2017-09

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拡散希望!!【特撮ヒーロー番組の源流は、なあに?】のはなし

こんにちは。昨日、ディベートで闘い疲れて眠れず、ポワーンとしております。

アクセス解析をしていると、面白いんですよ。「仮面ライダー」ネタが要求されているのかなと思いきや、父の思いを伝えることが、みなさんに読んでいただけたり、本当にブログを始めてよかったなと思っています。みなさんの検索ワードの判るんですよ?興味のあるワードを検索していただいているのでしょうが、入口は自由なんですよ。興味を持ってもらう事が、父の喜びであり代弁している息子のやりがいでもあるのです。

父の特撮ヒーロー番組を、この世に多数輩出してきましたが、その源流のはなしです。

父が、太秦(京都撮影所)から、未知のテレビプロデューサーに転身した経緯は、周知のとおりです。

父は、本当にどのようにテレビ番組をつくったらいいかなんて知りませんでした。
そこからスタートしたのです。テレビ番組のプロデューサーになったのは、父が36歳でした。
父の歩んできた道は、なんとまあ凄いものです。
社会派映画「ひめゆりの搭」に感動して東映に入社、辞令で京都撮影所へ行く。何故か娯楽映画である時代劇を助監督として参加するが、現在のスタッフ編成は知らないが、父が体験した編成は、助監督が4人もいたのだった。助監督といえば聞こえが良いが、やっていることは雑用全般である。助監督ファースト、セカンドぐらいは名前で呼んでくれたが、サード以下は名前すら呼んでくれない世界。当時、太秦は父に言わせれば『荒くれもの』の集団だったのだ。

当時の写真が少ない数だか実家のアルバムに保存してあった。父の自慢ではないが、良い顔をして仲間と一緒に写っているのだ。社会派映画とは程遠いものであったが、大監督の故松田定次先生に師事することができて良かったと今でも父は事あるごとに教えてくれる。

一度だけ、両親に連れられて大監督の故松田定次先生とお会いしたことがあった。故松田先生が、伊豆の住居に住まわれている頃でした。故松田定次先生も、父も嬉しそうに会話をしていた記憶があります。おまけに、故松田定次先生にお食事を平山家は招待され、子どもの私達にも“伊勢海老のお造り”を出していただいて、大変おいしくいただいた事がありました。

さて、助監督を数多く務めて監督で数本、娯楽映画を撮った後に東京行きへ命じられます。
父は当時リストラという言葉が無かったと思いますが、要は整理要員で職安まで行ったと後年聞きました。
ひとりならいざ知らず、女房、子どもを養う重責を考えていたそうです。
職安の担当者は「職歴は?」と聞かれ、父が「映画監督です」と答えた。
担当者は「映画監督なんて威張ってばかりで、普通の会社へなんて難しいでしょ?」
なんて云われて、父は凹んだそうだ。

意を決して、東京行きの列車への見送りも無い中、最初は単身で向かったのだった。

どうやってテレビ番組をつくったら良いか悩んでいた父は、同期の宮崎慎一さん(当時NET)へ尋ね当てて、聞いたのだった。

父は後で知ることになったのだが、宮崎慎一さんは当時アニメのヒットメーカーだったのだ。
宮崎さんは「ヒラさんは、漫画好きだったかなぁ」
父は「ああ好きだよ。横山光輝先生の『伊賀の影丸』なんて撮りそこなったからね」
宮崎さん「何かこれやってみたいとかないのかね」
父は「すごいのあるんだ。貸本屋の漫画でね」
宮崎さん「それ見せてくれよ」

翌日、宮崎慎一さんのところへ持っていったそうだ。
それがあの“貸本屋版「悪魔くん」”なのだった。

宮崎さん曰く、「面白いんだけどねえ。テレビではどうかな」とテレビの体質を教えてくれたのだ。
「怖がってちゃなにもできないけれど、怖がらなくちゃ何もできないのがテレビなのさ」と。

そして講談社の内田勝さんと出会い、「悪魔くん」の話をする。
「あのよさが判るの?」とは内田さん。
「人を人と思わない毒々しさがいいですねえ。あんなに面白いのは初めてですよ」と父。
「あのよさが判るなんて大した大人だ。ご褒美にこれあげますよ」と内田さん。
読むと、『少年マガジン』向けにリライトした「悪魔くん」だった。
「これならいけるッ!」と父は感激した。

やりとりは続くのだが、父が最初に手がけた番組は、同期であった宮崎さんい相談したことが発端であった。

父は、何より仕事仲間を大事にしてきました。1999年に出版した書籍も自慢話というより番組にかかわった様々な名人を後世に残しておきたい、すばらしい仕事仲間に恵まれて多数の特撮ヒーローものをつくることができたんだと、ファンにみなさんやこの道を志す若者むけに執筆したという。もっとも、小説家にもなりたかった父の文章力は、どうなんだろうと意見する身内がいたことも本当である。

「悪魔くん」をつくるにあたって“水木しげる先生”に事務所に伺いお化けとは?妖怪とは?を根掘り葉掘り聞き、(父は子どもの頃からお化け好き)その種がたくさんあるからこそ、父が活躍出来たと思っている。

「東映ヒーロー名人列伝」のまえがきに“水木しげる先生”との対談を回想する部分があるが、恩人の“水木しげる先生”がお元気で活躍されていることが、父にとっても嬉しく励みになるのだ。

では、また。

ポチッと押していただくと父も喜び、私も励みになります。
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