2012-07

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

拡散希望!!【父の見舞い時のひととき】のはなし

仮面ライダー THE MOVIE VOL.1 [DVD]仮面ライダー THE MOVIE VOL.1 [DVD]
(2006/03/21)
特撮(映像)、藤岡弘 他

商品詳細を見る


こんにちは。
巷は、ロンドンオリンピック開幕前の話題で盛り上がっていますね。
子ども達が夏休みに突入して、楽しい夏休みを過ごして欲しいと思います。

今日の話題は【父の見舞い時のひととき】のはなしです。

昨日は、恒例の見舞い日でした。通常の時間には父の滞在場所へは行く事が出来ませんでした。
その日は、母の介護認定の面接日であり兄が「お前も立会ってくれ」という要請があって、約束した時間前に母の住むところへ参上していました。
母の事は、基本的に兄が面倒を見ているのですが、トラブルが発生する度にその対応に追われ、兄は疲弊していました。兄がこのような話をしてくれました。

「俺の周りの人が気にしてくれて、いろいろ声を掛けてくれるんだけど、ほとんどが事実上体験していない人が言う言葉に疲れている。よく云われるのが“一緒に住んで面倒見てあげるべきじゃないか?”その言葉が刺さるという」

私は
「その言葉、良く云われるな」と同意。

兄の考え方はこんな感じだ。
兄は、カタギの仕事であり勤め人だから、早朝から終電まで仕事をしている。一緒に住んだところで、一日中面倒が見られる訳じゃない。今でも、仕事中に携帯電話で実家から電話が何度も着信がある。仕事中は電話を取る事ができないんだ。じゃあ、逆に親の面倒を中心に生活を切り替えること、イコールは、現在の仕事を辞めるという事。それこそ“共倒れ”になってしまう。良くあるニュースで介護疲れから殺めてしまう事件があるだろ。やっと、当事者の気持ちがわかったよ。

昨日、ある種の覚悟が必要だなと兄は云った。

母が住む家で何がおきようが、母自身の問題だからいい。だけど、火事を起こす事だけは避けなければならない。類焼したら、詫びようがないからな。

兄は、近所の交番にも声を掛けているようだった。

そんな会話がひとしきり終わり、市役所の方との面談が始まった。もう、何回目の面談だろうか?
一通り職員の面談での質問を聞いていたら、返答の内容が凄い。何度か医師に聴かされたのだが、自分を取り繕う行為をするというのだが、まさにその通りであった。

その内容は、母の沽券にかかわる事なので控えたい。

いつもより2時間遅れで父のもとへ。
いつもの場所で、やはりテレビを観ていた。

遅れた理由から父との会話が始まった。
私は、父に嘘はつくことができない。そんな事で、母の状況を一通り説明した。
父は
「そりゃ大変だな・・・僕が車椅子生活でなければ良かったのに・・・」

父は8歳年下女房へ気遣いをみせた。

大リーグのイチロー選手の話題やら、例の中央公論の「正義について」の記事やらを話すのだがいつもとは様子が違った。「正義について」の話題は、特定の記事を指すのではなく、寄稿したそれぞれの方々の内容についてであった。
特定の方の記事については「俺が、彼にいろいろ云ってやらにゃあ、いかんな」とブツブツ云う。

息子は父に云った。
「終戦を16歳で迎えた歳の父(現在83歳)と、その方(今日現在47歳)が話をしても難しいのかな。基本的な体験が違うのだからね。(以下省略」

それを聞いた父は、何かを云いたそうだった。
その言葉を云った後、父に申し訳ない気持ちになった。

父は、常々「僕は子供だから」と云う。

父に年齢は関係ないのだった。
確かに多読の王者と自認する知識は凄いものがあり、思想面でも大変深いものがある。

『子ども達の気持ちは、時代が変化しようとも根本は変わらないんだ』というのが父の持論だった。

そして、番組制作でも困難にぶつかっても、それをどうにかして乗り越えようと苦心していたようだ。

あの【伝説のイベント】で父の関係者からこんな言葉をいただいた。

『できない事は、どうやってもできない事があるんですよ』お父さんへ伝えて下さい、との伝言を預かった。

当時入院だった父に、伝えた記憶がある。

父は、それを聞いて
「そうだな・・・」と小さな声で答えた。

昨日は、父に云ってはイケナイ事を云ってしまったようだ。
父の不機嫌が久しぶりに始まった。

父は、我が子のような『仮面ライダー』という冠がついた番組が可愛くて、でも心配でならないのだ。
現在のスタッフが頑張ってくれているのは理解しているようだ。でも、何かを云ってやりたくてしかたが無いのだろう。

父の番組に対する“思い”は、現スタッフに届いているのだろうか・・・
父は、ちゃんと情報は得ていますよ。見守っていますよ。
でも、現場に行って、あれこれ指導してあげたい気持ちが空回りする現実。

現実は、もうそこの社員でもない。当時、その番組を立上げ、つくった男のひとりでしかないのだから。


今日も纏まりの無い文章で申し訳ない。


今日の話題はここまで。
では、また。

ブログランキング、ご支援感謝しております。


スポンサーサイト

テーマ:特撮ヒーロー - ジャンル:テレビ・ラジオ

拡散希望!!【父と市川森一さんとの約束】のはなし

ヒーロー・ナビ 仮面ライダーヒーロー・ナビ 仮面ライダー
(2010/11/27)
かものはしや

商品詳細を見る


こんばんは。
眠い、眠い・・・昨晩、某所で打合せ。ひとりお先に海の向う岸にある秘密基地へ爆走して戻り、月曜日の頼まれ事の準備。穴倉へ戻ったのが、25時30分。就寝が26時。あー、眠い。(笑
起床6時、寝起きの悪さから脱するのに時間がかかり出発が7時。なんやかんやで開放されたのが17時頃かな?
やっと、秘密基地に戻れましたぁ。げっそりしてます。

今日の話題は、【父と市川森一さんとの約束】のはなし

『仮面ライダー』ファンのみなさんには有名な話ですね。
父が脚本家と打合せた時に、市川さんが「正義のために戦うというのはやめましょう。ナチスだって正義を謳ったのだから。正義って奴は判らない。悪者とは、どんなお題目を掲げていても人間の自由を奪う奴が悪者です。『仮面ライダー』は、我々人間の自由を奪う敵に対し、人間の自由を守るために戦うのです」

ここから、ただのヒーローアクションものから一大跳躍させた、大変な提案だった。

ただその先の話があった。
スケジュールの関係で市川森一さんが、『ウルトラマン』へ戻らなくてはならなくなった。それは、制作側と局側の打ち合せが遅れて、執筆スタートを言うことが遅れたのが理由だった。

父は
「市川さん、本当に申し訳ない。いつでも書ける時に戻ってきてくれ」

市川さん
「ありがとう。でも約束してください、“正義のために戦う”というのだけは止めてくださいね。そうでないと、書けなくなってしまう」


「わかった」


40年後、父の口からこんな言葉を呟いた
「たしか、作詞で“正義のために”って書いちゃった記憶あるんだ・・・正義って言葉は本当に“耳障り”がいいから使ってしまった・・・」

1971年放映の準備段階から、正義とはわからない。だから、人間の自由のために戦うとした。天才:市川森一さんは、お見通しだった。ただ・・・ただ、小さな子どもを視聴対象としたからには子どもが理解できる単純明快な勧善懲悪にすべきだと父は考えていたのだ。難解な正義を教えるには段階が必要だ。最初から、正義にはいろいろあってねえ、なんて難しいだろ?と息子の顔を見て笑った。


余談
最上部の『ヒーローナビ 仮面ライダー』の制作に関わった人とお話する幸運に恵まれた。
数年前にこの商品が発売されたのだが、昭和ライダー特に、本郷猛さんに憧れた大きなお友達にもっとアピールすべきこの商品。実は、ナビをする声が、藤岡弘、さんの声なのだ。お話を聞いた人によると、ありとあらゆる場面で藤岡さんが言いそうな言葉を用意したと言うのだ。右や左の指示が藤岡さんの声だったら、ストレスも吹っ飛ぶよね。そしてこのナビのフォルムは、あの形を連想させるだけでなく実は・・・・。オマケに、立花藤兵衛さんの声が聞けるかもしれ・・・ない(笑)

もう、在庫があるだけで売り切れたら、お・わ・りだそうです。私は買いたい。金庫と相談する。ファンのみなさんは、どうする?

今日の話題はここまで。
では、また。

ブログランキングご支援感謝申し上げます。

拡散希望!!【私が小さい頃、父の仕事って何?と思った】のはなし

仮面ライダーフォーゼ Music States Collection仮面ライダーフォーゼ Music States Collection
(2012/07/25)
V.A.

商品詳細を見る


こんにちは。
Twitterで質問してみたのですが、ニチアサの視聴をリアルタイム派?それとも録画派?の回答は、現在のところリアルタイム派が多いようです。視聴率の機械取り付ける家庭は、ある条件で成り立っていると聞きました。
それでも、視聴する形というものは一度固定されてしまうと中々、覆すことができないようです。
生活のリズムというものは、それぞれの家庭で異なり日曜日の朝などは遅くまで寝ていたい習慣がつくと、録画派になるのでしょうね。
それでも、父の時代には、その捨て時間帯と呼ばれた朝を、関係者や局などの一致団結した努力で20%台まで視聴率が得ることができました。それは、CX系で放映された『ペットントン』でしたね。


さて、今日の話題は【私が小さい頃、父の仕事って何?と思った】のはなしです。

もう、40年以上も前の話です。
小学校の課題で『お父さんの仕事』があったのです。
父がテレビ番組をつくる仕事に就いていることは、知っていました。でも、具体的にプロデューサーって何?、作文が書けないじゃん!となったのです。おそらく、それが切っ掛けで例の生田スタジオに私を連れていく事になったと母に聞かされました。

記憶が鮮明に有るのは、生田スタジオに隣接するプレハブハウス2階建ての一室、たしか一階の炬燵のある部屋でした。そこで父は、戦友である内田有作さん等と喧々諤々と、時には大笑いしながら何やら会話をしていました。
とにかく、人に会って話す光景が目に焼きついています。

父にこそ云いませんでしたが、母には「何だか炬燵の部屋で大笑いしながら話していた」と伝えました。
母は、「そうなんだ・・・」と多くは語りませんでした。おそらく、世の中に疎い母自身も、父が外で具体的に何をしているのかは、半分ぐらいした知らなかったのでしょう。母は、むちゃをする父が過労で倒れることが心配でした。亭主元気で留守がいい、なんて事を思っていたのではないかな?


昨年、父が緊急入院してから、一緒に過ごす時間が増えました。我が娘との過ごす時間より遥かに多い時間です。娘には、「ごめんね」と云うと、「私は大丈夫だから、お爺ちゃんの所に行ってあげてね」と云う娘。優しい気持ちに育ててくれた、かみさんに感謝しなければならないね。

父との面会時間は、私の質問からどんどん話題が広がっていきます。広がりすぎの時は、ちょいと修正なんかして。

太秦時代から、ずっと年代を追って番組別に話は盛り上がります。おそらく、息子にずっと話したかったのかもしれません。自分の話よりも、それぞれの番組にかかわった関係者の話をしてくれます。
先週は、昭和44年に放映した『花と狼』話題。博徒ものです。そこから台本を、かの有名な俊藤浩滋プロデューサーに移り、忙しい俊藤プロデューサーに博徒ものの台本を見てもらったことを話してくれる。
話は遡り、太秦時代の映画の話題へ。父が師と仰ぐ松田定次監督作品の話へと続く。そして俊藤プロデューサーの娘さんである藤純子(現:富司純子)さんが松田定次監督の作品『バラケツ勝負』が出演されて、松田監督の命令で藤純子さんの台本を見てあげてたという。全く教える事もなく、セリフは全て覚えていたし、設定人物も理解されていたのだった。父が思ったことは、藤純子さんが両親に恥をかかせてはいけないという思いだったのではないだろうかというのだ。

父の話し方に慣れていない方は、どんどん話が広がるのでビックリされるであろう。座談会やイベントなどでは、スロースターターの父に如何に喋らせるか?そして、乗ったら乗ったで、話の脱線をどこで修正するか苦心していると関係者から聞いた。何方かのHPまたは、ブログを見たのだが、お爺ちゃんの喋り?それは、否定しません。

何のイベントだったのか、客席最前列に陣取った父がMCとゲストとの会話に割り込む。悪意はありません。許してください(笑)

話を本題に戻そう。
父の関係者の方々の話を聞くことは、純粋に楽しい。
熱気と気迫が伝わり、それぞれが、それぞれの役割をきっちりと果たし、同じ目的に向かって進んでいく姿が目に浮かぶ。
そんな方々と『炬燵のある部屋で喧々諤々と、そして時には大笑いして“素晴らしい番組”にしていく』それが、父の仕事なんだと思う。

そんなことを思った事を父に伝えた。
父は、一言
「やっとわかってくれたか?」

息子は、この言葉しか出てこなかった。
「やはり、オヤジは凄い」


余談
伴大介さんの計らいで、伴さんの公式HP:メッセージに掲載されました。
また、ハワイで人造人間キカイダーを広めてくれた、ジョアン二宮さんが
Generation kikaida の facebook にも紹介されています。
世界中の人に、父の思いが届きますように。


余談2
冒頭のCDは、7月25日発売です。
DVD付きだそうで、Amazonでも予約購入できます。


今日の話題は、ここまで。
では、また。

ブログランキングご支援感謝しております。

テーマ:特撮ヒーロー - ジャンル:テレビ・ラジオ

拡散希望!!【父が教えてくれたこと②】のはなし

Dr.スランプアラレちゃん全曲集Dr.スランプアラレちゃん全曲集
(2003/08/27)
TVサントラ、山田康雄 他

商品詳細を見る


こんにちは。
昨夜は、脚本家の辻真先先生のライブトークのイベントに参加させていただきました。驚異的な記憶力であり、ほぼ時系列で語られる内容は、驚きと発見が随所に見られて大変満足な内容でした。

最近、ライブトークのイベントに積極的に参加する日々が続いています。お時間が許されるならば、その場でしか聞くことが出来ない貴重な話が聞けるので、ぜひとも参加して欲しいと思う。


ここで、少しだけお小言を云わせてもらう。
昨夜のイベント終演後、参加者が懇親会に不参加の方はお帰りになるのだが、嫌なものを見てしまった。
その若者は、会場のテーブル上を跨がず土足こそ履いてはいなかったが、踏みつけて通っていた。
そのテーブル、いろんな人が飲食をすることもあるであろう所。間違っても乗るべき場所ではない。
本人は気にしていないのであろうが、他人は見ているし、そこで常識や人格も疑われてしまうのだ。
私が父の目の前でそんなことをしようものなら、きっと殴られる。いや、殴られて当然である。

老婆心で吐いてしまったが、最低限の常識が崩れつつある世の中を憂える。


今日の話題は【父が教えてくれたこと②】のはなしです。
以前、教えてくれた事を記事にした記憶があるので、今日は②ということです。

父の見舞い時に、一通り報告。

父の関係者の活躍を報告。
父は関係者の活躍を喜ぶのだ。「よかった、よかった。」って。
本当は、父自身が表舞台で活躍したい気持ちは十分にあるのだが、それが叶わない状況が悔しいに違いない。
しかし、活躍する人を羨ましいという感情は湧かないようだ。

某氏がどこかでコメントしていたのだが、父のプロデュース力についてである。
簡略に云うとこうだ。
「平山先生のプロデュース力は、それぞれの達人を活躍できる場をつくる事にある」
別の人に云わせれば、父は本来のプロデューサーとしての仕事をしていないと云う。
どちらも正解であると思う。
息子の目から説明したい。

父は、映画監督になりたいと思い東映に入社した。
しかし、監督になってもそれを続ける事が出来なくなった。理由は、太秦の人員削減の影響で異動となった。
父の仲間も、映画が作りたくて入社したにもかかわらず全く畑違いの関連会社へ転籍になったり、辞める人も出たという。父は思ったそうだ。
『仕事さえあれば、人員整理をすることはないはずだ』

昨日も、聞いた。
『僕は、その中でも恵まれていたんだ。だって、テレビだって映像を作ることには違いないのだから』
当時の映画人は太秦で映画が作れる事がステイタスだったようだ。その太秦を離れても、父は心が折れる事は無かった。東京に異動になって、父の快進撃は始まった。

父は云う。
『僕は、本当に人との縁に恵まれた』

その快進撃は決して、自分の手柄では無いと今でも云うのだ。
宮崎慎一氏に相談したところから『悪魔くん』は、テレビ放映にすることができた。

父が云う。
「頼りにする仲間、先生、それぞれの道の達人のおかげ」と真顔で話す。

父が目指していた、3本の番組同時進行。
それは紛れもなく、大事なスタッフや関係者が「仕事にあぶれる」ことが無いようにと考えていた。
父の資料によれば、64本の番組に関わってきた。(スタッフ名のクレジットがないもの含む)
東映の名刺を持つことができなくなる迄の期間を平均すると、確かに年あたり3本の番組をしていたことになる。

ここで実務上の問題が発生してきた。
資料によれば、最高同時進行が7本の番組を抱えていたことがあった。
プロデューサーの仕事とは、番組の舵取りという表現をしてきたが本来は予算管理からキャスティング、シナリオの手配など、とんでもない仕事量になる。父が考えていた同時進行だと、徹夜の毎日でもこなすことが出来ない。
そこで、制作側プロデューサー2人体制になったのだ。

父は、得意の文芸をメインに活動することが出来た。
だから、一緒にプロデューサーの仕事を手伝ってくれた仲間のおかげでもあるのだ。

そんな父であるが、時には父の思いを何とも思わない輩がいたのだ。
私は勝手に「恩を仇で返した件」と称しているのだが、某氏が解雇されようとした時、父は「家族もいるし、そこまですることは…』と庇ったそうだ。それまでの経緯を父が話してくれたが、私がビックリして「ほっとけば良かったじゃない?』と云えば、『そうかなあ?』と答える。

父が活躍した世界は確かに魑魅魍魎が跋扈していたのだ。


見舞いの中で、作曲家の渡辺宙明先生の言葉を伝えた。
『子ども番組を続けてきて正解だった』

父は、満面の笑みを浮かべて何度も何度も良かったと呟いた。

余談
父が何故あれだけの番組数を世に出すことができたのか?
局側プロデューサーが『一緒にこの仕事しませんか?』と声を掛けてくれたこと。
そして、営業畑からの異動で父の上司となった渡辺亮徳さんのブルドーザーと云われた手腕も忘れてはならない。
原作者や放送局の方の懐に入り込み、仕事を取ってくる。深夜2時に我が家に電話してきて「明朝までに企画書を仕上げて、持って行け』の命令に従えたのは、おそらく父だけだったのだろう。亮徳さんは、企画者出身ではないから、企画をつくる大変さは知らない。でも、亮徳さんも深夜に仕事をして取ったものだから『それに応えるべき』と、父は云う。
でも、そのオーダーの応えるだけの企画書案は、日頃書き溜めていたということ。
父が手振りを交えて云う。
企画書を差し出す真似をしながら、『これ、あります』ボツにされても心折れずに『何度でも出す』、そして、そのアピール。
テレビの世界は、今でも視聴率がものを云う。
『あの人と組めば、視聴率が取れる』
その様に思われるまでには、他人の何倍も仕事をして、実績が残せたのだから。

余談②
父が滞在場所で息子の私をこのように云っているという。
『息子、なかなか面白いヤツでしょ?』
いいえ、至って普通の息子です。

ブログランキング、ご支援感謝しております。


今日の話題は、ここまで。
では、また。

テーマ:特撮ヒーロー - ジャンル:テレビ・ラジオ

拡散希望!!【父が教えてくれた、それぞれの配役のこと】のはなし

特命戦隊ゴーバスターズ オリジナルサウンドトラック サウンドミッション 1特命戦隊ゴーバスターズ オリジナルサウンドトラック サウンドミッション 1
(2012/05/30)
V.A.

商品詳細を見る


こんにちは。
今朝は、気合いを入れて6:30に起床してニチアサの放映を待機しておりました。
いつもは、全く使い物にならない朦朧とした状態での視聴でしたので、万全の状態でした。

『特命戦隊 ゴーバスターズ』『仮面ライダーフォーゼ』共に面白かったです。Twitterで「おふざけな部分が多い」というTweetに対してこのようなありがたいお話をいただきました。
『毎回、シリアスなシナリオで予定調和だと飽きるのです。』
オヤジじゃありませんが、「なるほどね!」と納得しました。

では、何故、「おふざけな部分が多い」と感じたのか、その理由をお話します。

今日の話題は【父が教えてくれた、それぞれの配役のこと】のはなしです。


父が番組企画を考える上で、このような考え方をしておりました。

「立ち役」 強く逞しく雄々しいヒーロー

「二枚目」 凛々しく爽やか、美貌の青年

「三枚目」 ひょうきんで小回りが効く笑わせ役

「女形」  容姿端麗、美貌のヒロイン

「押さえ役」智謀も経験も十二分、若者達の押さえ

「老け役」 この人が後ろで見ていてくれれば、絶対安心

「敵役」  強さも恐ろしさも圧倒的。この大敵を倒してヒーローが生まれる


父にこの話を聞くことができた時、やはり父は「時代劇育ち」だなと思った。
確かに、父がプロデュースした番組では主役を演じた「藤岡弘、さん」「佐々木剛さん」「宮内洋さん」「伴大介さん」そして「誠直也さん」など数え切れない俳優さんのみなさんは、おふざけがあっても微々たるもの。そのスタンスは変わらなかったと思います。

シリアスな場面ばかりだと疲れてしまうので、キカイダーの協力者であった「服部半平さん」(通称:ハンペン)のような笑いも取る事ができる、三枚目がそのストーリーに色を添えます。

『仮面ライダー』で登場した「滝和也さん」(演:千葉治郎さん)などは、「二枚目」でしょう。
父が当時を回想して云っていたのは、
「彼は、時代劇の殺陣の動きとは違う“体操選手のような動き”をしてくれた。少し弱いシーンをつくらないと全体のバランスが崩れてしまうほどだった、と教えてくれた。

「女形」本来は、歌舞伎などの世界では男性が演じるものですが、ここでは「ヒロイン」という意味。
「仮面ライダー」では、「緑川ルリ子さん」(演:真樹千恵子さん)
父は、仮面ライダーが10話での撮影時での衝撃的な事故が無ければ、ヒロインとして使い続けるつもりでした。
10話での主役がバイク事故で、どのようにするか協議した結果、残念ながら降板。劇中では、ヨーロッパへ行く本郷猛を追って、「緑川ルリ子さん」も旅立つ。

本編では13話までの出演でした。
アクシデントとは云え、女優:真樹千恵子さんに事情を話し、降板になることを伝えた時、真樹さんはこう云ったという。
「そんなもんだと思いました」
最近になって父はこう息子に云う。
「本当に真樹さんには申し訳ないことした」「どうにか出来なかったのかなぁ・・・」

そして、「立花藤兵衛さん」(演:小林昭二さん)
父は、役者:小林昭二さんに全幅の信頼を置いていた。
小林昭二さんのような役者さんが劇中にいることで、台本にコミカルな部分があっても、全体が軽々しいものにはならないのではなかろうか、と思うのです。

お時間がありましたら、父がプロデュースした番組の配役を、今一度観ていただければ、それぞれの配役の立ち位置がご理解いただけると思うのです。

どうしても、平成の『仮面ライダー』『戦隊』を受け入れる事が出来ないファン層というのは、こんな部分なのかもしれませんね。


余談
昨日、ハウスメーカーの「ダイワハウス」のCMでライダー達の映像を発見しました。
それぞれの『仮面ライダー』のキャラクターを良く知る方々から、いろいろなご意見かありました。
「当時のキャラクターと素材、色合いが違いすぎる!!」
あれだけのブームを巻き起こした『仮面ライダー』です。みなさん、良くご存知で「流石だ!!」と声を上げずにいられませんでした。
そのURLを貼っておきます。みなさまのご感想をお待ちしております。
http://www.daiwahouse.co.jp/ad/cm/kamenrider.html

「スカイ」「スーパー1」も出してくれればいいのに。(独り言)

今日の話題は、ここまで。
では、また。

ブログランキング、ご支援感謝しております。


 

テーマ:特撮ヒーロー - ジャンル:テレビ・ラジオ

拡散希望!!【人造人間キカイダー放映から40年を経過して父からのコメント】

(平山亨の口述を起こしたものです)

『人造人間キカイダー』の放映開始から40年という年月が過ぎました。


この番組は、あの爆発的視聴率(平均27%)を誇った『8時だヨ!全員集合』という番組に対抗すべき番組をという依頼からはじまりました。僕の企画『地獄からの逃亡者』を基に練り上げたものです。私は、東大美術史科卒であるにもかかわらず、「絵」を描くことが苦手です。しかし、企画段階でのストーリーには絶対の自信がありました。漫画家:石ノ森章太郎先生にそのストーリーとキャラクターの相談をしましたが、先生は素早くそのキャラクターを描きあげ、ストーリーも考えてくださいました。石ノ森先生にとって、『人造人間キカイダー』は、そのストーリーも然る事ながら、キャラクターも大変な思い入れがあると述懐しておりました。


 主役の伴くんをはじめ、キャスト、スタッフのがんばりで『8時だヨ!全員集合』の裏番組としては、1クール(3ヶ月)を過ぎる頃には、僕の記憶では視聴率16%を取る事ができ『キカイダー01』へと、続くことが出来ました。

 『人造人間キカイダー』は、40周年を迎えた今でも、ハワイでは絶大なる人気が続いていると聞いております。ハワイのNinomiyaさんが、『人造人間キカイダー』と『仮面ライダー』のフィルムを持って行きましたが、『人造人間キカイダー』がなんとハワイでの視聴率が70%を越えていると聞いてビックリしております。私が想像するには、ハワイは日本と馴染みがある方が多く存在し、『自己犠牲の精神をもつヒーロー像』が受け入れられた事、そして“人造人間キカイダー”の不完全なる良心回路がヒーローを悩まし、ストーリーに深みを付けた事が、ハワイの視聴者の心を掴んだのではないかと考えています。それに加え、“人造人間キカイダー”のキャラクター造形美は、内部を曝け出す事や、その色合いも素晴らしく、天才 石ノ森章太郎先生の神業的な能力の賜物であることを忘れてはいけません。実現が可能ならば、いつかハワイのファンのみなさまに“人造人間キカイダー”の何処が好きなのかを聞いてみたいと思っています。

 今年は、ハワイでも“人造人間キカイダー”の記念イベントが頻繁に開催されていると聞きました。その人気は衰えず、主役の伴くんを『ジロー!!』と声を掛けてくれることは、役者冥利につきると思います。


 “人造人間キカイダー”のネーミングは、石ノ森章太郎先生が発案され、僕は、当時住んでいた神奈川県辻堂にある海浜公園へ息子と一緒に出向き、そのキャラクターデッサンとネーミングを幾つか用意して、視聴者対象である子ども達に聞いて回った記憶があります。そこでも、大多数の子ども達は“人造人間キカイダー”を指差してくれました。そこで、子ども達に受け入れられる事を再確認したものです。

 この番組については、本当に楽しく制作することができました。原作者の石ノ森先生も会心の作だと仰っているのを聞いております。ときには、何をやっても上手くいく番組があるのだなと思っています。


最近、特撮ヒーロー番組をつくる仕事に就きたいという若者が増えてきたという話を聞きます。
 そこで、番組をつくる道を志す若い人達へメッセージを送りたいと思います。


 「若者たちよ、漫画だけでなく読書をしなさい。そうすれば、若くしてアイデア切れなんてことはならない。この『人造人間キカイダー』の原作者:石ノ森章太郎先生も実によく本を読んでおられた。多読の王者と自認する私でさえ、石ノ森先生の読書量には敵わないと思った。読書量はアイデアの面だけでなく思想面でも深みをつけるのだ。逆に、思想に弱い人はこの道に入るべきではない。
 もう一度伝える。 「漫画だけでなく読書をしなさい。」

平成24年7月10日

                元東映プロデューサー
                      平山 亨

テーマ:特撮ヒーロー - ジャンル:テレビ・ラジオ

拡散希望!!【伴大介さん】のはなし

ゲーム★アクション [DVD]ゲーム★アクション [DVD]
(2010/06/30)
宮内洋、佐藤寛子 他

商品詳細を見る


こんにちは。
今朝、やっちゃいました。寝坊です。起きたらジャスト8時でした。朦朧とする頭でテレビをつけました。
そんなわけで、『特命戦隊ゴーバスターズ』視聴できませんでした。ごめんなさい。
特撮研究所の佛田洋監督の新刊『特撮仕事人』の帯に、あの有名な庵野秀明さんが「イエローバスターが特にグー!」と仰っているのに・・・
『仮面ライダーフォーゼ』視聴しました。秋の新番組が公式発表したことも関係しているのか、ストーリーが急展開です。どこかのWebでの話に、戦闘員を無くした事、人間態でのヒーローに殺陣がほとんど無い事、私も残念に思います。全ては、現スタッフが考えたこと。これからも注目してまいります。


さて、今日の話題は【伴大介さん】のはなしです。

そう、今日、40年前の7月8日に『人造人間キカイダー』が放映が開始されたのです。

昨年、阿佐ヶ谷のロフトAで開催された“石ノ森スピリッツ”でのイベントで久々にお会いさせていただきました。
それからも、【伝説のイベント】終了後の記念パーティーにも参加していただき感謝しております。
今年、1月に開催された「内田有作さん お別れ会」にも参列していただいております。

7月6日、吉祥寺の前進座劇場で「なぞらえ屋~開闢九重千曳~」の公演で伴さんは特別出演されて、観劇に行ってきました。観劇初心者としては、席を予約する位置をミスってしまい一番右端に席に。それでも、楽しく観る事ができました。

そこでの感想を少し。
なぞらえ屋という設定が好評だったようで、そのシリーズのひとつのようです。
若い役者さんと、伴さんの差がハッキリしたのは、役者としての発声と間とスピードです。
どうも、最初のシーンで学校教室内でのやりとりなのだが、何を喋っているのか聞き取れない。
舞台初日で少なからず緊張もあったのだろうが、残念ですね。これは、録画録音をリピートしても理解できないかもしれない。観客席にどのように伝わるかだと思うのです。駄目だしを厳しく指導する演出の責任でもあるのです。
やはり、伴さんは格が違いました。腹式呼吸での発声で大変聞き取りやすい。間の取り方、身のこなし、役者としての魅力タップリです。

当日券の残りがあるか否かは判りません。是非、問い合わせの上、足を運んでください。

1970年代のヒーローを演じていただいた俳優のみなさん、格好よかったです。
当然、その方々も還暦を過ぎている方が大半だと思うのですが、いい歳の取り方をされています。
伴さん、藤岡さん、佐々木さん、宮内さん等、素晴らしい年齢を重ねていらっしゃいます。
今、特撮ヒーローの主役に抜擢される事は・・・云々言われております。
当時と今では、「子ども向け番組」の世間的評価も変化しています。
だから比較しちゃいけないんだと思っていても、考えてしまう事があります。

当時は、視聴率が取れていれば1年以上番組が続くこともありました。
1年毎の番組入れ替え制、長い目で考えて役者さん達にとって良いことなのか?
番組が終わって、暫くはその番組の看板の威力で活躍できるかもしれない。
一生役者で喰っていくという覚悟があるなら、やるべきことをしないと「あの人は今」という記事になってしまうよと、素人ながらの考えが頭に浮かんでしまうのです。

父も、当時活躍してくれた役者さん達が今でも舞台や映画、テレビで活躍しているのを知ると「うん、うん」と云いながら嬉しそうな表情をしています。
父は、サラリーマンプロデューサーでした。その名刺を持てる期間は決められています。あたりまえの話ですが。
子どもが好きで、良かった役者さんは使い続けたいと考えていました。それでも、受注させてもらう側(制作側)プロデューサーですから、局側の反対意見があれば意見は云うものの従がわなければならない局面が多いと教えてくれました。難しい世界です。

これからも、みなさんが子ども番組のヒーローを愛し続けてもらうと共に、1970年代の特撮を支えていただいた役者さんたちが末永く活躍することを願っております。

余談
『ジャイアントロボ』は今年の10月11日に、45周年を迎えます。
第1話は、監督 山田稔さん 脚本 伊上勝さん。お二人とも残念ですが亡くなられています。
父は、この2人の組み合わせが好きだったといいます。父曰く、「頼もしい仲間が亡くなった」と。

今日の話題はここまで。
では、また。

ブログランキング、ご支援感謝しております。

テーマ:特撮ヒーロー - ジャンル:テレビ・ラジオ

拡散希望!!【どっこい大作、影の若者の頑張り】のはなし

懐かしのテレビまんがBGMコレクション どっこい大作ミュージックファイル懐かしのテレビまんがBGMコレクション どっこい大作ミュージックファイル
(2001/04/21)
TVサントラ、山田太郎 他

商品詳細を見る


こんにちは。
昨日、利用している住居が大家さんと管理会社との契約が解除になる話を受けて引越しを考えなければならない状況になりました。最近、流行の家電、家具付きの部屋だったので同条件での部屋探しが始まり右往左往しております。まあ、なんとかなるでしょ。引越しが面倒なだけですから。

さて、今日の話題は【どっこい大作、影の若者の頑張り】のはなしです。

数ヶ月前に『どっこい大作』の話題を取り上げました。閲覧数はあまりヒットしませんでしたが・・・
番組のスタッフ名のクレジットを見ると、父と並んでプロデューサーに七条敬三さんが掲載されています。

アニメ『Dr.スランプ アラレちゃん』の名プロデューサーとして功績を残されている方です。
現在は、アニメ、特撮などの世界から離れ海外で別のお仕事をされているようだと、噂で聞いております。

その『七条さん』の“どっこい大作”での頑張り、父からの教え・・・の内容です。

七条さんは、東映東京制作所で演技事務という職に就いていました。慶応ボーイで外国語が堪能で、映画がつくりたくて会社に就職したのに国際部という映画の輸出入をしておりました。

父が『超人バロム・1』という番組を始める時に父をアシストするプロデューサーがいなかった。会社でもおプロデューサーの人手が足りなかったのだ。
その七条さんが、プロデューサーをやりたいと父の戦友でもある内田友作さんにお願いをして、内田さんからテレビ部の管理部長だったHさんに申し出てくれたのだ。

父は、このように七条さんに云った。
「僕には、人事の決定権はない。実質的なアドバイスはしてあげるけど、プロデューサーに向いていない人を推薦したら君のためにならないと思うんだ。君がプロデューサーとして向いているか否か、君なりやってくれ」

父なりのプロデューサーの最低条件を事あるごとに教えていた。彼なりに精一杯勤めて局プロのSさんにも気に入ってもらい番組を一本撮り終えた。幸運なことに、局から根性ドラマの制作を依頼されて、テレビ部のプロデューサー不足もあり晴れてプロデューサーの見習いとなった。

父は、プロデューサーという職業は監督と並んで、なにかと話題にされたり批判されたりと矢面に立つことがあるものだと感じていた。それは、みんなが憧れる職業であると同時に辛い仕事でもあると感じていた。

だから、父は七条さんにこうアドバイスした。
「自ら持することに厳しくあれ」

プロデューサーというのは、どうしても命令系統の上位にたってモノを言わなければならない職です。
本来ならば年功を積み職歴も功績大で、誰でもその人の云うことなら文句の云えないキャリアの持ち主でなくてはできない職なのです。
「なんで、お前の云う事をきかねばならん?」
それを軽減するためには、うんと自らを戒めなければならない。

「あんなに頑張っているのだから、許してやろう」
という雰囲気が大事なのだと父は考えていました。

だから、七条さんは頑張った。
“どっこい大作”での劇中後見役に名優:志村喬さんをお願いした。しかし、名優に来ていただくには生田スタジオは、あまりににもボロすぎた。
内田さんは、俳優控え室を急遽こしらえたが、バラックはバラックである。
後は、我々の誠意しかない。
父は、志村さんに云った。
「これから、七条君が志村先生のお付きをいたします。毎朝クルマでお迎えに行き、帰りもお送り致します」
六本木と生田。七条さんは、一日も怠らず任務を果たし、おかげで志村先生に可愛がっていただき思わぬお褒めに預かったのだ。

七条さんは、私とも面識はあった。それは、平山家へ訪問してくれたからだった。
東京都府中市に家があった時期だったと記憶している。
そこでのハプニングがひとつ。
ガソリンスタンドが開いていない時だったから、正月だったのだろうか?
賑やかな話が終わり、七条さんが自家用車で帰ろうとするとなんとガス欠で動けない。
そこでどうしたか?
七条さんは、父のクルマからガソリンを灯油を汲み出す手動式ポンプを「パフパフ」させたがタンクまでは遠く、ガソリンは汲みだせなかった。
次の一手は・・・
短めのホースを使うことだった。そこで、給油口から差し入れたホースの出口を七条さんが咥えて、汲み出す勢いを付けようとしたのだ。
結果は、汲み出すことは成功した。しかし、これにはオマケがあった。
七条さんは、どのくらいの量だか本人も云わなかったのだが勢い余ったガソリンを呑んでしまったのだ。
大変苦しそうにしていた記憶があるが、その後元気に仕事をしていたというのだから大事には至らなかったのであろう。

名プロデューサーとなった七条敬三さんでしたが、何故この業界から去ったのか?
その理由は父の口からは聞いていない。

今日の話題は、ここまで。
では、また。

ブログランキング、ご支援感謝しております。

テーマ:ドラマ・映画 - ジャンル:テレビ・ラジオ

懐かしのテレビまんがBGMコレクション どっこい大作ミュージックファイル

懐かしのテレビまんがBGMコレクション どっこい大作ミュージックファイル懐かしのテレビまんがBGMコレクション どっこい大作ミュージックファイル
(2001/04/21)
TVサントラ、山田太郎 他

商品詳細を見る

拡散希望!!【40年以上前の出来事を語る父】のはなし

石ノ森章太郎 生誕70周年記念 宇宙鉄人キョーダイン MUSIC COLLECTION石ノ森章太郎 生誕70周年記念 宇宙鉄人キョーダイン MUSIC COLLECTION
(2009/09/18)
TVサントラ

商品詳細を見る


こんにちは。
いろいろな方から情報をいただき、嬉しい悲鳴をあげております。
大事なフォロワーさんから、『宇宙船』という雑誌の記事を知らせていただき一通り読了したところです。
新旧の織り交ぜた記事が数多くあり、読み応えあります。
冒頭の宇宙鉄人キョーダインは、夏の映画に新しいキャラクターとして出るようですね。男兄弟が、兄妹という設定に変えているようです。新しいキャラクターは、予算タップリという出来具合であり、昭和のキャラクターが好きな私は、見慣れるまでに時間がかかりそうです。


さて、今日の話題は【40年以上前の出来事を語る父】のはなしです。

今週は、多忙を極めており月曜日に父の見舞い。火曜日は、兄と帯同して母の定期健診に運転手として行ってきました。
本来、男兄弟は余程の事がない限り大人になってから一緒に行動する事が無いというのが一般的だと思うのです。
それが、両親の事でお互いのスケジュールを確認しながら、対応するなど行動するなど思いもよらない事が続いています。兄は、父の異常に厳しい躾が原因でトラウマになっており近寄ろうとはしません。トラウマになるほどの事を見ていた私は、兄を非難する事ができないでいます。別に打合せた訳ではないのですが、兄が母親を、そして私が父の介護をする事になったのは、至って自然な流れでした。
容姿も性格も全く似ていない兄が、私を初めて褒めてくれました。それは、昨日、兄をクルマで送る車中での話でした。まさか、まさかの事が昨年から怒涛のごとく兄弟に降りかかり、父親をどうにかしなきゃならん!!の気持ちだけで動いていました。それが、「お前、中々やるな?」という事に繋がったのです。あまり、兄はオモテに出る事を嫌う性格なので、兄の話はここまでにしておきます。


月曜日に、父の口からこんな話を聞くことができました。
『仮面ライダー』の放映が始まる前に、スポ根モノの『柔道一直線』という番組をプロデュースしました。
あの番組をお話する時、有名なピアノの場面があまりにも印象が強烈すぎて話題になる事が多いのですが、もっと番組の企画以前でのお話です。

あの『柔道一直線』の原作者は、破天荒な人生を歩んだ梶原一騎先生です。その梶原一騎先生をどのように説得したのか?
訥々と父は語りはじめました。
「あれは、僕の上司の功績なんだよ」
「なんでかな?」
「僕の上司だったWさん、知ってるだろ?あの人が口説き落としたんだ。」

以下、父の独り語り。
あの原作は、某会社がもう押さえていたんだ。そのことは、Wさんも百も承知。でも、諦めきれなかったんだよ。そこで、Wさんは、梶原先生にアタックを掛けたんだ。梶原先生は、お酒が好きで銀座のクラブにも頻繁に出入りしていた事は知っていた。Wさんは、梶原先生に接待の場を設けましたとお誘いした。梶原先生曰く、「俺がどんな所で飲んでいるか知っているのか?」と問うたそうだ。そこは、Wさんもリサーチ済み。その店にも縁があったWさんは、ママさんやお店の子に「梶原先生をお連れするから」の一言で、話が通じたそうだ。しかも、送り迎えはリムジンでのもてなし。ハイヤーじゃないんだよ。リムジンさ。到着する時刻には、ママさんもお店の子も階下に降りてお出迎え。その場には、何故か父も同席していたのだ。父は、全くお酒が飲めない。プロデューサーでありながらお酒が飲めないというのは、非情に辛いことだったと云う。接待するのも、されるのもお酒が飲めない父を相手は知っているので、返って気を使わせてしまったと云うのだ。


話を梶原先生とWさんの話に戻そう。
当初、梶原先生も「もう、先約があるからねえ」と頑な様子だったのだ。
それが、Wさんと父の熱意に押されて、梶原先生は「わかった、いいよ」と承諾してくれたのだ。
父の記憶では、Wさんは「本当によろしいのですか?」とは聞き返さなかったと云うのだ。
Wさんと父は、「有難うございます」と謝意を示し、Wさんは、すぐに企画を進めろと父に命じたのでした。

父は、本来ビビリな性格でありまして梶原一騎先生の武勇伝は耳に入っていたのでした。もしかしたら、無理強いをお願いする事で機嫌を損ね「殴られる」可能性は少なからず心配していたというのだ。

父は、云うのだ。
「先に約束していた某会社は、怒っただろうね?」
「普通、大変な騒ぎになるよ」
「それでも、僕の耳には騒ぎは聞こえなかった」
「梶原先生やWさんが、上手に収めてくれたのかな?」
「どうだろう?」

後日、そのWさんが梶原先生からの伝言を伝えた。
「あの、平山って奴は、おもしろい奴だな」

父にとっては、最高の褒め言葉でした。


余談
映画『若草物語』の話題になって、父が涙と鼻水を流しながら泣いてました。
私が「泣くんじゃねえよ」と云っても
「だって、かわいそうな話じゃないか・・・」
映画の話を思い出しながら、泣く男。
珍しいけど、そんな父親が好きです。

今日の話題は、ここまで。
では、また。

ブログランキング、ご支援感謝しております。

テーマ:特撮ヒーロー - ジャンル:テレビ・ラジオ

拡散希望!!【故石ノ森章太郎先生が会心の作と述懐した番組】のはなし

人造人間キカイダー / キカイダー 01 ― サントラ人造人間キカイダー / キカイダー 01 ― サントラ
(1997/12/20)
TVサントラ

商品詳細を見る


こんにちは。
今朝の、スーパーヒーロータイム如何でしたか?
ごめんなさい。このところ、不眠症が酷く朝は朦朧としていて『特命戦隊ゴーバスターズ』を見損ねていました。
『仮面ライダーフォーゼ』は、赤目の理事長の正体(その影のようなものしか見せていませんでしたが)の部分と大杉先生が格好良いセリフを云っているなあ。という事ぐらいです。
如何に、人間は睡眠が大事であるかという事です。

さて、今日の話題は【故石ノ森章太郎先生が会心の作と述懐した番組】のはなしです。

いろいろな書籍を読み解くと、確かに故石ノ森章太郎先生は、この番組のストーリーとキカイダーのキャラクターには、特別な思い入れがあるようです。父の著書にもその記述があります。

この記事の上部に1997年に売出されたサントラ盤のジャケット。あまりに格好良いので、ご紹介を兼ねてUPしてみました。

このシリーズは、ロボットというものを通して、人間の哀歓を噛み締める名作だったと父は回想していうのです。
ロボットのジローに愛を求めるミツコ。ロボット故に実らぬ愛と抑えながらもミツコを想うジローの悲哀。
だから、子どものみならず女性ファンが多かったのだろうと推察することができます。

この『人造人間キカイダー』がつくられていた当時、父は既に番組が放映中だった『仮面ライダー』『変身忍者 嵐』『刑事くん』『超人バロム・1』を抱えて多忙な毎日を過ごしていました。

私が、物心がついた頃には所狭しと書籍が父の部屋に並んでいました。最初は、家屋内に並んでいた書籍が入りきらず、家屋の外に塀と家屋の外壁の間に細長い書庫を作りました。そこにも、溢れんばかりの書籍が並んでいました。息子共は、自由に出入りが出来て読む事ができました。読書量からすれば、父の足元にも及ばない量ですが、その部分だけを云えば幸せな環境にいたのかもしれません。

漫画本の量も、かなりな冊数になります。父が大変お世話になった『石ノ森章太郎先生』の漫画はほとんど揃っていたのだろうと父が教えてくれました。また、『水木しげる先生』『横山光輝先生』『さいとう たかを先生』『手塚治先生』『白土三平先生』『赤塚不二夫先生』の漫画もズラリと。

いつの事だったか、父のアイデアが何処から湧いてくるのか?という質問をされたと云う。
先日、大往生した義兄:故松村昌治さんからのアドバイス。
「アイデアは、出し惜しみしたらあかんよ」そんな話があったと記憶している。
多忙を極めていた父でしたが、義兄との交流は頻繁にありました。
2人とも声がとても大きい。平山家が未だ、団地住まいの頃は隣の部屋まで響く声で、母は「もう!」と怒っていた。

父のアイデアは、番組をつくっている最中に湧き上がるようです。
例えば『仮面ライダー』をつくっている時に、これは『仮面ライダー』では出来ないから、別の企画でやろう!という具合に。そんなメモが増えていくうちに、新しい企画を書き溜めていったのでしょう。

先日の、見舞い時に父へこんな質問をしてみました。
番組のスタッフの名前がOPやEDに載るじゃない?2人いるけど、どちらがメインプロデューサーなの?
父の口からこんな答えが返ってきた。
「『仮面ライダー』は、僕は文芸の部分をメインにさせてもらって、予算のことなど僕が苦手な事を阿部ちゃん(阿部征司プロデューサー)が引き受けてくれたんだよ。阿部ちゃんがいてくれたから、僕は文芸に注力できたんだ。」
「2人とも、プロデューサーという肩書きだろ?」
あれは、会社がプロデューサー補という肩書きは可哀想だということから始めたんだ。
『仮面ライダー』に関しては、僕は阿部ちゃんを信頼していたし、報告もきちんとしてくれていたね。
だから、分け隔てなく2人ともメインという拘りなくプロデューサーでいいじゃないかな?

大体、僕が年長だったから年下のスタッフをつけてくれたのかなと思うよ?
別の番組については、言及しなかった。
会社は、給与を払っているプロデューサーが遊んでいることを嫌っていたのだよ、とも、教えてくれた。

某氏からこんな話を聞いた。
父は、相手を呼ぶ時に「~さん」「~くん」など、ほとんど呼び捨てにする事がないというのだ。
実に父らしい。
一般的に、『プロデューサー』という職業柄、「おい、こら」など威圧的な態度だと思われがちで、父とは関係ない漫画でプロデューサーの描き方は、派手な格好でまさしく、「おい、こら」の世界が多いようですね。
ただ、極一部の人には、どうしても敬称を付けたくない様子でありました。

父は、イベントがあると余程の事がない限り参加させていただいていました。
これが、公式、非公式であっても。
父は、若い人達に「エネルギー」をもらえるから、だというのが参加理由。
何でも呼ばれるから、「ホイホイ」と行くわけじゃないよ。と父は云う。
もう、車椅子の生活になりましたが、歩行訓練で平行棒の捕まりながら
歩けるようになった事に気を良くした父が、最近、ムチャを云う。
「歩いて、電車乗り継いでイベントに行きたい」
私は、転んで骨折する危険性を感じ、必死に説得します。
「お願いだから、それだけはやめて」
「寝たきりになるよ」
という言葉にも納得しがたい様子でした。


父も、83歳を越えました。
先日、特撮研究所の矢島会長がお見舞いに来られた際の会話。
私が
「父は120歳まで生きるそうです」
矢島会長は、即答で
「じゃ、俺は130歳までだ」
嬉しいことです。

喋る事が元気のバロメーターの父。
最近、好調なようです。
父のお願い事は、全て叶えてあげたいけど、
「できること、できないこと」があって実に歯がゆい思いをしています。

最後になりました。
今年は、『人造人間キカイダー』の放映から40周年になります。
主役を務めた俳優::伴大介さんも、ハワイでのイベントなどに頻繁に通っているようです。
伴大介さんの公式HPを記しておきます。
ハワイでのイベントの様子が写真で見ることが出来ます。是非、ご覧ください。
http://bandaisuke.com/

今日も、纏まりのない記事で申し訳ない。
今日の話題は、ここまで。
では、また。

ブログランキング、ご支援感謝しております。

テーマ:特撮ヒーロー - ジャンル:テレビ・ラジオ

«  | ホーム |  »

プロフィール

次男坊

Author:次男坊
【泣き虫プロデューサーの遺言状】講談社より好評発売中。
父、平山亨は、2013年7月31日23時24分心不全により他界いたしました。

riderブログランキング

FC2Blog Ranking

お読みになったらポチッとね。

秘密基地へ、ようこそ

息子の推し本

息子のお奨め書籍

リンク

このブログをリンクに追加する

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (17)
本 (11)
Tweet (9)
ご挨拶 (3)
【伝説のイベント】 (3)
告知 (61)
父が愛したモノ (7)
仮面ライダー関連ニュース (6)
親子の会話 (45)
息子が観たこと、聴いたこと。 (207)

ちょいと見てやってね!

フリーエリア

検索フォーム

RSSリンクの表示

QRコード

QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。