さんの話題でTVが盛り上がってましたね。これ、《ハリケンレッド》放送時でなかった事は、不幸中の幸いというか(また、ファンのみなさんに怒られますね)、まさに“瞬”な話題を提供してしまったようです。私は、大手プロダクションから個人事務所に移籍?した事実は、知りませんでした。所属する売れっ子ならば、通常所属プロダクションが必死になって「ネタ」を潰しにかかるのですが、それは叶わなかったようです。と、いうか、ここまで騒ぎになるとは関係者は思っていなかったのでしょうか?誰かが、笑い話で、上映中の映画「スーパーヒーロー大戦」の《ハリケンレッド》にモザイクがかかるのかしら?とTweetしていました。モザイクかけなくても、見つけるのは至難の技ですから。

さて、今日の話題は【父、平山亨とのひととき】のはなしです。

恒例の火曜日に見舞いに行ってきました。
父が車椅子から立ち上がっていました。その場面は、介護担当も目視していません。
すぐに、私は駆け寄り父に「駄目じゃん、転んだらどうすんの?」
父は「おう!大丈夫、大丈夫」と笑っています。
父は、昔から鞄いっぱいにモノを持ち歩く癖があり、今でも車椅子のポケットや座席の隙間に、新聞や本などが入っています。転ばなければ良いのですが、もう83歳のお爺ちゃんですので心配でなりません。

やっと落ち着き、義兄の松村昌治さんが亡くなったことを伝えました。
「92歳。大往生だったよ。松村の伯父さんらしく、息子達に“この日に死ぬから”と宣告して、見事にその日に亡くなったよ。苦しいとか、痛いとかの状態でなかったというから」と、父に正直に伝えました。

父は、残念そうな表情をしながら話始めました。
「松村の兄さんはね、『赤穂浪士』という凄い映画を監督:故松田定次先生のファースト助監督として活躍したんだ」
私は、すぐにipadでググってみた。
確かに凄いスタッフで固められ、俳優陣もこれまた凄い人がでている。
その画面を父に見せながら聞いた。
「オヤジは、その映画のスタッフに?」
「僕は、4thまたは5thの助監督で参加させてもらったんだ。本当に駆け出しの頃だけど、凄い体験をさせてもらった」

スタッフを見ると、
原作 大仏次郎 先生
監督 松田定次 先生
脚色 新藤兼人 さん ※当時、脚本とは言わず、脚色といっていました。
企画 マキノ光雄さん等 ※後の社長 岡田茂さんのお名前もありました
そして
助監督 松村昌治 さん

松村の伯父さんは、故松田定次監督から、「まっちゃん」とニックネームで呼ばれるほど懇意にしていただいていたたと言います。
父は、当時駆け出しの助監督でしたから、この時は、監督:松田定次先生からニックネームどころか名前すら呼んでくれないと立場だったと云います。

そこで、企画者;マキノ光雄さんと、助監督:松村昌治さんと 脚色:新藤兼人さん、そして監督:松田定次先生との間で、脚本について喧々諤々と話し合いを超えたものがあったと言います。内容は、ここでは控えます。あの時代に多くつくられた時代劇映画のひとつでしたが、『仕事として』熱い男たちの戦いがあったのだと知りました。

あの時代の監督に多くあったことなのですが、ひとつの映画がクランクアップすると監督宅にスタッフや関係者を招き、それは盛大な宴会が行われていた云います。たしかに、松村の伯父さん宅は広かった。

私が小学生の頃でした。父が運転するクルマに家族全員が乗り深夜に藤沢市辻堂の公団を出発して明け方に、京都市の龍安寺近くの松村の伯父さん宅に着いたことがありました。大きな柿の木がある家でした。
深夜に出発した理由は、例によって父の帰りが何時になるか分からないからでした。無事出発できたから、良かったのですが、こんな事もありました。

珍しく伊豆大島へ家族旅行へ行こうという計画がありました。当然、船旅になるのですが、父は仕事が押して帰宅できませんでした。母は、子どもが不憫な思いをするのはかわいそうと、出航に間に合うように父を除いた3人で旅行したことがあります。

話は変わり、父の口から『アキバレンジャー』という言葉が出てビックリした息子でしたが、良く聞いてみるとどのようなストーリーなのかは知りませんでした。機会があれば、この作品のDVDでもいずれ入手して見せたいと思っています。パイロット監督されている田崎竜太さんのことは、残念ながら知りませんでした。

現在上映中の映画「スーパーヒーロー大戦」の話題になりました。
息子の私が、巷では評価が厳しい意見もある事を伝えました。

父は、あれだけの登場するキャラと人物を出す映画が、如何に難しいものか知っています。
父に聞きました。
往年の東映マンガ祭りの『仮面ライダー』の映画って、どのくらいの尺?
「たしか、30分くらいだったよな」
それから、延々と当時の『仮面ライダー』映画の話になります。
父は、スタッフに、“こんなストーリー”の映画にしたいと伝えると、各スタッフは動きはじめます。

父は息子に、こう云いました。
「僕はこどもだから」
この言葉の「ハッ」と気づかされました。

父は自ら「子ども」と称し、「子どもを舐めるな」と檄を飛ばし、「子どもが狂喜乱舞するテレビ」をつくったのだなと。
父は、劇場版『仮面ライダー』の中で、1番のお気に入りは「地獄谷」のモノです。死神博士が、1号2号を騙して地獄谷に誘い出し、崖上にこれでもかッという多数の怪人を名乗りをさせて登場させるシーン。
もう、父から耳にたこが出来るほど聞きました。
父は、劇場で子ども達が狂喜乱舞している様子を、本当に嬉しそうに話します。
息子である私は、何度でも聞きますよ。父が嬉しそうに話す姿が、私も嬉しくなりますから。


息子は父に真面目な顔をして、この質問をしてみた。

「オヤジにとって、“仕事とは”?」

この質問に、真面目に答えてくれました。
その話は、次の機会に。

今日の話題は、ここまで。
では、また。

ブログランキング、父から叱咤されました。
1位だけど、この数字じゃなあ?
手厳しい父です。ご支援くださいませ。

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プロフィール

次男坊

Author:次男坊
【泣き虫プロデューサーの遺言状】講談社より好評発売中。
父、平山亨は、2013年7月31日23時24分心不全により他界いたしました。

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