2017-04

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大野剣友会の名優 【故中村文弥さん】のはなし

みなさん、おはようございます。関東地方は、今夕から降雪するとの予報がありましたね。

先ほどまで、故中村文弥さんの資料やメモを読んでいました。
裏付けのある情報から、~らしいという話まで、さまざまな話がありました。
そこで、今回の記事に関してはWebでの話で確認がとれていないものは、その注釈(未確認)という言葉を文末に入れさせていただくことにしました。

さて、昭和の特撮番組とりわけ『仮面ライダー』を支えてくれた≪大野剣友会≫のメンバーでした
中村文弥さんのおはなしの始まりです。

このブログを開設した当時、「仮面ライダーをつくった男たち1971-2011」のなかで大野剣友会の部分を漫画家 村枝賢一先生が描いてくださっているので、みなさんもご存知だと思います。

まず、来歴から
1946年1月10日生まれ。埼玉県出身。
1963年に亡き母の影響で演劇を志し、17歳という若さで東京小劇場に入る。のちに新劇に参加。
1966年20歳。当時、劇団フジに在籍していたが、「どうしてもこの世界で飯が食いたい」という思いから大野剣友会に入会。師匠である"大野幸太郎”に師事、立ち回りを習う。

大野剣友会では、剣技に関して群を抜く腕前で、高橋一俊と共に殺陣の指導するまでになった。剣友会のもと、ご存知のとおり舞台、各種アトラクション、テレビドラマにかかわる。

時代劇中心だった剣友会が、『仮面ライダー』で急にヒーローアクションを請けることになって、中村は「最初は戸惑った」と語っている。

ロケ地でのできごとでした。元々『仮面ライダー』の初期ではショッカーの戦闘員を演じていた中村が、「スタッフが撮影中に仮面ライダーのマスクを地べた置いているのを見て激怒し『その面をなんだと思ってる!!そいつは主役の顔なんだぞ!』と、スタッフを大声で怒鳴りつけたことが殺陣師を努めていた"高橋俊一”の目にとまり、次のライダーのスーツアクター(中の人)をするきっかけになったことは有名です。

そして、仮面を着けた芝居であっても、中では喜怒哀楽の表情を心がけたとのことで、同剣友会のメンバーは「なんといっても、面を着けての感情を持たせた演技は、『ブン』が一番うまかった」といっている。

1972年、文弥さん26歳。『変身忍者嵐』で「嵐」役を担当。
通常の時代劇では、袴や着物の裾で隠れる下半身がタイツスーツのため誤魔化せず、重心を落とした殺陣の基本形を常に意識させられ、苦労したと語っています。

後に、どのキャラクター演じるのが嬉しいかと聞かれ、『変身忍者嵐』を演じてほめられることが嬉しいとインタビューに答えたそうだ。剣術の殺陣を認められたという気持ちなのでしょう。(未確認)

1972年。『仮面ライダー』の裏番組の主役のオファーがあったとき、このように返答したとされています。
「仲間の出ている番組の敵にまわりたくない」として、せっかくの主演デビューの機会を蹴り、これを断っている。

1973年、27歳。『仮面ライダーV3』で敵役の『ヨロイ元帥』を演じている。これは、Fanの間でも好評なもので、表情や声のつくりかたが秀逸で、強烈な印象が残った。

1979年、33歳。「大野剣友会」は、大野代表が会長に退き、岡田勝を代表とする新体制に移行する。大野代表の引退を受けて、文弥さんも芸能界から引退することになった。
2chのスレでは、芸能界から引退したものの、大野会長から裏方を手伝ってくれと言われて、しばらく手伝っていたという記載がみられました。(未確認)

2001年、1月17日。悪性リンパ腫のため死去。享年55歳。若すぎる死でした。

『仮面ライダー』がライダーキックが大流行してる頃、このようなことがあったと幻冬舎のインタビューで話しています。
仮面ライダーの必殺技に、高いところから飛び降りて蹴る「ライダーキック」というのがあって、それを真似した子どもが怪我をした。
大野剣友会はすごく悩んだ。番組を盛り立てようと必死で技を考えたはいいけど、「子どもが怪我してるじゃないか」という自責の念にかられた。
贖罪の意味をこめて、大野剣友会の面々はロケのない日に手弁当で交通紹障害の養護施設へ慰問を始めた。

文弥さんは、その中でこのように語ってくれています。
「ある障害者施設でショーをやった時、『じゃあね』って帰る間際に、心因性か何かも問題で立ち上げる事も出来なかった車椅子の少年が「ライダー、帰らないで」って立ち上がった。その姿に職員の人はびっくりして「私たちがどんなに頑張っても駄目だったのに、仮面ライダーには適いません」って、大泣きした。文弥さんは、以後も顔を隠し続け、子どもたちの夢の為に『ライダー』を演じていたのでした。

息子が一推しする「仮面ライダーをつくった男たち1971-2011」の中に、中村文弥さんのご子息(中村昌弥さん)が寄稿されています。ご子息からみた、父、文弥さんの素顔が読めますので是非、ご購読してくださいね。


では、また。
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テーマ:仮面ライダー - ジャンル:テレビ・ラジオ

コメント

一緒に入院してました。

文弥さんと最後の年一緒に入院してました。タバコ友達でした。文弥さんがタバコを吸いながら「俺、仮面ライダーだったんだぜ」と言ってました。驚きました。先に退院してしまったので、その後亡くなられた事を知ってショックです。もうあれからそんなに月日がたったんですね。

平山さんや大野さん達が悪いんじゃありません!

こんにちは!
ライダーは昔から好きでしたが、番組撮影の内情を知ってから、もっと好きになりました!
「子供が真似をして怪我を・・・・・・」とありますが、子供はそうやって怪我をして親に怒られて、『加減』というものを学んでいくんではないかと思います。
誰かを苦しめたりするのも同じで、それをおもいっきり怒られて痛い目をみて、『やってはいけないこと』と学んでいくのではと僕は思います・・・。
ライダーの作品の中でも、そういうことが十分教えられてると思いますよ!

Re: 一文字ライダー

コメント、ありがとうございます。
背中で語れるアクターさんでした。
ヨロイ元帥も、見事でした。

一文字ライダー

初めまして、今晩は。去年は中村さんが亡くなって10年になるのですね。中村さんといえば、ヒーローのスーツアクターでも表情が有りましたね。悪の大幹部も格好良かったです。それでは。

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