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拡散希望!【父がどれだけ忙殺されていたのか?】のはなし

<スーパー戦隊シリーズ 30作記念 主題歌コレクション>秘密戦隊ゴレンジャー<スーパー戦隊シリーズ 30作記念 主題歌コレクション>秘密戦隊ゴレンジャー
(2006/03/22)
堀江美都子 ささきいさお、ささきいさお 他

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こんにちは。
今朝の“スーパーヒーロータイム”朦朧としながら視聴しましたよ。
昨夜は、日中の激務から力尽きて、寝落ちしてしまいました。Twitterも見ずに。

『特命戦隊ゴーバスターズ』コミカルな部分も挟みながら軽快に物語は進んでいきます。最近、吉木りささんの出番がほとんど無いのが残念です。
『仮面ライダーフォーゼ』主役の弦ちゃんが、リーゼント改め?素顔に近いヘアスタイル。好感持てます。ひとりのファンとしての勝手な感想ですが、素顔に近いヘアスタイルだと他の生徒との差別化が無くなってしまう感があります。おそらくスタッフは、何かの狙いがあってそのようなスタイルをさせているのかなと思います。


父が東映を退いてから私は全く、『仮面ライダー』『スーパー戦隊』の番組を見てませんでした。『仮面ライダー』の冠がついた番組が再開したとき、父に「また、仮面ライダーが始まったね」と言葉を掛けた記憶がありますが、ほとんど反応がありませんでした。父の心中は判りませんが、私の勝手な想像ではありますが「また、子ども番組を撮りたい」という気持ちはあったのでしょう。しかし、東映さんの名刺が無くなれば、ただのお爺さんです。私は、父を全くサポートできない不甲斐なさを感じていました。

それから、父との会話で最近の「子ども向け番組」に関わる会話はなくなりました。
前のブログでも話題にしましたが、観ていない番組については表面上の話はできても、その中身の事や内情など知る由も無く、それについて語るなど恥ずかしい事はしていないつもりです。
また、全ての書籍について新刊時から読む事はありませんでした。現在、勉強中ではありますが、新しいものより父が関わってきた仕事の復習が先です。

さて、今日の話題は【父がどれだけ忙殺されていたのか?】のはなしです。

この話は、『日本(ジャパニーズ)ヒーローは世界を制す』著者:大下英治さん 
この本の200頁目から始まる、年表が役立つので参考にしました。
(この本については、事実誤認が多いのでお話しません。父もあまりの内容の酷さに抗議したといいます)

父のテレビ番組は『悪魔くん』から始まります。
父のメモにありましたが、同時進行が3本の番組があれば失職することはない。とあります。
準備中を含めると、『ジャイアント・ロボ』『キャプテンウルトラ』『仮面の忍者 赤影』がほとんど同時期。

『河童の三平 妖怪大作戦』『妖術武芸帳』『怪盗ラレロ』がほとんど同時期。
そこから暫く、『柔道一直線』の1本だけの期間が続きます。
やがて『仮面ライダー』が始まり、同時進行で『刑事くん』『好き!好き!!魔女先生』
これから、同時進行していく番組も多さにビックリさせられます。
『仮面ライダー』シリーズを筆頭に、『変身忍者 嵐』『人造人間キカイダーと01』『どっこい大作』
『超人バロム・1』『ロボット刑事』もありました。その番組が終わると同時に『イナズマンとイナズマンF』それに続いて『がんばれ!ロボコン』『コンドールマン』

そして、『秘密戦隊ゴレンジャー』が始まります。ゴレンジャーの始まりと『仮面ライダーストロンガー』が『仮面ライダーアマゾン』に続いてました。そして『アクマイザー3』それに続く『超神ビュビューン』
『秘密戦隊ゴレンジャー』は当然続いています。『ザ・カゲスター』『宇宙鉄人キョーダイン』『忍者キャプター』『怪傑ズバット』『ぐるぐるメダマン』『5年3組魔法組』と続く。

この頃から、番組放映時のスタッフから父の名前が消えます。
父からハッキリした理由は聞いていませんが、1979年に東映のテレビ企画営業第2部長兼プロデューサーに就任していますが、慣習では部長職につくとスタッフの名前がED時のクレジットから消えるという話を別の方から聞いた記憶があります。父は、部長という肩書きより現場に近いプロデューサー、強いては文芸面で活躍したい気持ちから、部長職を自ら降ります。母の溜息を忘れません。

父の著作の巻末を見ると、関わった番組を羅列していますがどの時期まで関わっていたのかは私は知りません。

制作側のプロデューサーに父と一緒に仕事をしていただいたプロデューサーがいます。
私は、阿部征司プロデューサーが、父が多くの番組を掛け持ちしていた事が原因で大変なご苦労を掛けたと伝え聞いています。

故内田友作さんが、『仮面ライダー』時代の話だったかと思いますが、予算のことやキャスティング、シナリオ依頼など本来、父がすべきことを「おそらく、これ以上の仕事を抱えたら大変なことになる」と案じて、「予算」「キャスティング」「シナリオ」を阿部征司さんにお願いする事で進んでいったものと思われます。『仮面ライダー』以外の番組でも、同じような仕事分担であったのでしょうか?定かなことは、私は知りませんが。

だからでしょうか、それぞれの番組で父以外の方が「私がメインプロデューサー」です。という記事を散見します。その根拠は、やはり父は文芸の部分に注力させていただいており、本来のプロデューサーの仕事は、一緒に仕事をしていただいた方のご苦労があったのでしょう。

父は、老いてから良く私にこの類の話をします。
「僕は、文芸の部分をチョチョイとさせてもらっただけで・・・」

父は、度々スタッフに厳しい言葉や叱咤したこともあると云います。
父がプロデューサーの立場であるからには、「お願いします」というスタンスじゃいけない。
「できない」「難しい」という場面でも、厳しい注文をつけなきゃならないんだ。と私に話してくれた事があります。

父、本人所有のデータによると
クレジットが出ない番組も含めてなんと64本の番組に関わる事ができたのも、父は、プロデューサーとしては大変幸せな時代にいたのかもしれません。1966年の『悪魔くん』を初め、現役を去る1990年までの24年間でしたが。

忙殺されていたのは、太秦時代も同様だったと母から聞きました。
何日も撮影所から帰らず、母が心配して騒ぎ出したところ実姉(先日、大往生した松村昌治さんの奥様)から、「そういう時は、着替えを揃えて風呂敷に包み撮影所へ行きなさい。そうしたら会えるでしょ?」と教えられたそうだ。


某氏からこの事実を教えていただいた。
父は長い期間、太秦で助監督をしていた。なんとその期間は9年にもなるという。この記録は破られていないのでは?と。
助監督から、監督への昇格は本来、もっと早い時期になれるものらしい。
その話を父に問うてみた。
「昇格の話もあったようだけど、あまり早く昇格するともっと酷い苦労をするように思っていた」
父らしい考えである。
仮に、早期に監督になっていたら・・・
『仮面ライダー』は誕生していなかったでしょう。

先日の父からの命令。
「カメラを買って来い」
理由を尋ねると、「介護施設に可愛い子がいて、宣伝材料(略して宣材というそうです)の写真を撮る!!」というのです。私は、父からの命令には背けません。ハイ。次回用意すると引き伸ばして2週間です。昨日、用意しました。その後の展開がどうなることやら。。。

今日の話題は、ここまで。
では、また。

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コメント

初めまして

 初めまして。
 平山さんのプロデュース作品で育ったと言っても過言ではない者です。
 自分の父と同い年ということもあってなんとなく親近感も持っていました。
 
 数年前にライダーのライブでお見かけしたことはありましたが声をかけることはできませんでした。
 
 今のライダーや戦隊には違和感をお持ちなのかなって文面から感じましたがまた何か作品を企画していただけたらと勝手に思っています。

 またコメント入れさせてください。
 

Re: タイトルなし

コメント、いつもいただき感謝しております。
父が、何故あれだけの番組に関われたのかという事については、ご推察の通りだと思います。
その事実を知ったのも、父の著書からで、父の口から聞くことができたのはごく最近の話です。
今考えると、「携帯電話」の無い時代で良かったと思います。私が子供の頃、スタッフが必死に父の行方を捜している電話があったことが何度もありました。何日も家に帰らないこともざらにあり、これが「普通のプロデューサー」だったと、当時は理解していました。父は、自分の体調より番組づくりを優先していましたね。

平山さんが子供番組(または30分枠のテレビシリーズ)の企画を立てられる数少ないプロデューサーであったことと、渡辺亮徳さんの正に懐刀(深夜に電話しても太陽が昇れば企画書を取引先に提出できるストックを抱えていたこと)が昭和40年以降の東映のテレビシリーズを支えていたのだと、数多くの文献から受け止めています。
実際に通った企画だけではなく、形にならなかったものや発展的に別の規格へと昇華されていたことなども考えると実制作部隊や撮影チームに深くかかわることは不可能で、実制作のプロデューサーをもう一人つけるというのがある時期までの東映のスタイルであったとも思います。
それゆえ、テレビ局などのパイプ役としての立場上、平山さんが良くも悪くも矢面に立たされる面があったという話を聞いたこともあります。
スカイライダーの初期、阿部さんが外れていたのはそれが原因の一つであったようですね。

バックヤードで様々なことがありながらも、東映が長らく途切れることなく作品を送り出し続けられたのは、渡邊さん平山さん、そして個別の作品の担当プロデューサーというある種のトロイカ体制がもたらした結果だと思っているのですが・・・
いいがでしょうか?

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【泣き虫プロデューサーの遺言状】講談社より好評発売中。
父、平山亨は、2013年7月31日23時24分心不全により他界いたしました。

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