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拡散希望!!【父が教えてくれたこと②】のはなし

Dr.スランプアラレちゃん全曲集Dr.スランプアラレちゃん全曲集
(2003/08/27)
TVサントラ、山田康雄 他

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こんにちは。
昨夜は、脚本家の辻真先先生のライブトークのイベントに参加させていただきました。驚異的な記憶力であり、ほぼ時系列で語られる内容は、驚きと発見が随所に見られて大変満足な内容でした。

最近、ライブトークのイベントに積極的に参加する日々が続いています。お時間が許されるならば、その場でしか聞くことが出来ない貴重な話が聞けるので、ぜひとも参加して欲しいと思う。


ここで、少しだけお小言を云わせてもらう。
昨夜のイベント終演後、参加者が懇親会に不参加の方はお帰りになるのだが、嫌なものを見てしまった。
その若者は、会場のテーブル上を跨がず土足こそ履いてはいなかったが、踏みつけて通っていた。
そのテーブル、いろんな人が飲食をすることもあるであろう所。間違っても乗るべき場所ではない。
本人は気にしていないのであろうが、他人は見ているし、そこで常識や人格も疑われてしまうのだ。
私が父の目の前でそんなことをしようものなら、きっと殴られる。いや、殴られて当然である。

老婆心で吐いてしまったが、最低限の常識が崩れつつある世の中を憂える。


今日の話題は【父が教えてくれたこと②】のはなしです。
以前、教えてくれた事を記事にした記憶があるので、今日は②ということです。

父の見舞い時に、一通り報告。

父の関係者の活躍を報告。
父は関係者の活躍を喜ぶのだ。「よかった、よかった。」って。
本当は、父自身が表舞台で活躍したい気持ちは十分にあるのだが、それが叶わない状況が悔しいに違いない。
しかし、活躍する人を羨ましいという感情は湧かないようだ。

某氏がどこかでコメントしていたのだが、父のプロデュース力についてである。
簡略に云うとこうだ。
「平山先生のプロデュース力は、それぞれの達人を活躍できる場をつくる事にある」
別の人に云わせれば、父は本来のプロデューサーとしての仕事をしていないと云う。
どちらも正解であると思う。
息子の目から説明したい。

父は、映画監督になりたいと思い東映に入社した。
しかし、監督になってもそれを続ける事が出来なくなった。理由は、太秦の人員削減の影響で異動となった。
父の仲間も、映画が作りたくて入社したにもかかわらず全く畑違いの関連会社へ転籍になったり、辞める人も出たという。父は思ったそうだ。
『仕事さえあれば、人員整理をすることはないはずだ』

昨日も、聞いた。
『僕は、その中でも恵まれていたんだ。だって、テレビだって映像を作ることには違いないのだから』
当時の映画人は太秦で映画が作れる事がステイタスだったようだ。その太秦を離れても、父は心が折れる事は無かった。東京に異動になって、父の快進撃は始まった。

父は云う。
『僕は、本当に人との縁に恵まれた』

その快進撃は決して、自分の手柄では無いと今でも云うのだ。
宮崎慎一氏に相談したところから『悪魔くん』は、テレビ放映にすることができた。

父が云う。
「頼りにする仲間、先生、それぞれの道の達人のおかげ」と真顔で話す。

父が目指していた、3本の番組同時進行。
それは紛れもなく、大事なスタッフや関係者が「仕事にあぶれる」ことが無いようにと考えていた。
父の資料によれば、64本の番組に関わってきた。(スタッフ名のクレジットがないもの含む)
東映の名刺を持つことができなくなる迄の期間を平均すると、確かに年あたり3本の番組をしていたことになる。

ここで実務上の問題が発生してきた。
資料によれば、最高同時進行が7本の番組を抱えていたことがあった。
プロデューサーの仕事とは、番組の舵取りという表現をしてきたが本来は予算管理からキャスティング、シナリオの手配など、とんでもない仕事量になる。父が考えていた同時進行だと、徹夜の毎日でもこなすことが出来ない。
そこで、制作側プロデューサー2人体制になったのだ。

父は、得意の文芸をメインに活動することが出来た。
だから、一緒にプロデューサーの仕事を手伝ってくれた仲間のおかげでもあるのだ。

そんな父であるが、時には父の思いを何とも思わない輩がいたのだ。
私は勝手に「恩を仇で返した件」と称しているのだが、某氏が解雇されようとした時、父は「家族もいるし、そこまですることは…』と庇ったそうだ。それまでの経緯を父が話してくれたが、私がビックリして「ほっとけば良かったじゃない?』と云えば、『そうかなあ?』と答える。

父が活躍した世界は確かに魑魅魍魎が跋扈していたのだ。


見舞いの中で、作曲家の渡辺宙明先生の言葉を伝えた。
『子ども番組を続けてきて正解だった』

父は、満面の笑みを浮かべて何度も何度も良かったと呟いた。

余談
父が何故あれだけの番組数を世に出すことができたのか?
局側プロデューサーが『一緒にこの仕事しませんか?』と声を掛けてくれたこと。
そして、営業畑からの異動で父の上司となった渡辺亮徳さんのブルドーザーと云われた手腕も忘れてはならない。
原作者や放送局の方の懐に入り込み、仕事を取ってくる。深夜2時に我が家に電話してきて「明朝までに企画書を仕上げて、持って行け』の命令に従えたのは、おそらく父だけだったのだろう。亮徳さんは、企画者出身ではないから、企画をつくる大変さは知らない。でも、亮徳さんも深夜に仕事をして取ったものだから『それに応えるべき』と、父は云う。
でも、そのオーダーの応えるだけの企画書案は、日頃書き溜めていたということ。
父が手振りを交えて云う。
企画書を差し出す真似をしながら、『これ、あります』ボツにされても心折れずに『何度でも出す』、そして、そのアピール。
テレビの世界は、今でも視聴率がものを云う。
『あの人と組めば、視聴率が取れる』
その様に思われるまでには、他人の何倍も仕事をして、実績が残せたのだから。

余談②
父が滞在場所で息子の私をこのように云っているという。
『息子、なかなか面白いヤツでしょ?』
いいえ、至って普通の息子です。

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今日の話題は、ここまで。
では、また。
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父、平山亨は、2013年7月31日23時24分心不全により他界いたしました。

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