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拡散希望!!【変身忍者 嵐と快傑ライオン丸とウルトラマンA】のはなし
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こんばんは。
ちょいと忙しくしております。公称無職を語っているものの、何やら頼まれごとが多く今日はこれまで、各方面関係者へ電話しまくりの一日でした。秘密基地が、何かの縁で『海の向こう岸』にあるため、呼ばれれば都心部に向かう事があります。都心部は、やはり時間の進み方が早く感じますね。秘密基地の周辺はクルマのクラクションを鳴らす地元民は皆無に近いようです。それも良し悪しなんですが。
さて、今日の話題は【変身忍者 嵐と快傑ライオン丸とウルトラマンA】のはなしです。
『変身忍者 嵐』について簡単に説明を。
1972年(昭和47年)4月から毎日放送・NET(現:テレビ朝日)系列で全47話が放送された。
嵐は大野剣友会のぶんちゃんこと、故中村文弥さんがメインで演じていることでも有名。
快傑ライオン丸の説明は、ググってください(笑
父がこの番組の苦戦理由を私に話す事が度々あるのだ。
「変身忍者 嵐」は、「ウルトラマンA」の裏番組に当てられた。父が尊敬する円谷さんの番組の相対する裏番組の時間枠に当てられたことは、逆に名誉な事だと思っていた。
しかし、この番組の不幸な事が起こった。この番組時間枠に特番が放映する事になったのだ。
父は、このように解析していた。
特番は、スポーツ関係の番組だったように記憶しているが、特にそのスポーツを見たいと熱望する子供で無ければ、「ウルトラマンA」を視聴するであろう。たしかに、あの円谷プロがつくる「ウルトラマンA」が面白くない訳が無い。「変身忍者 嵐」の視聴者が一部「ウルトラマンA」へ流れたのだ。と、考えていた。
『変身忍者 嵐』の不幸はこれだけでは無かった。
この番組が放映される間際になって、曜日は違えど同じ週に『快傑ライオン丸』が放映される事になったのだ。父は、他の番組も視聴する事はあっても、こちらの番組が面白ければいいのさ、などと考えていた。
しかし、父は白いライオンというのは凄いと思ったのだ。
そして、登場人物のタイガージョーという人物が主人公の正義一途に対して「ガツガツ力んでも、ろくなことないぞ。流れのままに進めば楽に生きられる」このセリフが象徴するような時代の変化というか、当時の「モーレツからビューティフルへ」なんて云われ始めた時代。父は、自分がモーレツ派であると自認しており、自分への嘲笑のようで堪えたというのだ。
後年、ライオン丸の潮哲也氏と仕事をした時、父は、「あの時『嵐』やっていたんですよと話すと、
潮さんは、
「私、知っていました。私も、『嵐』の主役の南条竜也くんと一緒の東映研修所だったんです」
この業界は、広いようで狭いと感じた、という。
父の大先輩である鷲巣富雄氏とはこんな会話も。
「しかし、よくも人間てのは全く同じころに同じような発想をするもんですなあ」と話し合って笑ったことも。
お互いの撮影の苦労話は延々と続くのだが、その話題は別の機会に。
今日の話題は、ここまで。
では、また。
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