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拡散希望!!【主役、事故後の父、平山亨プロデューサーの心裡】のはなし
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こんにちは。
私が、痩せない理由をある人が教えてくれました。「眠れないんでしょ」「ええ」「良質な睡眠が健康の基だし、良質な睡眠こそ痩せる秘訣だよ」と。わかっちゃいるんですけどね。毎日3時間連続しか眠れず、それからは、1時間間隔で目が覚める。こんな生活リズムですから、健康になれる訳がありません。
さて、今日の話題は【主役事故後の父、平山亨プロデューサーの心裡】のはなしです。
表記を心理としませんでした。
《心裡》としたのは、こんな意味があるからです。心裡とは、他人には容易にうかがい知れない心の内の事です。
最上部に表示した『仮面ライダーをつくった男たち1971-2011』漫画家 村枝賢一先生が描いてくれた内容にもあります。その当時の話を、先日息子に教えてくれました。
その話は、私が5月6日UPしたブログ記事の「制作側プロデューサーとして狼狽した姿を見せてはいけない」という一文が凝縮した内容なのです。
父がこのように云いました。
「あのときの会議は、ものすごく重苦しい雰囲気だった。僕が最初に心に決めたのは「狼狽した姿を晒さない事」。もう、頭の中が猛スピードでグルグルと回転していたんだ。まともな論議をしていたのでは、毎日放送さんの局側の頭脳明晰な彼らを論破する事はできないと考えていたんだ。だって、関西でも有名大学を優秀な成績で卒業した面々が揃っていたからね。僕は、このように作戦を考えたんだ。ひとつは、僕が口が裂けても「どうしたらいいんでしょう?」などと下駄を預けるような発言をしないこと。局側は、大人の集団だから必ず隠し玉を持っている。その隠し玉は、仮面ライダーという番組を放映を断念して、別の既存の番組等に掛けかえる事。その話をさせないことだ。2つめは、「子どもの夢を絶対に壊してはいけない」ということ。大人的な対応で主役が怪我の為、今回より@@@が主役を務めます」というテロップを流すというもの。これもいただけない。3つめ、主役が悪の組織に殺されてしまうストーリー。簡単に殺されるようなヒーローなどもってのほかだ。局側との話し合いは、1日で終わるはずも無かった。
一緒に東映生田スタジオで戦ってきた友作(故内田有作さん=生田スタジオ所長)も同席していたが、彼もショボンとして俯いていたんだ。僕は本当に必死だった。この番組をこんなアクシデントで終わらせてはいけないと思った。必死なのは、ヒーローというものに憧れている日本中の子ども達のため。そして、藤岡弘、くんが頑張ってくれる場を失くしてはいけない。『仮面ライダー』のスタッフは、それこそ映画の世界からあぶれたりした荒くれ者の集団だったのだけど彼らを失業させてはいけない。最後に、制作側のプロデューサーとして、負けず嫌いなことにつきるね」
そして、驚きの事実をひとつ教えてくれた。
「後年知った事だけど、毎日放送さん側にもね「この番組は続けるべきだ」と思ってくれた人がたった1人いてくれたんだ。名前は申し訳ないが忘れちゃったんだけどね。やはり、放送局も会社だからたった1人の意見は通らなかったそうだ。」
父は、細かい会議の意見の応酬までは語らなかったが「制作側のプロデューサーとして必死な説得を続けた」ことは、息子の私にもヒシヒシと伝わってきた。
本当に、その局面は「多勢に無勢」であった。
それでも、父は自分のスタンスを変える事無く「日本中の子ども達の夢を壊すことは避けられた」結果が
2号ライダーの登場に繋がる。
父が東映に入社した頃は「あの山さん」と云われていた。喋りが下手だったのだ。アナウンサーのように脈絡もしっかりした喋りという部分では、未だに無茶苦茶な喋りなのだが。
そんな父が、多勢に無勢の状況下で、父の思うように事を収められたのは脱帽する限りである。
仮定の話を考えてみた。
父が「狼狽した姿を晒し」下駄を預けていたらどうなっていたか?
今日まで続く『子ども達の憧れである等身大ヒーロー』は、生まれていなかったであろうと思う。
強いては、日本における文化の一部分を担う『特撮ヒーロー』という分野もここまで成長しなかったのではないかと、父を贔屓目にした部分も差し引いても認めてもいいのではないかと思うのでした。
今日の話題はここまで。
では、また。
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