2012-05

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拡散希望!!【変身忍者 嵐と快傑ライオン丸とウルトラマンA】のはなし

放送35周年記念 変身忍者 嵐 音楽集放送35周年記念 変身忍者 嵐 音楽集
(2007/11/21)
TVサントラ、水木一郎 他

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こんばんは。
ちょいと忙しくしております。公称無職を語っているものの、何やら頼まれごとが多く今日はこれまで、各方面関係者へ電話しまくりの一日でした。秘密基地が、何かの縁で『海の向こう岸』にあるため、呼ばれれば都心部に向かう事があります。都心部は、やはり時間の進み方が早く感じますね。秘密基地の周辺はクルマのクラクションを鳴らす地元民は皆無に近いようです。それも良し悪しなんですが。

さて、今日の話題は【変身忍者 嵐と快傑ライオン丸とウルトラマンA】のはなしです。

『変身忍者 嵐』について簡単に説明を。
1972年(昭和47年)4月から毎日放送・NET(現:テレビ朝日)系列で全47話が放送された。
嵐は大野剣友会のぶんちゃんこと、故中村文弥さんがメインで演じていることでも有名。

快傑ライオン丸の説明は、ググってください(笑

父がこの番組の苦戦理由を私に話す事が度々あるのだ。
「変身忍者 嵐」は、「ウルトラマンA」の裏番組に当てられた。父が尊敬する円谷さんの番組の相対する裏番組の時間枠に当てられたことは、逆に名誉な事だと思っていた。
しかし、この番組の不幸な事が起こった。この番組時間枠に特番が放映する事になったのだ。
父は、このように解析していた。
特番は、スポーツ関係の番組だったように記憶しているが、特にそのスポーツを見たいと熱望する子供で無ければ、「ウルトラマンA」を視聴するであろう。たしかに、あの円谷プロがつくる「ウルトラマンA」が面白くない訳が無い。「変身忍者 嵐」の視聴者が一部「ウルトラマンA」へ流れたのだ。と、考えていた。

『変身忍者 嵐』の不幸はこれだけでは無かった。
この番組が放映される間際になって、曜日は違えど同じ週に『快傑ライオン丸』が放映される事になったのだ。父は、他の番組も視聴する事はあっても、こちらの番組が面白ければいいのさ、などと考えていた。

しかし、父は白いライオンというのは凄いと思ったのだ。
そして、登場人物のタイガージョーという人物が主人公の正義一途に対して「ガツガツ力んでも、ろくなことないぞ。流れのままに進めば楽に生きられる」このセリフが象徴するような時代の変化というか、当時の「モーレツからビューティフルへ」なんて云われ始めた時代。父は、自分がモーレツ派であると自認しており、自分への嘲笑のようで堪えたというのだ。

後年、ライオン丸の潮哲也氏と仕事をした時、父は、「あの時『嵐』やっていたんですよと話すと、
潮さんは、
「私、知っていました。私も、『嵐』の主役の南条竜也くんと一緒の東映研修所だったんです」
この業界は、広いようで狭いと感じた、という。

父の大先輩である鷲巣富雄氏とはこんな会話も。
「しかし、よくも人間てのは全く同じころに同じような発想をするもんですなあ」と話し合って笑ったことも。

お互いの撮影の苦労話は延々と続くのだが、その話題は別の機会に。

今日の話題は、ここまで。
では、また。

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拡散希望!!【嬉しいご報告】のはなしです。

愛と勇気と夢を持て!愛と勇気と夢を持て!
(2005/11/12)
藤岡 弘

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こんばんは。
父への見舞いに行ってまいりました。そこのスタッフさんの間でも、どうやら『仮面ライダー』のお爺さんとして話が行き渡り、しかも息子の拙い文章を掲載したブログ読者が、握手を求めてこられ恥ずかしいやら、嬉しいやらの一日でした。

今日の話題は【嬉しいご報告】のはなしです。

TwitterでもUpしましたが、父が劇場映画監督としてデビューした作品、『新・銭形平次捕物控』1963年公開(主演:里見浩太郎さん)の父が使っていた台本の現物が戻ってまいりました。
そして、1号ライダーで主演の藤岡弘、さんが大怪我をされた10話とその前の9話も、いっしょに。
借主は、息子の私も知る人でした。最近、父の貸与した資料の事で、ブログやTwitterでUPしたのを見て、気持ちよく、保存状態も良好な形でご返却いただきました。

最初に『新・銭形平次捕物控』の台本ですが、最初のページに父の悪筆での走り書きがありました。父の映画をどのように表現して、観客に伝えるのか?そして、映画に対する心構えでしょうか?
父曰く、
「そりゃあ、初作品だから緊張したし、いろんな思いもグルグルと頭を回ったよ」
49年ぶり?に会った戦友にような思いで、この台本のページをめくっていました。
もう、この台本は父の宝物であり代理人である息子が厳重な管理をして、散逸しないように努めたいとおもいます。

息子としては、オークションにでていたその映画のポスターも父に見せたかったと残念でなりません。

次に、『仮面ライダー』第9話と第10話の台本も。
先般、10話のラストシーンでの事故について故山田稔監督の残念でならない思いや、父の奮闘についてUPさせていただきました。気になる方は、過去の記事を探してみてください。

その台本の字が懐かしくてたまりません。
当時は、乗松印刷さんという所が撮影に間に合うように手分けしてガリ版を切ってくれていました(この表現で正しいですよね)。微妙に筆跡が変化するのですが、読み易い字です。

父は、『仮面ライダー』の台本を手にしながら、故内田有作さんの話題になります。
「僕は、まだ彼が亡くなってしまったと思えないんだよ」
「あの日本中の子ども達を魅了した『ライダーキック』は、彼が言い出したんだ」
この話題は、息子としては耳にたこが出来るほど聞いたことがあります。
でも、さえぎる事無く父にはお喋りしてもらいました。

「有作がな「バッタだろ?バッタなら、ピョーーンと飛んでキックすれば良いじゃない?」

父は、「『仮面ライダー』があれほど人気が出たもの有作のおかげだよ」

生田スタジオの名物となった仕出し弁当の手配も、友作がなんとか工面してくれたものだし、生田スタジオの隣の贔屓目にみても立派といえないプレハブの建物に泊まりこんで、翌朝からスタジオの便所掃除を自らしたり、誰かが拾ってきた犬をシロと名づけ、「俺の気持ちがわかるのは、シロだけだよ」と犬に話しかけたり。
父は「僕でも、スタジオの便所掃除はできなかったなあ」


たかが台本。されど台本。父の資料ひとつで、鮮やかな記憶が甦り、苦労や涙する話も笑い飛ばせるひと時が過ごせるのです。もしかしたら、未だ公開していない逸話も聞かせてくれるかもしれません。

父は、前にもいいました。
「僕が目の黒いうちに散逸した資料が、戻ってくると願っている。返却するタイミングが逃したと思えば、責めやしないさ。『本当に、長い期間お返しする事が出来なくて申し訳ありません』の一言でいいよ。僕にとって大事な宝物だし、話を聞きたがっているファンの宝物でもあるんだ」

実に、寛大な父である。
息子の私は、好戦的な所が短所だと自覚しつつ父と同じレベルには成れそうもないが、父の意向にそって回収する窓口となりたいと思っています。


散逸した資料の回収について、様々な方からご心配いただいており、申し訳ありません。
「悪意のある彼等は、自己の正当性を主張するためには相手を陥れることも平気でしますよ」という貴重なご意見も。

対峙したときに、隠しマイクなど当たり前。強い口調になれば、脅迫された等など、他の経験者からもアドバイスいただいたり。

簡単な問い掛けです
「貸与した資料は、貴殿の手元にありますか?あるなら、すみやかに返却願いたい」

これだけですよ。シンプルでしょ?

冒頭の本は、藤岡弘、さん繋がりということで。
だって、台本の写真は、NGでしょ?(と思うのよ)


今日の話題は、ここまで。
では、また。

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拡散希望!!【ザ・カゲスター という番組を覚えていますか?】のはなし

ザ・カゲスター Vol.1 [DVD]ザ・カゲスター Vol.1 [DVD]
(2008/06/21)
特撮(映像)、立花直樹 他

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こんにちは。
秘密基地での工作が一段落しました。巷は、ああ、月曜日かあ。嫌だなあとなるのでしょうが、私は火曜日の父への見舞い日を除き、何だかんだと忙しくしているので、そのような嫌な感覚に襲われることは、ありません。強いて云えば、ガソリンスタンドで「この大酒のみのクルマちゃん!!」と嘆くくらいでしょうか?

さて、今日の話題は【ザ・カゲスターという番組を覚えていますか?】のはなしです。

この番組を簡単に説明しましょう。
『ザ・カゲスター』は、1976年4月から全34話がNET系で毎週月曜日に放送されていました。

年表を紐解くと、『ザ・カゲスター』と同時進行していた番組は、『秘密戦隊ゴレンジャー』『アクマイザー3』『がんばれ!ロボコン』『宇宙鉄人キョーダイン』『忍者キャプター』『ぐるぐるメダマン』と、合計で7本を準備段階を含めて、父とそのスタッフが奔走していたことになる。忙しい父は、ほとんど休みらしい日もなく、たまに家にいる時はひたすら体を休めるために寝ていた。息子の私は、活躍している自慢の父親を理解していたのか定かではないが「旅行につれていけ」と云ったことないと記憶している。

父は、「影」というものに不思議な思いがして、子供の頃から興味があったと云う。
父が子どもの頃に読んだ、外国の幻想物語で本人の影でありながら離脱してしてしまう物語を読みふけっていた影響かもしれないと、メモに残している。

父がどの時期だったのか代理店に人からこのように云われたという。
「東映さんは、全部縫いぐるみだ。怪人かロボットしかないのだろうか?人間の悪い奴をやっつけるなんてできないんでしょうか?変化に富んでいて面白いのに」

そこから父は、悪の組織ではなく人間の悪い奴をやっつけるものにしたのだ。毎回、悪い人間を登場させるのだ。

しかし、この着想が脚本家諸氏を苦しませることになる。
毎回、人間の悪い奴を登場させるには、その発生プロセスを描かなければならず、正味21分と数秒の中に収めるのには大変苦心したのだ。1話ごとのストーリーが、コクが無いものになりがちでもあった。
しかも、悪者がただの人間ということで、手加減しても弱いもの苛めに見えるようで、演出も難しかったようだ。

『仮面ライダー』のおやじさんこと、小林昭二さんが屯田警部(自称、名刑事であるが頼りにならない設定)として出演。父は、立花藤兵衛さん役の小林昭二さんを役者として大変高く評価しており、立花藤兵衛役との演じ分けが、プロデューサーとしてとても楽しかったと云うのだ。

この番組で監督として参加していただいていた長石多可男さんが、この番組が監督デビューと記されている資料があった。OP、EDも長石さんの演出だという話。全34話中、5話の演出をしていただいたのだ。
今では、東映の番組制作には多数参加していることは周知のことと思う。

今日の話題は、ここまで。
では、また。

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拡散希望!!【ジャイアント・ロボへの様々な思い】のはなし

ジャイアントロボ Vol.1 [DVD]ジャイアントロボ Vol.1 [DVD]
(2003/04/21)
特撮(映像)

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こんにちは。
今朝は、6:30に早起きして、しっかりとスーパーヒーロータイムを視聴しました。
『特命戦隊ゴーバスターズ』主題歌、好きです。譜面にしたら難しいものになるのでしょうが、特撮ヒーローものらしい歌詞を含めて素晴らしいと感じています。主役の3人も、最近は安定の演技を見せてくれ、今日などは特にイエローバスター役が可愛く見えました。贔屓目なのでしょうか?
『仮面ライダーフォーゼ』は、あのハチャメチャ感がタマリマセン。以前、大事なフォロワーさんから聞いたのですが、『仮面ライダーフォーゼ』は、学園ドラマとして見れば大変楽しいと解説してくれたのを思い出しました。おそらく、昭和ライダーしか愛せないファン心理としては、この部分が許せないのでしょうか?ヒーローたるものは、格好良くなければならない、とね。でも、私は、おおらかな気持ちで視聴していますよ。主役の弦ちゃんも、バラエティに出演したり写真集を発売したり、人気沸騰中です。『がんばれ!弦ちゃん』

さて、今日の話題は【ジャイアント・ロボへの思い】のはなしです。

何度か、このブログでも『ジャイアント・ロボ】を話題にさせていただいてますから、内容についてはググってくださいね。

父が『泣き虫プロデューサー』と呼ばれたのは、この『ジャイアント・ロボ』の試写室で号泣したというのが始まりと聞いています。そもそも、父は人情に厚く映画やテレビで、父の琴線に触れる部分があると息子が隣にいても涙を溜めています。

父のメモは、『仮面ライダー』についで多くの記述を残してくれています。
父の巨大ものへの願望は、『悪魔くん』『キャプテンウルトラ』で挑戦したが完成の域まで達していなかった。ミニテュアとの対比で大きく見せただけでは巨大ものとはいえない。と、記している。

父は、特撮の神さまでもある矢島信男さんと懇意にさせていただいているが、その矢島さんとも討論したという。

時代が移り変わり、アニメ企画で巨大ものを量産する時代を父が見ていて感じたこと。
アニメの巨大ロボットは、何しろ画で描くのだから好きなように遠近感を誇張できるのだ。この誇張によって巨大感や力感、スピード感を誇張しくるのだ。とある。

しかし、実写の世界では被写体があるのだ。できることといえば誇張したミニテュア人形を作って写したり、可能なかぎりの短焦点レンズで誇張するしかない。それも、極端な誇張は現実感を阻害するので自ずから限界がある。「動かない紙漫画の方が、動くアニメや実写映画よりも表現は広く自由である」という命題がここにもあると感じた。

その意味で、『ジャイアント・ロボ』は合格点だったのか?まず、やれたというのが評価され、表現面ではロボの掌の上に大作少年などが評価されて「東映だって」という思いを果たしたのだ。

父が現役の頃は、人気と視聴率を得る事ができればロングラン放映となるのが普通であった。
最近は、どうやら1年サイクルでの番組入れ替えで、どんどんキャラクターを量産している感がある。

父が何処かの場所でファンに質問されたという。
「映画というものは企画の最初から結末を想定してシリーズを構成して、それに向かって、すべてが語られるものではないのですか?」
父はこのように考えていた。
「劇場用映画は1本1本が勝負で、当然そのようなものだと思っていた。しかし、連続テレビ映画の場合は、100回以上連続することもあり結末なんか想定してかかると、全話なんとなく予定調和になるような気がした。だから当初の設定だけ大まかに決めて、あとは敵の戦略謀略にの発展に任せたり、主人公の性格や人生観に任せたりするようなルーズな方法で、監督や脚本家の面々を相談しながら1話1話の骨子やプロットやシノプシス(演劇・映画のあらすじ)にしてもらって、それをみんなで検討しながら脚本づくりしてきたのだ」


『ジャイアント・ロボ』の劇的な最終回はどうだったのか?

脚本家の伊上勝さんにプロットをお願いするまで決まっていなかった。

そして、ファンのみなさんが知っている最終回のストーリーとなるのでした。

父が自分で番組制作の舵取り役であるにも拘らず涙した理由は?
父自身の性格が最大の要因であるのは間違いないのだが、父がこの番組で伝えたかったメッセージが【友情と自己犠牲】であること。この番組を一緒に汗と涙と熟慮をして作ってくれたスタッフがいてくれた結果、そのメッセージを伝える素晴らしい映像になった事が嬉しかったのです。


今日の話題は、ここまで。
では、また。

余談
少し残念な事が、ジグゾーパズルにように情報が入ってきます。
貸し出した資料が、さも自己所有物のように雑誌や書籍に掲載され自己所有の既成事実をつくる輩がいるようです。大手出版社は、その辺は著作権問題に敏感なので心配ないと思っていますが。父のファンを思う気持ちを逆手にとり、自己満足のためだけに、そのような行為を繰り返す輩を到底許す事はできません。父は、自分が動くと大騒ぎになる事を心配して黙っていました。問題が発覚すれば、父に会って釈明すれば事は収まるなどと、甘く見ているようですね。そのような人物に父が会う事はありませんし、大人としてのケジメが必要だと父は考えています。
もし、その資料が父の手元にあれば、善良なファンのために資料をもとにお話がたくさんできる考えています。また、進展があればこのブログでお知らせします。


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拡散希望!!【特撮ヒーローや悪役の《中の人》への父、平山亨の思い】のはなし

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仮面ライダーバトルガンバライド 03

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こんにちは。
午前中は、使い物にならない頭とカラダに鞭を打ちながら、がんばって打合せしてまいりました。
相手は、気心知れている方です。一応、「午前中は苦手です」と言い訳しておきました。

今日の話題は【特撮ヒーローと悪役の《中の人》への父、平山亨の思い】のはなしです。

この話は、最近父が良く口にする話です。

『柔道一直線』の殺陣やアクションで困っていた父を助けるつもりで、故内田有作さん(東映生田スタジオ)が口説き落としてくれた“大野剣友会”が父がプロデュースした番組に多数出演してくれた事はファンのみなさんも既知の事実だと思います。あまりに、父が大野剣友会を多用するので、大野剣友会と平山亨は癒着しているのではないか?という噂があったそうです。父も、その話を耳にしています。
最近、父に真面目な顔しながら尋ねました。
「大野剣友会との噂、どうなの?」
「ああ、あれね。僕は、彼らの殺陣が素晴らしいから使い続けただけさ」
「そうだよな」

仮に癒着があったなら、今頃、悠々自適な老後を過ごしているはずです。

息子は、両親がお金の事で、喧嘩にならない喧嘩をしているのをよく目撃していました。
父は、自分の財布にお金が少なくなると母に請求するのです。
母は、父が休みもなく仕事しているのに給与が少ない事を愚痴り、その日は一日中、不機嫌なままでした。
内輪の話は、ここで終わり。

父がよく口にするのは、仮面ライダーストロンガーの試写会で大幹部の“ジェネラルシャドウ”の演技を見て、身震いしたというのです。
父は関係者に聞いた。
「あのジェネラルシャドウを被っているのは誰だい?」
「大野剣友会の河原崎洋夫です」
父は、この時このように感じたというのだ。
「河原崎くんは、大野剣友会の優秀なメンバーだとは知っていた。しかし、あれだけの演技ができるとは。僕が知っている限り、往年の名優 月形龍之介氏に匹敵するような表現を感じた。」
「強敵仮面ライダーと闘わねばならぬ宿命の背後に、味方陣営の裏切りを背負って哀しく、しかし雄々しく去っていくその後ろ姿は、男のロマンを語っていたのだ。」


仮面ライダーの《中の人》は、大野剣友会の様々なメンバーが演じてくれているが、中でも中屋敷さんとブンちゃんこと故中村文弥さんの演技を見て、父はこのように云っている。
「殺陣や立ち姿も格好良いが、仮面ライダーが振り返るシーンを観てごらん?振り返ると云っても様々な表現の仕方があるんだ。肩から動き出すもの。顎から動き出すもの。一段二段緩急と見事に演じ分けているんだ。これは、一朝一夕でできる事じゃない。それぞれ、最高のものをという気持ちで工夫を凝らし、アドバイスを請うて練り上げてきたものだよ」

父は、本気でこんな事を考えていた。
アカデミー賞(日本)で「縫いぐるみ演技賞」という部門をつくって、こういう縁の下の力持ちの演技に必死に挑戦して、素晴らしい演技で表現の世界を広げている人々に拍手を送るべきだと云う。

先般、ブログ記事にさせていただいた“ペットントン”の《中の人》に、やはり大野剣友会の故高木政人さんが、無理だと思う演技を遣り遂げてしまった話をさせていただいた。大事なファンの方から教えていただいた。小柄なカラダを生かし、スケバン刑事の吹き替えもしてくれていた。

その故高木政人さんの後輩にあたる、元大野剣友会メンバーのMichi Yamatoさんのブログ記事があった。
http://michiyamato.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_72ba.html

そして、故高木政人さんの事故について、二代目代表 岡田勝さん監修:『大野剣友会伝』(風塵社)このように記してあった。
その項の最後に
「畏友、高木政人君を悼む。君の夢は必ず僕達が一丸となって継ぐ」

当時、大野幸太郎を師と仰ぎ集まった武士とも云える男たち。
その気持ちが《中の人》としての演技で、プロデューサーの父を身震いさせた事が、使い続けた原因であったのだ。

今日の話題は、ここまで。
では、また。

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拡散希望!!【父である平山亨と過ごした贅沢な151分】のはなし

赤穂浪士 天の巻・地の巻 [DVD]赤穂浪士 天の巻・地の巻 [DVD]
(2003/12/05)
市川右太衛門、片岡千恵蔵 他

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こんにちは。
今朝は、6時に無理やり起きて都心部へ向かいました。時間帯が幸いしたのか、高速道路も順調に流れて目的地に早く到着。暫し、クルマの中でコーヒータイム。朝ドラも車内で視聴しました。昼には、秘密基地に戻りガサゴソと秘密工作をしております(笑

さて、今日の話題は【父である平山亨と過ごした贅沢な151分】のはなしです。

いつもより30分程度早く到着して、父の身の回りの世話をしてから、本題を父に話しました。
「松田定次先生の『赤穂浪士』を手に入れたけど観るかい?」
「おおー!!これは、凄い」
「でも、他のみなさんはテレビ観ているだろう?」
息子は、辺りを見回して「いや?誰も観ていないよ」
おもむろにDVDを用意して、介護スタッフに観れる様にお願いした。

いつもの東映さんのマークが時代を感じさせます。
この映画について、簡単に説明します。
1956年1月に公開されたオールスター総出演の映画。監督は、父の師匠である松田定次監督(2003年1月20日ご逝去、享年96歳)助監督は、父の義兄、松村昌治さん(享年92歳)そして、まだ映画人としては駆け出しの時代の父は、スタッフロールにも表示されない4th助監督?(父の記憶です)として参加。当時、脚色といわれていた脚本は、新藤兼人さん(現在も、監督として構想を熟慮中とか)制作は、マキノ光雄さん(1957年12月9日ご逝去、享年48歳)を始め、後の東映の社長となる岡田茂さん(2011年5月9日ご逝去、享年87歳)も名を連ねる。

このDVDのカバーの文言から引用
一うち二うち三流れ
今ぞ鳴り響く山麓流陣太鼓
四十七士勢揃い!

この貫禄、この偉容、この顔ぶれ!これが東映の忠臣蔵!!
巨額の制作費を投じ、約1年の歳月を費やして製作された東映創立五周年記念作品。大佛次郎の代表小説「赤穂浪士」をもとに、殿中松の廊下の刃傷から赤穂浪士四十七士討入りまでの厖大な物語を、赤穂側、吉良側それぞれの視点から描いた興趣溢れる一篇。日本最初の総天然色“忠臣蔵”である。
元禄十四年の春、播州赤穂五万三千石の当主浅野内匠頭は、幕府腐敗の卑しさに慣れた吉良上野介の仕打ちに怒りを爆発させ、江戸城中で刃傷に及んで即刻切腹、お家談断絶の処分を受けた。赤穂方の動勢を案ずる吉良方上杉家家老・千坂兵部は、浪人・堀田隼人と大泥棒・蜘蛛の陣十郎を隠密に送り、浅野家城代家老・大石内蔵助の動きを探る・・・。

立花左近に片岡千恵蔵、その名を騙り東へ下って敵討本懐を遂げる大石内蔵助に市川右太衛門が扮して好演。この両巨星に加え、吉良上野介に月形龍之介、浅野内匠頭に東千代之介、原作オリジナルの登場人物・堀田隼人に大友柳太郎、蜘蛛の陣十郎に進藤英太郎が扮する他、当代随一の時代劇スターが総出演。豪華演技陣により、数々の名セリフ・名シーンが甦る。巨匠・松田定次監督の手腕も冴える。“忠臣蔵”の決定版。(昭和31年1月公開 東映京都作品)


父は、26歳の時に、この作品のスタッフとして関わることができた。この事は、駆け出し同然だった父の立場からすれば、奇跡的なことだったようだ。父の太秦時代の話を聞けることは、まだまだ少ないのだが慢性的な助監督不足であった事も一因。しかし、その中でも東映さんの5周年記念の作品に関われたことは、父の映画人としての大事な財産となった。

父が座る車椅子に左側に並んで、画面を見ていた。
それと、同時にフロアに滞在するお年寄りが集まって一緒に観ることになった。年齢からすれば、ストライクな年代だから興味が沸いたのであろう。いつもは、落ち着かない人もおとなしく観ていた。

父が、この映画を独り言のように解説をしてくれた。
「この人が、大友柳太郎さん。」などなど、役名と芸名を判りやすく教えてくれる。

松田先生はね、セットの襖ひとつにしても拘りがあったんだよ。宮中のセットだから、安物の襖じゃいけない。
庭に花が咲いているだろ?松田先生は、「この時期に、この花が咲いていて良いものか、調べなさい」と松田先生が懇意にしていた京都大学の先生へ訪ねる事が父の役目のひとつだった。しかし、教授は「助監督ごときに」と冷たかったのだが、「東大卒」という事と、松田先生の使いであることが有利に働いたという。

現在、大河ドラマの『平清盛』の画面が某知事の発言で騒ぎになっているだろ?松田先生は、色合いは違うけども、この『赤穂浪士』の画面のような色合いが好きだったんだよ。

松の廊下のシーンでは、『凄いだろ?セットで、あの立派な廊下を作ってしまうんだ。奥行きが溜まらないね。役者二人の間に見える襖(?)が松の絵柄ひとつでも、史実に合っているか、場にそぐわないものではないかと、常々、松田先生は、調べさせて納得のいくものを撮っていたという。


この映画を作るにあたって、こんな逸話を教えてくれた。
製作であるマキノ光雄さんが、脚本に駄目だしをしたのだ。監督の松田定次先生も、「ええ、面白くない」と同意。この発言に脚色(脚本)の新藤兼人さんが激怒した。しかし、一部の書き直しを余儀なくされた。映画が公開された後、映画評論では新藤兼人さんの手腕は、大絶賛された。それからというものの、新藤兼人さんは、口を閉じたそうだ。

息子の私が、映画を観て感じた事は、両御大は存在感も十二分あり、セリフがなくとも目と表情だけの演技には素晴らしいの一言。また、各役者さんが火花を散らすような演技を観ていて心地よい。劇中で、四十七士が討ち入った殺陣も素晴らしい。
「オヤジ、これ凄いね?」
「殺陣の人達も、この映画に出演できるという事は凄い事なんだ。手抜きなんか出来ないさ。みんな一流な人達さ」


本当に、贅沢な151分であった。
父も、久しぶりに観たようで「トイレ休憩」を拒否して、親子で画面に噛り付くように観ていた。

父、平山亨は、「特撮ヒーロー」や「根性もの」のテレビプロデューサーとして、少しだけ有名になってしまったが、父の映画人(劇場映画もテレビ映画も一緒という意味)としての、源流は「時代劇」にあると確信した時間だった。

そして、父が師と仰ぐ『松田定次先生』は、父にとって永遠に師弟関係であり、尊敬する気持ちに揺らぎは微塵も感じられない。それこそが、師と仰ぐ事の最低条件であると息子の私は、声を大きくして云いたい。

今日の話題は、ここまで。
では、また。

余談
先程、父の関係者から嬉しいお話があった。詳細はここでは云う事はできないが、次回の見舞い時に伝えようと思う。父の嬉しそうな顔が見たいから。

Amazonから「MOVIE大戦MEGAMAX」が秘密基地に届きました。6月かな?一緒に見る事ができるのは。

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拡散希望!!【ペットントンの《中の人》ご存知かな?】のはなし

特撮ヒロイン・ファンタジー主題歌・挿入歌大全集特撮ヒロイン・ファンタジー主題歌・挿入歌大全集
(2004/10/20)
テレビ主題歌、朝川ひろこ 他

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こんにちは。
昨夜は、疲労のために寝落ちしてしまいました。明け方、目が覚めたら、電灯とテレビが点けっぱなし。いかんですよ。こんなことでは、と自省する。

巷は、金環日食という天体ショーの朝でした。朝は、全く役に立たない私です。テレビで、鑑賞させていただきました。観測用グラスが売切れで、肉眼観察というムチャした方がいませんように。

最近、いろいろな所からお話をいただきます。良い話。残念すぎる話。
話題に移る前に、残念すぎる話を告知させてください。
まだ、著作権が認識が甘い時代のことでした。ビジネス以外でも、父はファンのみなさんの為ならと資料(台本、書籍、写真、音楽、等など)を貸し出していました。きちんと返してくださる、素晴らしいファンもいます。しかし、お返しいただけない資料が、かなりの数になると最近知りました。まだ、お手元にあるなら、ご返却願いたい。父は、間違っても「譲る」という事は申しておりません。「一時貸与」という約束です。あまりややこしい話にしたくありませんので、再度申し上げます。ご返却ください。
返却先は、代理人である私宛でOKです。コメント欄へご連絡ください。

さて、今日の話題は【ペットントンの《中の人》ご存知かな?】のはなしです。

東映さんの不思議コメディの第3作になります。

簡単に、この番組についてご説明します。
1983年10月からフジテレビ系で全46話が放映されました。原作は、ご存知、石ノ森章太郎先生。父は、企画として参加。前2作はロボットものからの方向転換となります。
視聴率は、最高視聴率:20.5%(東映不思議コメディーシリーズ史上最高記録):ビデオリサーチ関東地区

父のメモを開くと
このキャラクターの要望は、最初は局プロデューサーからの注文で、とにかく人間型ではなく人間より小さい奴という内容で、石ノ森章太郎先生にデザインしてもらったのだが、私は心配していた。キャラデザインは素晴らしいのだが、その小さいキャラの中に入ってどうやって動くのだ。と、記している。

局プロに真意はこのようなものであった。
「人間が入っているって判ってしまうデザインでは、今や作る意味がない」

このキャラに入って《中の人》を演じてくれたのは、大野剣友会のメンバー:高木政人さんでした。
当初、中に入れても歩く事すら難しい状況でした。その様を見ていても局プロは止めようとは云いませんでした。局プロが止めないという姿勢に、このスタッフなら、必ずや、やってくれるという信頼だと父は感じていました。

監督に、何とか絵になるようにお願いをしてみた。
心配になり現場を覗くと、監督は意外に機嫌よく
「政人の奴、やってみますって、軽トラから飛び降りて階段上がる所までやりましたよ!」なんて笑って報告してくれた。

それからは、驚きの毎日だった。
スケボーに乗って最長不倒記録をだしたり、通常は、キャラクターの表情を外部から操作して動かす仕掛けを付けるのだが、それを嫌って、自分の口などで動かす工夫をして自分の演技としてやってくれたのだった。

その努力の結果、視聴率が20%を越えた。ご褒美として(?)劇場用映画の撮影では香港ロケまで行かせてもらったほどだったのだ。

名優、高木政人さんはペットントンを終えてネムリンをやっていたある朝、撮影所前で交通事故で亡くなってしまった。

共演していた佐渡稔さんは、こんなコメントされています。
「彼はすっごく勉強してた!動き方とか、セリフの意味を体に入れて、そういう時にはこう動くんだって言って、彼はほんとに凄かったですね。お芝居の勉強をしたいですってよく言って来てましたから。将来は顔も出したいから、お芝居の意味を理解して動きたいからと、凄く勉強してましたね……中に入っている人が、そういう気持ちで動くから雰囲気が出るんだなって、逆に教えてもらいましたね」東映ヒーローネット:第12回インタビューから引用

24歳の若手のホープを失った、大野剣友会二代目代表である岡田勝さんは、人目を憚らず号泣したという。
そして、彼を慕っていた子役達が大泣きしていた。彼は、本当に優しくて現場では子役達を励まして、育ててくれたのだった。

今日の話題は、ここまで。
では、また。

余談
上記主題歌・挿入歌全集がどのような曲が収録してあるかはAmazonのレビューを参照ください。ファンがUPしてくれています。

ブログランキング、第2位に陥落。助けてください(泣


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拡散希望!!【日曜日の朝9時に果敢に攻めた不思議コメディ】のはなし

ロボットコメディ 主題歌・挿入歌大全集ロボットコメディ 主題歌・挿入歌大全集
(2007/01/24)
テレビ主題歌、コロムビアゆりかご会 他

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こんばんは。
今朝の『仮面ライダーフォーゼ』は、楽しく視聴させていただきました。主役の弦ちゃんの短ラン下のシャツの色が気になってしかたがありません。先週に続いてレギュラー陣の「JK」の活躍が素晴らしかったのですが、とうとう「JK」の本名が独り言で明かされました。その名は、「神宮海蔵」。やはり、神敬介を連想させるアナグラムでありました。一説にありましたが、神 カイゾークという解釈も。

『特命戦隊ゴーバスターズ』あまりの眠たさに内容は覚えていません。ごめんなさい。

さて、今日の話題は【日曜日の朝9時に果敢に攻めた不思議コメディ】のはなしです。

実は、スーパーヒーロータイムの発祥は、ここからのようです。
番組『ロボット8ちゃん』は、東映さんの不思議コメディシリーズの第1作です。
1981年10月からフジテレビ系で全52話が放映されました。

父のメモによれば
「日曜日9時台の路線の大元は、読売広告の突撃精神からだった。その時間は、大人はもとより子供も、まだ寝ているか、既に遊びに出掛けているかという時間帯で、視聴率なんか2%台の捨て時間帯だと呼ばれていた」

確かに、初回は2.8%と苦戦を強いられていた。第14話から、テコ入れを行い終盤の第50話で視聴率16.8%を得る事が出来た。(ビデオリサーチ調べ、関東地区 完全な資料から)

この『ロボット8ちゃん』のスタッフ。原作は、ご存知 石ノ森章太郎先生。父は、企画として参加していた。今までとは代わり、東映東京製作所(大泉)のオリジナルメンバーでの制作となった。

当時のメモで
『柔道一直線』と視聴率を猛追してきた『アタックNo.1』の敏腕プロデューサーである内間稔さん(読広)と一緒に仕事ができる喜びを記している。当時、読売広告さんは、その捨て時間帯であっても面白いものを提供すれば子ども達は必ず観てくれると意欲的に持ちかけてくれたのだ。

当時の話を少し。
家庭用ビデオデッキ自体が登場したのは、1977年~78年辺りですが、当時は約30万円ほどする、大変高価な物であり、一部のブルジョアの持ち物でした。
普及し始めるのは、80年代に入ってからです。1982年頃になって、ようやく「ビデオソフト」が登場、1983年辺りに「レンタルビデオショップ」が出現し始めました。

このような時代背景でありました。みなさんのご家庭では、普通に録画して好きな時にその消化をするようになったのはいつからですか?

ニチアサの視聴率が伸び悩んでいるようです。(ビジネス的には大変好調な様子)
『仮面ライダーフォーゼ』5月13日までの平均視聴率6.1%
『特命戦隊 ゴーバスターズ』同    平均視聴率4.3%

だから何なの?と云うわけではありません。
番組が好評で、シアターロッソや映画の入場者が増加なんてニュースもあります。

視聴率という計測方法が具体的にご存知な方はいらっしゃいますか??
ビデオリサーチという会社のHPがこちらになります。
http://www.videor.co.jp/top.htm

聞いた話ですが、テレビに取り付けられた計測機器を通過しないとカウントしないそうです。
ですから、ビデオの設置は別回線になりますから、多くのファンが録画で楽しんでくれていても、残念な事に視聴率という成績表に反映はされないのです。

過去に日曜日の朝という捨て時間帯を、現在のニチアサを含め各放送局が着目したのは、ご説明するまでもありませんね。

今日の話題は、ここまで。
では、また。

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拡散希望!!【がんばれ!レッドビッキーズを知っているかい?】のはなし

がんばれ!レッドビッキーズ VOL.1 [DVD]がんばれ!レッドビッキーズ VOL.1 [DVD]
(2005/10/21)
林寛子、高田敏江 他

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こんにちは。
昨日は、打合せと称して埼玉県北東部とそれに隣接する千葉県北部に、愛車を爆走していってきました。
運転するのは父譲りで好きなのですが、最近五十肩を発症してから「やや辛い」状況になりました。自然と直るものだと言う噂なので、ほっといていますが。

さて、今日の話題は【がんばれ!レッドビッキーズを知っているかい?】のはなしです。

番組のスタッフロールにはクレジットがありませんが、何らかの形で番組に関わっていたようです。
東映さん側のプロデューサーは、仮面ライダーで大活躍された阿部征司さんです。
父の書斎には確かにこの資料やら、原稿等があったのは記憶しています。

この記事は、もっと早くUPするべきだったのかしれません。
この番組を精力的に監督された故奥中惇夫監督の急逝を知ったところに、監督のご長男とツイッターで知り合う事が出来ました。彼は、父親とは違う畑で活躍されています。最近、私のfACEBOOKでも繋がる事ができて、息子同士の交流が出来たら嬉しいと感じています。

その通夜に参列させていただきましたが、その《がんばれ!レッドビッキーズ》の初代監督をされた林寛子さんが、選手役だったみなさんを引き連れて参列していました。

別室で、林寛子さんにご挨拶させていただきました。
「元東映プロデューサーの平山の息子です」
「あら~!!似ている方がいると思ってました」
と、当時の面影を残した明るい方でした。
「今日は、当時の選手も一緒です」
林寛子さんと並んで、男性がずらりと。年月の経過を感じる成長振りです(良い意味でね)

故奥中惇夫監督の著書『仮面ライダーがエントツの上に立った日』にも、監督の熱い思いが記されています。
この企画を故奥中惇夫監督に持ち込んだのは、父、平山亨だったのでした。
父も、野球を実写ドラマにする事に当時は難しいと感じていました。
高校2年生の女の子が弱小野球チームを引き連れて、織り成す青春ドラマが故奥中惇夫監督を「好きなテレビ映画」のひとつとして挙げておられたのは、納得する事でした。
父がプロデューサーとして、主役:桜木健一さんの『柔道一直線』の素晴らしい映像を撮っていただいたのが故奥中惇夫監督です。
近藤正臣さん演じる結城真吾が「ピアノの上で足で弾く」という回があまりにも有名です。この回を撮ったのが故奥中惇夫監督でした。


さて、主演の林寛子さんのお話を少し。
劇団いろはの子役として活躍されていました。父が携わった番組の子役に劇団いろはにお願いすることが多かったようです。どの時期だったか、忘失しましたが父が林寛子さんの保証人になっていたことがあります。その後に、林寛子さんは、劇団いろはを辞めることになりました。(私の記憶では・・・)父は、残念そうにしていましたね。事実関係は、父の口から聴いていませんがお辞めになる前に「相談」があったのでしょうか?その辺が気になります。
林寛子さんは、フジテレビ系で放送された『君こそスターだ!』の初代グランドチャンピオンでした。(豆知識)

現在では、大田区雪谷大塚というところでカラオケ関係のお店をされているようです。
ツイッターも参戦されています。@lovely_kankan

父の特撮ヒーローとは、別の路線に「スポ根」や「職根」(どっこい大作)などがある。
がんばれレッドビッキーズは、「青春ドラマ」とあるが、これも「スポ根」も多分に含まれていたと思う。

父が伝えたかったメッセージは『駄目人間よ。希望を捨てるな』だったと云う。

原作は、石ノ森章太郎先生。
番組中、シーンが入れ替わる時、石ノ森先生が描いた絵を入れていました。
この素晴らしい絵が、この青春ドラマに暖かい感情を植えつけてくれたのではないでしょうか。
その絵も、故奥中惇夫監督曰く、「その場でささっと鉛筆を走らせて描いてくれた」「こんなのもあるよ」と、その状況を著書で記しています。

今日の話題は、ここまで。
では、また。

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拡散希望!!【秘密戦隊ゴレンジャーが登場した1975年】のはなし

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(2004/03/17)
TVサントラ、ささきいさお 他

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こんばんは。
昼間、打合せに向かう道中(館山道)で、ビックリする出来事がありました。
場所は、富津竹岡IC過ぎたあたりでしょうか。
爆走中の50m先を「サル」が横切りました。急ブレーキをかけたので、「サル身事故」にはなりませんでした。お恥ずかしい話ですが、我が秘密基地の近郊は、そんな場所でした。やれやれ。

さて、今日の話題は【秘密戦隊ゴレンジャーが登場した1975年】のはなしです。
先週の見舞い時の、父から「ある切っ掛け」でモモレンジャーの話になりました。

簡単に、秘密戦隊ゴレンジャーとモモレンジャーの概略を説明しましょう。
1975年4月から1977年3月までNETテレビ(現在のテレビ朝日)系列で毎週土曜日、全84話が放送されました。「スーパー戦隊シリーズ」最初の作品です。
最高視聴率22.3%(第41話)初回放送15.2%(第1話)平均16.1%
父の口からは聞いていませんが、戦隊シリーズでこの最高視聴率は未だ破られていない記録だそうです。

モモレンジャー
役名:ペギー 松山(ペギー まつやま)
ゴレンジャーの紅一点で、イーグル北海道支部の唯一の生き残り。12月16日生まれの18歳。一人称「私」。
武器開発と爆発物処理のスペシャリスト。非常に落ち着いた性格で明日香の抑え役に廻ることもたびたびある。女性ながら格闘能力も一般イーグル隊員を凌駕しており、柔道の有段者でもある。他に能なども嗜んでいる。このような設定でした。

演じていただいた女優さんは、「小牧りさ」さん。モモレンジャー役以前に、東映さんの「非情のライセンス」にリサ役で出演していたというが、どの回であったかは未確認。
父とスタッフが、モモレンジャー役に「小牧りさ」さんをキャスティングしたのは、きれいなハイキックが出来たからだそうだ。父が、本人から聞いた話だと、ジャズダンスを嗜んでいたからだとか。(ハイキックの画像は、ググるとありますよ!!)

「秘密戦隊ゴレンジャー」ファンのみなさんは、私が説明するまでもなくゴレンジャーがどのように組織されたかご存知な方も多数いるのではなかろうか。

組織設定は、このようなものだった。
イーグルとは、国際防衛機構を意味する「EARTH GUARD LEAGUE」の略式名称で、頭文字を取って"イーグル"と呼ぶ。国際的に暗躍し、全人類の抹殺をもくろむ黒十字軍の侵攻を食い止めるべく、国連が設立したゴレンジャーチームを擁する国際的平和組織の秘密防衛機構である。スイス・ジュネーブに本部を持ち、世界各地に10ブロック(中近東、北アメリカ、東南アジア、中央アジア、オーストラリア、アフリカ、ヨーロッパ、南アメリカ、アメリカ、日本)のガードサークルを設定し、それぞれの地区における指揮・統括は、総司令によって担われる。ゴレンジャーが所属しているのは、日本ブロック関東支部。日本ブロックは、黒十字軍の総攻撃に遭って一時は壊滅状態に追い込まれたが、対黒十字軍専門チームであるゴレンジャー隊の新規編成と共に、新しく生まれ変わり、組織全体の活動に一切の支障をきたさなかった。その日本ブロックを指揮するのが、江戸川総司令であり、その本部は東京の副都心・新宿の地下に設けられている。新宿にあるスナックゴンの地下100メートル、そこがゴレンジャーの基地であると共に、イーグルの本部となっている。軍事機構として、各地にコンビナートや各研究機関、発電所などを擁しており、科学施設は日本各地に存在している。

父は、国連に関する資料を調べたのと同時に、当時の世相を肌で感じていたのです。
1975年は、2月11日 - イギリス保守党の党首にマーガレット・サッチャーを選出(同党初の女性党首誕生)。当時としては、女性が政党党首になり国家の元首となることは、大変なことだったのです。

国連では1975年(国際婦人年)の3月8日以来この日を「国際婦人デー」と定め、現在は国連事務総長が女性の十全かつ平等な社会参加の環境を整備するよう、加盟国に対し呼びかける日となっている。

父が、多人数のヒーローを成功させる「鍵」として、女性が共に戦うヒーローであることが必要だと感じていました。
「秘密戦隊ゴレンジャー」が生まれた経緯は、有名すぎる話ですが、当初テレビ局側が「ヒーローは単独であるべき説」が根強い中を、多人数ヒーローをより面白くするために考えついたものだったのです。

父が番組をプロデュースしていた当時は、視聴者対象年齢を低年齢の子ども達を想定していました。
今までの、ヒーローはひとり。残りはどうしても悪役にならなければならない。ましてや、女の子も少なからずヒーローごっこをしたいのに、「女の子」だからと仲間に入れてもらえない。そんな状況を打破したかったと父は云う。テレビで観る戦隊ヒーローに女の子がいれば、女の子も遠慮せずに「仲間に入れて」もらえたのだ。後に、父が公園で見たその光景が、微笑ましく嬉しいものだったと云うのだ。

戦隊もののメンバーに女性が欠かせないものになったのは事実。
当時から、カラダが動く=アクションができる女性が気になる様子で、日頃から情報は収集していた。
試写会で観た女優さんも気になる様子で、帰路の介護タクシー内で「あの娘は、誰だ?」と質問攻めにあったのだ。

機会があれば、最近「仮面ライダーフォーゼ」でゲスト出演してくれた長澤奈央さん。MEGAMAXで活躍した人見早苗さん。オーズで出演してくれた有末麻祐子さん。あげればキリが無いけど、父と並んでDVDを観ながら、レクチャーしてあげようと思うのだ。

先日、NHK-FM(高松放送局)で長時間プログラム『特撮三昧!』を聴いていて思った。
1975年から始まった「スーパー戦隊」をリアルに視聴していない世代であっても、その格好良さに憧れて、『私は絶対、アクションができる女優になるんだ!』と日々努力を惜しまない女性がたくさんいることが嬉しい。

父が云ってました。
「顔出しの女優さんも難しいけど、今では《スーツアクター》と呼ばれて注目されている中の人も難しいんだぜ?顔が隠れているから、『背中で演技ができるようにならないとね』」

是非、目標とされている女性は、「小牧りさ」さんから始まった女性ヒーローは、小さい子ども達が憧れるような存在になって欲しいと願ってやまないのです。

今日の話題は、ここまで。
では、また。

追記:「秘密戦隊ゴレンジャー」には、ブログなどで云えない話がまだまだあります。
チャンスが到来すれば?(あるかなあ?)お喋りするかも、というレベルで。


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拡散希望!!【イナズマンへの父、平山亨の思い】のはなし

<石ノ森章太郎 萬画大全シリ-ズ>イナズマン / イナズマンF ― サウンドトラック<石ノ森章太郎 萬画大全シリ-ズ>イナズマン / イナズマンF ― サウンドトラック
(1998/11/21)
TVサントラ、水木一郎 他

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こんにちは。
昨日、恒例の見舞いへ行ってきました。
父にたくさん伝えなければならない事があるのですが、開口一番ブログ記事【快傑ズバット】が大変な反響になり、閲覧数も当日だけで1000件オーバーという事を父に伝えました!

「ブログ 泣き虫プロデューサーの「いいから、俺にしゃべらせろ!」の記事で【快傑ズバット】をUPしたら、反響が凄くてビックリしたよ」
「えっ?」父は驚いた様子でした。
「嬉しいなあ!いろいろな事情であの回数で終わったしまったけれど、僕としては続けたかったなあ」
「あれは、東京12chで放映したよな?だから、全国ネットでは放映されなかったんだ」
「それでも、ファンの記憶に残るようなものが作れたのは、やはり宮内洋くんの演技と、それを素晴らしいものにしてやるというスタッフの気持ちが伝わったのかな?」
「でもね、田中秀夫監督や、奥中惇夫監督、小笠原猛助監督、殺陣の高橋一俊さん、そして石ノ森章太郎先生、亡くなってしまったよね」と息子の私。
「本当に頼りにしていたスタッフや、石ノ森先生まで先に逝ってしまわれたから・・・」
父は、それ以上多くは語りませんでした。

さて、今日の話題は【イナズマンへの父、平山亨の思い】のはなしです。

この番組を簡単にご説明します。
1973年10月からNETにて毎週火曜日19:30~20:00、全25話が放映されました。その後、イナズマンFへと続きます。原作は、石ノ森章太郎先生。主役は、ご存知 伴直弥さん。(現、伴大介さん)
ウィキでは、改名の経緯が記載されていますが、その経緯について確認が取れませんので、敢えてその経緯はUPしません。

父は、この番組の準備段階でも同時進行の番組「仮面ライダーV3」「キカイダー01」「刑事くん」を抱えていた。父は、それでも次から次へと企画を練っていました。

この番組は、書棚にある大量の漫画本を眺めながら、「ふと」石ノ森章太郎先生の『少年同盟』の背表紙が目に入った。超能力もの、ミュータント。父は、過去に『妖術武芸帳』で苦渋を舐めた事があり、「実写」でどのように表現したものか考えていた。
父が毎日のように通っていた喫茶ラタンへ、石ノ森先生に相談するために行った。
先生に
「『少年同盟』をやりたいのですが、どうでしょうか?」
石ノ森先生は、このように答えてくれた。
「『少年同盟』ねえ。ミュータントか。あれ実写化するにはキャラクターが出ていないんだよなあ・・・うん、いいのがあるよ。東映動画の有賀さんのところに、使っていないキャラクターがあるよ。有賀さんが使わないなら、平山さんのところで使ったらいいよ」

有賀氏に聞くと、幸い使う予定もないというのでもらって来たのが『ミュータントZ』という企画書で、その主人公が蝶のキャラクターの超能力者「パピヨン」だった。

関係者の中には、「蝶」は弱々しくヒーローにはなれないと危惧する意見もあった。
父としては、ヒーローのバリエーションを増やすことも考え、『仮面ライダー』のモチーフも元々は「踏めば潰れるバッタ」なのだから、チャンスを潰す事はないと決行したのでした。父は、父親ののように思っていた石ノ森章太郎先生のキャラクターの力強さを信用していたのです。

父は、「蝶」という生物に神秘性を感じていた。変身ではない。サナギから蝶へ。これは、変転だ。

番組的には、超能力を表現する手法が難しかったと回想して教えてくれる。
「パンチ」「キック」「刀で斬る」悪役が爆発して退治する。子ども達が視聴して納得できる画が、どうしても超能力という作用と効果を、どのように表現したら「面白く」「納得してもらえる」画面になるか、苦心していたのだ。

そんな中でも、「イナズマン」の愛機である“ライジンゴー”の玩具は大変好評だったようで、スポンサーさんにも貢献できたのではないかと父は、云う。

父が、その続編である『イナズマンF』を思い出しこのように教えてくれた。

大ラストシーン 脚本は上原正三さん。
「あれだけの強敵ガイゼル総統を倒し、デスパー軍団を壊滅させて世は平和に戻ったが必死の戦いに日々を生きたゴローは生きる目標を失ってウツロな眼で蹌踉と雑踏の中に消えて行った」

これが、元の原稿の内容だった。
しかし、皆で相談し、これはヒーロー否定であり、我々自身の否定になってしまうからと止めにした経緯がある。

当時、助監督だった長石多可男さんは、当時からアイデアマンでした。
その後、『ザ・カゲスター』という番組で、監督として公式デビュー。
東映の数多くの戦隊ものや、仮面ライダーシリーズの監督として活躍中です。

今日の話題はここまで。
では、また。

余談
イナズマンのサウンドトラックのジャケットの格好良さに、改めて石ノ森章太郎先生の凄さを確認した次第です。

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拡散希望!!【快傑ズバットの企画の発想】のはなし

快傑ズバット オリジナル・サウンドトラック快傑ズバット オリジナル・サウンドトラック
(2000/03/18)
TVサントラ、宮内洋 他

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こんばんは。
昨日は、記事更新をサボって申し訳ない。
ニチアサの『特命戦隊ゴーバスターズ』いいですね!メッセージ性と判りやすい脚本が大変好感もてます。
OPとEDがしっかりある番組は、なんだか安心して見られるのは気のせいでしょうか?
『仮面ライダーフォーゼ』は、JKが大活躍!!賢吾くんも、病弱である設定を乗り越えて、ツーバスをドカドカやるところは、実況でも大いに盛り上がっていました。調子に乗る「校長」もよし!!毎週、本当に目が離せません。

父が、太秦時代に主役を里見浩太郎さんで監督した映画『銭形平次捕物控』の当時のポスターがヤオフクで珍しく出品されていましたが、厘差で競り落とすことができませんでした。父に見せてやろうと意気込んでいましたが残念です。でも、欲しかったなあ。

さて、今日の話題は【快傑ズバットの企画の発想】のはなしです。

簡単にこの番組の説明を。
1977年2月から東京12chで放送。全32話。主役は、ご存知、宮内洋さんです。
最高視聴率15.5% 平均視聴率10% データ不足の資料から。

父が企画の発想を得るのに、真面目に机で考えてても出てこなかったと言う。
この『快傑ズバット』の着想は、俳優:宮内洋くんの芝居を見ている時だったと回想するのだ。
『快傑ズバット』の源流は、往年の日活映画小林旭さんの『渡り鳥シリーズ』だ。若い頃、あのボルテージの快感にシビれた事のある私は、あの小林旭の人をくった演技に宮内洋ががダブって見えたのだ。

ここで、いろいろな書籍を見て若干の食い違いが出てきた。
父の著書『東映ヒーロー名人列伝』
宮内洋さん著書『ヒーロー神髄』
ウイキの各記載である。

それぞれの記載内容について違いがあるが、その詳細については敢えて云わずにおこうと思う。

『快傑ズバット』ファンのみなさんの善意の判断としましょうか?

少なくとも、俳優:宮内洋さんはこの『快傑ズバット』が大変気に入っている様子で、ご自身の本で《第7章今でもずっと日本一『快傑ズバット』》として熱く語っておられます。

父が、『渡り鳥シリーズ』を源流として考えた時、照れもせずキザを堂々とやってのけることができる名優が必要だと考えた。父の考える範囲で適任は宮内くんしかいない。そこで、私は宮内洋くんに企画書を見せて聞いた。
「これは、君がやってくれることを前提にして作った企画だ。君以外にこれをこなせる俳優はいない。君がやりたかったらテレビ局に提出する。君がやりたくないと云うなら止めにする。やるかやらないか君次第だ。よく企画書を読んで、返事を聞かせてほしい」
一晩、企画書を読んだ宮内洋くんは、「面白い、是非、やらせてください」と大乗り気で受けてくれた。

それでも撮影初日は大変だった。田中秀夫監督(2011年7月没)以下、初めてのジャンルのものだけに緊張していたが、いよいよ、あの有名なシーン、早川健が大見栄を切るシーンにかかると
「笑っちゃいかんぞ、笑っちゃいかんぞ」と必死だった。でも、いよいよ本番が回りだすと、スタッフの誰彼が笑いを堪え出す。つられて皆笑いを堪える。ついにOKになった。耐えていた笑いが爆発する。
この笑いに不安になった宮内洋くんは、聞いた。
「平山さん。やり過ぎかな?」
「ううん。いいよ、いいよ。もっとやっていいよ」と激励した私はスタッフに云った。
「笑っちゃいけない。格好良くなるのも、滑稽になるのも作る側の思い次第だ。これは、圧倒的に格好良くなる番組だ。作る側が格好いい!と思い込んで撮れば最高になるんだ」

こうやって、あの圧倒的格好良さで語り草に残る傑作は作られたのです。

今日の話題はここまで。
では、また。

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拡散希望!!【主役、事故後の父、平山亨プロデューサーの心裡】のはなし

仮面ライダーをつくった男たち 1971・2011 (KCデラックス)仮面ライダーをつくった男たち 1971・2011 (KCデラックス)
(2011/11/30)
村枝 賢一、小田 克己 他

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こんにちは。
私が、痩せない理由をある人が教えてくれました。「眠れないんでしょ」「ええ」「良質な睡眠が健康の基だし、良質な睡眠こそ痩せる秘訣だよ」と。わかっちゃいるんですけどね。毎日3時間連続しか眠れず、それからは、1時間間隔で目が覚める。こんな生活リズムですから、健康になれる訳がありません。

さて、今日の話題は【主役事故後の父、平山亨プロデューサーの心裡】のはなしです。

表記を心理としませんでした。
《心裡》としたのは、こんな意味があるからです。心裡とは、他人には容易にうかがい知れない心の内の事です。
最上部に表示した『仮面ライダーをつくった男たち1971-2011』漫画家 村枝賢一先生が描いてくれた内容にもあります。その当時の話を、先日息子に教えてくれました。

その話は、私が5月6日UPしたブログ記事の「制作側プロデューサーとして狼狽した姿を見せてはいけない」という一文が凝縮した内容なのです。

父がこのように云いました。
「あのときの会議は、ものすごく重苦しい雰囲気だった。僕が最初に心に決めたのは「狼狽した姿を晒さない事」。もう、頭の中が猛スピードでグルグルと回転していたんだ。まともな論議をしていたのでは、毎日放送さんの局側の頭脳明晰な彼らを論破する事はできないと考えていたんだ。だって、関西でも有名大学を優秀な成績で卒業した面々が揃っていたからね。僕は、このように作戦を考えたんだ。ひとつは、僕が口が裂けても「どうしたらいいんでしょう?」などと下駄を預けるような発言をしないこと。局側は、大人の集団だから必ず隠し玉を持っている。その隠し玉は、仮面ライダーという番組を放映を断念して、別の既存の番組等に掛けかえる事。その話をさせないことだ。2つめは、「子どもの夢を絶対に壊してはいけない」ということ。大人的な対応で主役が怪我の為、今回より@@@が主役を務めます」というテロップを流すというもの。これもいただけない。3つめ、主役が悪の組織に殺されてしまうストーリー。簡単に殺されるようなヒーローなどもってのほかだ。局側との話し合いは、1日で終わるはずも無かった。
一緒に東映生田スタジオで戦ってきた友作(故内田有作さん=生田スタジオ所長)も同席していたが、彼もショボンとして俯いていたんだ。僕は本当に必死だった。この番組をこんなアクシデントで終わらせてはいけないと思った。必死なのは、ヒーローというものに憧れている日本中の子ども達のため。そして、藤岡弘、くんが頑張ってくれる場を失くしてはいけない。『仮面ライダー』のスタッフは、それこそ映画の世界からあぶれたりした荒くれ者の集団だったのだけど彼らを失業させてはいけない。最後に、制作側のプロデューサーとして、負けず嫌いなことにつきるね」

そして、驚きの事実をひとつ教えてくれた。
「後年知った事だけど、毎日放送さん側にもね「この番組は続けるべきだ」と思ってくれた人がたった1人いてくれたんだ。名前は申し訳ないが忘れちゃったんだけどね。やはり、放送局も会社だからたった1人の意見は通らなかったそうだ。」

父は、細かい会議の意見の応酬までは語らなかったが「制作側のプロデューサーとして必死な説得を続けた」ことは、息子の私にもヒシヒシと伝わってきた。

本当に、その局面は「多勢に無勢」であった。
それでも、父は自分のスタンスを変える事無く「日本中の子ども達の夢を壊すことは避けられた」結果が
2号ライダーの登場に繋がる。

父が東映に入社した頃は「あの山さん」と云われていた。喋りが下手だったのだ。アナウンサーのように脈絡もしっかりした喋りという部分では、未だに無茶苦茶な喋りなのだが。
そんな父が、多勢に無勢の状況下で、父の思うように事を収められたのは脱帽する限りである。

仮定の話を考えてみた。
父が「狼狽した姿を晒し」下駄を預けていたらどうなっていたか?
今日まで続く『子ども達の憧れである等身大ヒーロー』は、生まれていなかったであろうと思う。
強いては、日本における文化の一部分を担う『特撮ヒーロー』という分野もここまで成長しなかったのではないかと、父を贔屓目にした部分も差し引いても認めてもいいのではないかと思うのでした。

今日の話題はここまで。
では、また。

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拡散希望!!【父、平山亨プロデューサーと役者さんとの関係】のはなし

悪魔くん Vol.1 [DVD]悪魔くん Vol.1 [DVD]
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特撮(映像)、金子光伸 他

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こんにちは。
3日間も記事更新をお休みして、申し訳ない。今日から、活動を再開します。何故か体重が3kg痩せました。まあ、デブちんのおっさんですから喜ばしいことですが。

今日の話題は【父、平山亨プロデューサーと役者さんとの関係】のはなしです。
この話を、父の口から聴いたのは初めてでした。
父が、『子どもを舐めるな』とスタッフに云い続けていました。その話は、何度か父自身も座談会等でお喋りしていますので記憶にあるファンも多いかと思います。

番組づくりにどの役者さんにお願いするかは、合議制だったようです。すべてのキャスティングを、父が勝手に決める事は無いのですが、ひとつだけ父のポリシーがありました。それは、キャスティングを相談するスタッフの共通認識だったようです。その話を、先日の見舞い時に息子の私に教えてくれました。

父はこのように教えてくれました。
「当時は、子供向け番組をジャリ番として、関係者が馬鹿にする風潮があったんだよ。もし、ジャリ番として馬鹿にする役者さんが演技をしたら、どこかに手抜きの演技がでるんだよ。本人は、そんなことは無いと云うのだけどね。僕は、そんな役者さんを残念だけど、どんどん排除していったんだよ。(父は手で払いのけるような仕草をした)理由は、云わなかったけどね。子どもの目は、凄いよ。見抜く力があるから、大変だった。」

父が使い続けた俳優さんに、故潮健児さんがいます。
故潮健児さんの経歴を知っている方は、多いかと思いますが、昭和映画史に残る石井輝男監督の任侠もの、今井正監督の作品には欠かせない俳優さんなのでした。
その彼をして父にこう云ったといいます。
「えっ?そのような役をやらせていただけるのですか?」

故潮健児さんは、手抜きする事などなく、活き活きと「悪魔くん」でのメフィスト役を演じたのです。
その演技を、父が大変評価して後の「河童の三平 妖怪大作戦」のいたち男役、「仮面ライダー」の大幹部 地獄大使役をお願いしたのです。

父の「子ども向け番組」に注ぐ愛情とこだわりを、感じた話でした。


余談ですが、とんねるずが番組で「仮面ノリダー」を放送している頃は、笑って見ていたそうです。
しかし、父自身が過去の番組(仮面ライダーなど)を「パロディー化」する考えは、まったく無かったそうです。

今日の話題はここまで。
では、また。

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拡散希望!!【東映テレビ部 父、平山亨が赴任した頃】のはなし

仮面ライダー超辞典仮面ライダー超辞典
(2011/07/20)
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こんにちは。
巷は、GWも終わり通常営業に戻ったようですね。5月病と良く云われますが、どのような症状を具体的に指す事なのか、未だに分かりません。平山家も私自身も、GWとは程遠い環境にいたからでしょうか?

さて、今日の話題は【東映テレビ部 父、平山亨が赴任した頃】のはなしです。

簡単に時系列で、ご説明しよう。
1954年7月 「東映京都撮影所」の辞令を受ける
1965年12月 「東映本社 テレビ部プロデューサー」就任

ここから、父の苦難の道がはじまります。
父が東京へ異動となった経緯をご存知の方も多いかと思います。
昔の大衆娯楽と云えば、「映画」「大衆演劇」しか選択肢がありませんでした。年末の紅白歌合戦もラジオ放送で楽しむモノで、歌手の煌びやかな衣装はアナウンサーの説明で想像するしかなかったのです。こんな時代だったから、「時代劇」の映像と音響は、人々の好奇心を満たすものでした。それから、テレビ時代が幕開けとなりました。娯楽の選択肢が増えて「テレビ」「スキー」「スケート」「プロレス」「ボウリング」等に人々の関心か移っていったのです。

太秦(東映京都撮影所)の状態を思い起こせば、撮影所に残れた幸運な者以外は、新設の京都制作所も京都テレビプロも、残る者に優位があった訳ではありません。
むしろ行き先の決まったものはいいなあ。などと口にして皆、不安の中にいました。

そんな時、今思えば、救いの神であった人がいた。同期生の上司:高岩淡氏であった。(当時制作課長)
高岩氏から「本社でテレビのプロデューサーに現場の判る人が欲しいといっている」と知らせてくれた。

「テレビのプロデューサーってなにをするんだろう」素朴な疑問だった。
当時は、映画人は「電気紙芝居」といって馬鹿にしていた空気があった。それでも、父は内心、映画もテレビも同列に考えていたのだった。

父は、1963年頃から、テレビのシナリオを書くこともあった。何故なら、時代劇を量産することがなくなってきたのだ。当時既に、テレビの世界で活躍していた大阪電通の入江さん、TBSの瓜生さん、脚本家のはざまたけしさんに出遭って、いろいろと教えを請うことが出来たのが良かったと云うのだ。

東京本社へ当初、赴任した頃の話を父から聞いた。
本社7階の映画部の隅っこにわずかなスペースのテレビ部があった。
部長1人、副部長3人、プロデューサーが数名。以前から映画本部のプロデューサーだった人々だ。

京都から一緒にテレビ部へ異動となった斉藤頼照さんが、このように云っていたそうだ。
「狭い部屋に机も椅子も貰えなくて、狭い廊下に放り出されたボロ椅子に一日中2人で座ってましたね」
「京都の連中は、送別会もしてくれませんでした」

父のメモがある。
「テレビは新しいメディアだ。古い作劇法などでは対応できない。第一、僕が舞い上がったのが、テレビ映画のスピードの速さだ。本来、映画の世界では制作的スピードでも作劇的スピードでも我が東映時代劇は世界一であった。従って、ドラマの省略法も我が松田監督は世界一の技法を持っていた。」

しかし、何と、テレビ業界では与えられる時間的制約から、それまでの映画の世界では不可能と云われた程の省略を、すでにやっていたのだ。

これを教えて貰った事は、その後のテレビ映画作りに大変な貢献をしたが、しかし、既に活躍していた方々に出会った事で、謙虚になれた事は良かったのだが、父の映画人としてのプライドは木っ端微塵に打ち砕かれてしまった。


今日の話は、ここまで。
では、また。

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