2017-05

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拡散希望!!【知らないことが続々と】のはなし

特命戦隊ゴーバスターズ オリジナルサウンドトラック サウンドミッション 1特命戦隊ゴーバスターズ オリジナルサウンドトラック サウンドミッション 1
(2012/05/30)
V.A.

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こんにちは。
今朝のスーパーヒーロータイム、堪能させていただきました。
『特命戦隊ゴーバスターズ』は、新キャラクター登場での展開でこれからのストーリーが楽しくなる予感がします。
『仮面ライダーフォーゼ』は、いいですねえ。土砂降りの中で弦ちゃんと悪役との対峙するカット。トレードマークのリーゼントが雨で崩れ、違う表情が見えます。主役の弦ちゃんが写真集を発売したのですが、人気上昇中で増刷が決定したとか。彼のブログの内容はあっさりとして短いのだけど、彼とそのスタッフも一生懸命情報を伝えようとしている姿勢が見られます。気になるファンは、このブログ左側のリンク集から飛べます。是非、応援してあげてください。

今日の話題は【知らない事が続々と】のはなしです。

報告です。『悪魔くん』の資料が、不完全ながら返還されました。ありがたいことです。父の意向に沿って、返還されたのですからその経緯については不問とさせていただきました。
父が昨年入院を繰り返し、息子の私に「貸出した資料」を心配して云うのです。
「僕の目が黒いうちに、なんとか資料を返還してもらうように動いてくれ」

父に理由を聞くと
「僕が借主を全面的に信用して貸出した。当然、返還されるものと信じていた。でもな、連絡すらとれない人も多いのだよ。お前には、負担をかけるかもしれないが動いてみてくれ。このままだと、資料は執筆の資料や研究の為ではない使い方をされる。お前なら、判るはずだ。その資料はその人物の手元にある限り、オモテにだせないものになってしまう。こんな想像をしてはいけないのだが、相続する人がファンである確証はない。最悪のケースは廃棄される。それは、避けなければならないんだ」

父にとっては、我が子にような『番組』であり、その資料なのだ。

父を良く知る関係者からこんな話も聞いた。
有名な@@@らけなどには、連番のシナリオがオークションで出品されている。当然、@@@らけには、古物の法律に沿って取引の仲介をしているだけなのだが、そのシナリオ集の出所を確認する術がないのだ。全て自己申告。元々、盗品であっても出品者自身が盗品であることを知ることがなければスルーされるのだ。

また、Twitterで大事なフォロワーさんからこんな情報も。
ウルトラマンで有名な『実相寺監督も被害に遭われた。《資料の散逸を防ぐため》と云いながら、資料とともにその輩もドロンした』というもの。

未来永劫、全ての資料が完璧な形で残せるものなら素晴らしい事だけど、現実はそんなに甘くない。

借りたものは、どんな理由があろうとも貸主に返還しようよ。これが一般常識さ。

父は、自分で動くと騒ぎになる事を心配して、借主の誠実な部分を信用してお待ちしていました。
もう、父は83歳を越えました。「僕の目が黒いうちに」という気持ちを察してください。

それと、もっとビックリすることが。大・中・小の出版社でも!!
父は、著作権という認識が非常にゆるい時代から、素晴らしい記事にしてもらう為に好意的に資料を貸しておりました。息子の私が、出版社がどのような組織で、責任の所在が何処にあるのか知りません。いろいろな方が出入りしているということしか知りません。

その貸出した資料も、返還されません。
会社ですから、お辞めになることもあるでしょう。異動することもあるでしょう。
父が過去に返してくれませんか?という事を云ったというのだ。
「その資料が、行方不明」というのです。

もしかしたら、編集上、手元にあったほうが便利だと言う事で、担当者レベルで引き出しにしまっているという噂も聞きます。

残念でなりません。
関係者がこのブログお読みでしたら、父の貸した資料がまだ、会社や事務所内にあるなら返還してくださいね。

『仮面ライダー』は昨年、放映から40周年を迎えました。
今年は、『人造人間キカイダー』が40周年になります。
さらに、『ジャイアント・ロボ』は45周年になります。

善意あるファンも、大好きな番組を忘れ去られないようにしましょうと、一緒に動いてくれています。

息子が最近、でしゃばっている事を快く思っていない輩からTwitterで罵倒されることもあります。
父が車椅子生活で自由に行動できない上に、父が表立って動くと大騒ぎになるからの代理行為です。
私は、いくら罵倒されてもかまいませんが、父を揶揄する発言には黙っていませんよ?

行方不明のシナリオ(ほとんど連番もの)をお知らせします。
『仮面の忍者 赤影』
『ジャイアント・ロボ』
『秘密戦隊ゴレンジャー』
『人造人間キカイダー』等

『キカイダー』に関しては、個人名は敢えて伏せますが《女性ファン》です。
あれだけの分量のシナリオです。お手元にあります、または、あの人が持っているという情報をお寄せください。父は、返還されれば良しとしています。つまり、それまでの不義理については責任を問うことがないと言うことです。お願いです、返還してください。
繰り返し、申し上げます。
父は、83歳を越えました。「僕の目が黒いうちに」という気持ちを察してください。

今日の話題は、ここまで。
【知らない事が続々と】=番組の逸話でなくてごめんなさい。
では、また。

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拡散希望!!【嬉しいご報告】のはなしです。

愛と勇気と夢を持て!愛と勇気と夢を持て!
(2005/11/12)
藤岡 弘

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こんばんは。
父への見舞いに行ってまいりました。そこのスタッフさんの間でも、どうやら『仮面ライダー』のお爺さんとして話が行き渡り、しかも息子の拙い文章を掲載したブログ読者が、握手を求めてこられ恥ずかしいやら、嬉しいやらの一日でした。

今日の話題は【嬉しいご報告】のはなしです。

TwitterでもUpしましたが、父が劇場映画監督としてデビューした作品、『新・銭形平次捕物控』1963年公開(主演:里見浩太郎さん)の父が使っていた台本の現物が戻ってまいりました。
そして、1号ライダーで主演の藤岡弘、さんが大怪我をされた10話とその前の9話も、いっしょに。
借主は、息子の私も知る人でした。最近、父の貸与した資料の事で、ブログやTwitterでUPしたのを見て、気持ちよく、保存状態も良好な形でご返却いただきました。

最初に『新・銭形平次捕物控』の台本ですが、最初のページに父の悪筆での走り書きがありました。父の映画をどのように表現して、観客に伝えるのか?そして、映画に対する心構えでしょうか?
父曰く、
「そりゃあ、初作品だから緊張したし、いろんな思いもグルグルと頭を回ったよ」
49年ぶり?に会った戦友にような思いで、この台本のページをめくっていました。
もう、この台本は父の宝物であり代理人である息子が厳重な管理をして、散逸しないように努めたいとおもいます。

息子としては、オークションにでていたその映画のポスターも父に見せたかったと残念でなりません。

次に、『仮面ライダー』第9話と第10話の台本も。
先般、10話のラストシーンでの事故について故山田稔監督の残念でならない思いや、父の奮闘についてUPさせていただきました。気になる方は、過去の記事を探してみてください。

その台本の字が懐かしくてたまりません。
当時は、乗松印刷さんという所が撮影に間に合うように手分けしてガリ版を切ってくれていました(この表現で正しいですよね)。微妙に筆跡が変化するのですが、読み易い字です。

父は、『仮面ライダー』の台本を手にしながら、故内田有作さんの話題になります。
「僕は、まだ彼が亡くなってしまったと思えないんだよ」
「あの日本中の子ども達を魅了した『ライダーキック』は、彼が言い出したんだ」
この話題は、息子としては耳にたこが出来るほど聞いたことがあります。
でも、さえぎる事無く父にはお喋りしてもらいました。

「有作がな「バッタだろ?バッタなら、ピョーーンと飛んでキックすれば良いじゃない?」

父は、「『仮面ライダー』があれほど人気が出たもの有作のおかげだよ」

生田スタジオの名物となった仕出し弁当の手配も、友作がなんとか工面してくれたものだし、生田スタジオの隣の贔屓目にみても立派といえないプレハブの建物に泊まりこんで、翌朝からスタジオの便所掃除を自らしたり、誰かが拾ってきた犬をシロと名づけ、「俺の気持ちがわかるのは、シロだけだよ」と犬に話しかけたり。
父は「僕でも、スタジオの便所掃除はできなかったなあ」


たかが台本。されど台本。父の資料ひとつで、鮮やかな記憶が甦り、苦労や涙する話も笑い飛ばせるひと時が過ごせるのです。もしかしたら、未だ公開していない逸話も聞かせてくれるかもしれません。

父は、前にもいいました。
「僕が目の黒いうちに散逸した資料が、戻ってくると願っている。返却するタイミングが逃したと思えば、責めやしないさ。『本当に、長い期間お返しする事が出来なくて申し訳ありません』の一言でいいよ。僕にとって大事な宝物だし、話を聞きたがっているファンの宝物でもあるんだ」

実に、寛大な父である。
息子の私は、好戦的な所が短所だと自覚しつつ父と同じレベルには成れそうもないが、父の意向にそって回収する窓口となりたいと思っています。


散逸した資料の回収について、様々な方からご心配いただいており、申し訳ありません。
「悪意のある彼等は、自己の正当性を主張するためには相手を陥れることも平気でしますよ」という貴重なご意見も。

対峙したときに、隠しマイクなど当たり前。強い口調になれば、脅迫された等など、他の経験者からもアドバイスいただいたり。

簡単な問い掛けです
「貸与した資料は、貴殿の手元にありますか?あるなら、すみやかに返却願いたい」

これだけですよ。シンプルでしょ?

冒頭の本は、藤岡弘、さん繋がりということで。
だって、台本の写真は、NGでしょ?(と思うのよ)


今日の話題は、ここまで。
では、また。

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拡散希望!!【父である平山亨と過ごした贅沢な151分】のはなし

赤穂浪士 天の巻・地の巻 [DVD]赤穂浪士 天の巻・地の巻 [DVD]
(2003/12/05)
市川右太衛門、片岡千恵蔵 他

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こんにちは。
今朝は、6時に無理やり起きて都心部へ向かいました。時間帯が幸いしたのか、高速道路も順調に流れて目的地に早く到着。暫し、クルマの中でコーヒータイム。朝ドラも車内で視聴しました。昼には、秘密基地に戻りガサゴソと秘密工作をしております(笑

さて、今日の話題は【父である平山亨と過ごした贅沢な151分】のはなしです。

いつもより30分程度早く到着して、父の身の回りの世話をしてから、本題を父に話しました。
「松田定次先生の『赤穂浪士』を手に入れたけど観るかい?」
「おおー!!これは、凄い」
「でも、他のみなさんはテレビ観ているだろう?」
息子は、辺りを見回して「いや?誰も観ていないよ」
おもむろにDVDを用意して、介護スタッフに観れる様にお願いした。

いつもの東映さんのマークが時代を感じさせます。
この映画について、簡単に説明します。
1956年1月に公開されたオールスター総出演の映画。監督は、父の師匠である松田定次監督(2003年1月20日ご逝去、享年96歳)助監督は、父の義兄、松村昌治さん(享年92歳)そして、まだ映画人としては駆け出しの時代の父は、スタッフロールにも表示されない4th助監督?(父の記憶です)として参加。当時、脚色といわれていた脚本は、新藤兼人さん(現在も、監督として構想を熟慮中とか)制作は、マキノ光雄さん(1957年12月9日ご逝去、享年48歳)を始め、後の東映の社長となる岡田茂さん(2011年5月9日ご逝去、享年87歳)も名を連ねる。

このDVDのカバーの文言から引用
一うち二うち三流れ
今ぞ鳴り響く山麓流陣太鼓
四十七士勢揃い!

この貫禄、この偉容、この顔ぶれ!これが東映の忠臣蔵!!
巨額の制作費を投じ、約1年の歳月を費やして製作された東映創立五周年記念作品。大佛次郎の代表小説「赤穂浪士」をもとに、殿中松の廊下の刃傷から赤穂浪士四十七士討入りまでの厖大な物語を、赤穂側、吉良側それぞれの視点から描いた興趣溢れる一篇。日本最初の総天然色“忠臣蔵”である。
元禄十四年の春、播州赤穂五万三千石の当主浅野内匠頭は、幕府腐敗の卑しさに慣れた吉良上野介の仕打ちに怒りを爆発させ、江戸城中で刃傷に及んで即刻切腹、お家談断絶の処分を受けた。赤穂方の動勢を案ずる吉良方上杉家家老・千坂兵部は、浪人・堀田隼人と大泥棒・蜘蛛の陣十郎を隠密に送り、浅野家城代家老・大石内蔵助の動きを探る・・・。

立花左近に片岡千恵蔵、その名を騙り東へ下って敵討本懐を遂げる大石内蔵助に市川右太衛門が扮して好演。この両巨星に加え、吉良上野介に月形龍之介、浅野内匠頭に東千代之介、原作オリジナルの登場人物・堀田隼人に大友柳太郎、蜘蛛の陣十郎に進藤英太郎が扮する他、当代随一の時代劇スターが総出演。豪華演技陣により、数々の名セリフ・名シーンが甦る。巨匠・松田定次監督の手腕も冴える。“忠臣蔵”の決定版。(昭和31年1月公開 東映京都作品)


父は、26歳の時に、この作品のスタッフとして関わることができた。この事は、駆け出し同然だった父の立場からすれば、奇跡的なことだったようだ。父の太秦時代の話を聞けることは、まだまだ少ないのだが慢性的な助監督不足であった事も一因。しかし、その中でも東映さんの5周年記念の作品に関われたことは、父の映画人としての大事な財産となった。

父が座る車椅子に左側に並んで、画面を見ていた。
それと、同時にフロアに滞在するお年寄りが集まって一緒に観ることになった。年齢からすれば、ストライクな年代だから興味が沸いたのであろう。いつもは、落ち着かない人もおとなしく観ていた。

父が、この映画を独り言のように解説をしてくれた。
「この人が、大友柳太郎さん。」などなど、役名と芸名を判りやすく教えてくれる。

松田先生はね、セットの襖ひとつにしても拘りがあったんだよ。宮中のセットだから、安物の襖じゃいけない。
庭に花が咲いているだろ?松田先生は、「この時期に、この花が咲いていて良いものか、調べなさい」と松田先生が懇意にしていた京都大学の先生へ訪ねる事が父の役目のひとつだった。しかし、教授は「助監督ごときに」と冷たかったのだが、「東大卒」という事と、松田先生の使いであることが有利に働いたという。

現在、大河ドラマの『平清盛』の画面が某知事の発言で騒ぎになっているだろ?松田先生は、色合いは違うけども、この『赤穂浪士』の画面のような色合いが好きだったんだよ。

松の廊下のシーンでは、『凄いだろ?セットで、あの立派な廊下を作ってしまうんだ。奥行きが溜まらないね。役者二人の間に見える襖(?)が松の絵柄ひとつでも、史実に合っているか、場にそぐわないものではないかと、常々、松田先生は、調べさせて納得のいくものを撮っていたという。


この映画を作るにあたって、こんな逸話を教えてくれた。
製作であるマキノ光雄さんが、脚本に駄目だしをしたのだ。監督の松田定次先生も、「ええ、面白くない」と同意。この発言に脚色(脚本)の新藤兼人さんが激怒した。しかし、一部の書き直しを余儀なくされた。映画が公開された後、映画評論では新藤兼人さんの手腕は、大絶賛された。それからというものの、新藤兼人さんは、口を閉じたそうだ。

息子の私が、映画を観て感じた事は、両御大は存在感も十二分あり、セリフがなくとも目と表情だけの演技には素晴らしいの一言。また、各役者さんが火花を散らすような演技を観ていて心地よい。劇中で、四十七士が討ち入った殺陣も素晴らしい。
「オヤジ、これ凄いね?」
「殺陣の人達も、この映画に出演できるという事は凄い事なんだ。手抜きなんか出来ないさ。みんな一流な人達さ」


本当に、贅沢な151分であった。
父も、久しぶりに観たようで「トイレ休憩」を拒否して、親子で画面に噛り付くように観ていた。

父、平山亨は、「特撮ヒーロー」や「根性もの」のテレビプロデューサーとして、少しだけ有名になってしまったが、父の映画人(劇場映画もテレビ映画も一緒という意味)としての、源流は「時代劇」にあると確信した時間だった。

そして、父が師と仰ぐ『松田定次先生』は、父にとって永遠に師弟関係であり、尊敬する気持ちに揺らぎは微塵も感じられない。それこそが、師と仰ぐ事の最低条件であると息子の私は、声を大きくして云いたい。

今日の話題は、ここまで。
では、また。

余談
先程、父の関係者から嬉しいお話があった。詳細はここでは云う事はできないが、次回の見舞い時に伝えようと思う。父の嬉しそうな顔が見たいから。

Amazonから「MOVIE大戦MEGAMAX」が秘密基地に届きました。6月かな?一緒に見る事ができるのは。

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拡散希望!!【主役、事故後の父、平山亨プロデューサーの心裡】のはなし

仮面ライダーをつくった男たち 1971・2011 (KCデラックス)仮面ライダーをつくった男たち 1971・2011 (KCデラックス)
(2011/11/30)
村枝 賢一、小田 克己 他

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こんにちは。
私が、痩せない理由をある人が教えてくれました。「眠れないんでしょ」「ええ」「良質な睡眠が健康の基だし、良質な睡眠こそ痩せる秘訣だよ」と。わかっちゃいるんですけどね。毎日3時間連続しか眠れず、それからは、1時間間隔で目が覚める。こんな生活リズムですから、健康になれる訳がありません。

さて、今日の話題は【主役事故後の父、平山亨プロデューサーの心裡】のはなしです。

表記を心理としませんでした。
《心裡》としたのは、こんな意味があるからです。心裡とは、他人には容易にうかがい知れない心の内の事です。
最上部に表示した『仮面ライダーをつくった男たち1971-2011』漫画家 村枝賢一先生が描いてくれた内容にもあります。その当時の話を、先日息子に教えてくれました。

その話は、私が5月6日UPしたブログ記事の「制作側プロデューサーとして狼狽した姿を見せてはいけない」という一文が凝縮した内容なのです。

父がこのように云いました。
「あのときの会議は、ものすごく重苦しい雰囲気だった。僕が最初に心に決めたのは「狼狽した姿を晒さない事」。もう、頭の中が猛スピードでグルグルと回転していたんだ。まともな論議をしていたのでは、毎日放送さんの局側の頭脳明晰な彼らを論破する事はできないと考えていたんだ。だって、関西でも有名大学を優秀な成績で卒業した面々が揃っていたからね。僕は、このように作戦を考えたんだ。ひとつは、僕が口が裂けても「どうしたらいいんでしょう?」などと下駄を預けるような発言をしないこと。局側は、大人の集団だから必ず隠し玉を持っている。その隠し玉は、仮面ライダーという番組を放映を断念して、別の既存の番組等に掛けかえる事。その話をさせないことだ。2つめは、「子どもの夢を絶対に壊してはいけない」ということ。大人的な対応で主役が怪我の為、今回より@@@が主役を務めます」というテロップを流すというもの。これもいただけない。3つめ、主役が悪の組織に殺されてしまうストーリー。簡単に殺されるようなヒーローなどもってのほかだ。局側との話し合いは、1日で終わるはずも無かった。
一緒に東映生田スタジオで戦ってきた友作(故内田有作さん=生田スタジオ所長)も同席していたが、彼もショボンとして俯いていたんだ。僕は本当に必死だった。この番組をこんなアクシデントで終わらせてはいけないと思った。必死なのは、ヒーローというものに憧れている日本中の子ども達のため。そして、藤岡弘、くんが頑張ってくれる場を失くしてはいけない。『仮面ライダー』のスタッフは、それこそ映画の世界からあぶれたりした荒くれ者の集団だったのだけど彼らを失業させてはいけない。最後に、制作側のプロデューサーとして、負けず嫌いなことにつきるね」

そして、驚きの事実をひとつ教えてくれた。
「後年知った事だけど、毎日放送さん側にもね「この番組は続けるべきだ」と思ってくれた人がたった1人いてくれたんだ。名前は申し訳ないが忘れちゃったんだけどね。やはり、放送局も会社だからたった1人の意見は通らなかったそうだ。」

父は、細かい会議の意見の応酬までは語らなかったが「制作側のプロデューサーとして必死な説得を続けた」ことは、息子の私にもヒシヒシと伝わってきた。

本当に、その局面は「多勢に無勢」であった。
それでも、父は自分のスタンスを変える事無く「日本中の子ども達の夢を壊すことは避けられた」結果が
2号ライダーの登場に繋がる。

父が東映に入社した頃は「あの山さん」と云われていた。喋りが下手だったのだ。アナウンサーのように脈絡もしっかりした喋りという部分では、未だに無茶苦茶な喋りなのだが。
そんな父が、多勢に無勢の状況下で、父の思うように事を収められたのは脱帽する限りである。

仮定の話を考えてみた。
父が「狼狽した姿を晒し」下駄を預けていたらどうなっていたか?
今日まで続く『子ども達の憧れである等身大ヒーロー』は、生まれていなかったであろうと思う。
強いては、日本における文化の一部分を担う『特撮ヒーロー』という分野もここまで成長しなかったのではないかと、父を贔屓目にした部分も差し引いても認めてもいいのではないかと思うのでした。

今日の話題はここまで。
では、また。

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拡散希望!!【父、平山亨プロデューサーと役者さんとの関係】のはなし

悪魔くん Vol.1 [DVD]悪魔くん Vol.1 [DVD]
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特撮(映像)、金子光伸 他

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こんにちは。
3日間も記事更新をお休みして、申し訳ない。今日から、活動を再開します。何故か体重が3kg痩せました。まあ、デブちんのおっさんですから喜ばしいことですが。

今日の話題は【父、平山亨プロデューサーと役者さんとの関係】のはなしです。
この話を、父の口から聴いたのは初めてでした。
父が、『子どもを舐めるな』とスタッフに云い続けていました。その話は、何度か父自身も座談会等でお喋りしていますので記憶にあるファンも多いかと思います。

番組づくりにどの役者さんにお願いするかは、合議制だったようです。すべてのキャスティングを、父が勝手に決める事は無いのですが、ひとつだけ父のポリシーがありました。それは、キャスティングを相談するスタッフの共通認識だったようです。その話を、先日の見舞い時に息子の私に教えてくれました。

父はこのように教えてくれました。
「当時は、子供向け番組をジャリ番として、関係者が馬鹿にする風潮があったんだよ。もし、ジャリ番として馬鹿にする役者さんが演技をしたら、どこかに手抜きの演技がでるんだよ。本人は、そんなことは無いと云うのだけどね。僕は、そんな役者さんを残念だけど、どんどん排除していったんだよ。(父は手で払いのけるような仕草をした)理由は、云わなかったけどね。子どもの目は、凄いよ。見抜く力があるから、大変だった。」

父が使い続けた俳優さんに、故潮健児さんがいます。
故潮健児さんの経歴を知っている方は、多いかと思いますが、昭和映画史に残る石井輝男監督の任侠もの、今井正監督の作品には欠かせない俳優さんなのでした。
その彼をして父にこう云ったといいます。
「えっ?そのような役をやらせていただけるのですか?」

故潮健児さんは、手抜きする事などなく、活き活きと「悪魔くん」でのメフィスト役を演じたのです。
その演技を、父が大変評価して後の「河童の三平 妖怪大作戦」のいたち男役、「仮面ライダー」の大幹部 地獄大使役をお願いしたのです。

父の「子ども向け番組」に注ぐ愛情とこだわりを、感じた話でした。


余談ですが、とんねるずが番組で「仮面ノリダー」を放送している頃は、笑って見ていたそうです。
しかし、父自身が過去の番組(仮面ライダーなど)を「パロディー化」する考えは、まったく無かったそうです。

今日の話題はここまで。
では、また。

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拡散希望!!【父、平山亨にとって仕事とは】のはなし

キャラクター大全 仮面ライダー大全 昭和編 AD1971-1994キャラクター大全 仮面ライダー大全 昭和編 AD1971-1994
(2011/07/26)
講談社

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こんばんは。
今日は、秘密基地周辺も雨模様です。気温もさほど上がらず肌寒く感じます。
今日は、1日特撮三昧!というNHK-FM(高松放送局)があり、楽しく聴取させていただいております。「これぞ、特撮ヒーローの主題歌だ!」と思わせるものや、副題歌等がラジオから流れて、気持ちを元気にしてくれます。NHKだからできるFM番組なのかな?とも思っています。

さて、今日の話題は【父、平山亨にとって仕事とは?】のはなしです。

先日の見舞い時に、息子の私は真面目な顔で父に「オヤジにとって仕事とは?」と質問した。

父は、申し訳なさそうにこう云った。
「僕がね、仕事、仕事って云うと、かあさんが(妻)怒るんだよ。」
「あなたは、仕事ばかりして家族、家のこと何もしない」って。
「俺はそうは思わないけどね」

「僕は、他人にどうしても負けたく無かったんだ」
「オヤジは、とてつもない負けず嫌いだしね」
「他人と言うのは、同じ会社であっても、他社であっても同じだね」

「仕事が無くなるという恐怖は?」
「それもあったな」
「干されたプロデューサーほど、惨めなものはないからな」

「“テレビプロデューサーというのは、敗者復活戦なんて無い”と、思ってるんだ」
「番組を放映できる枠なんて、そうそう増やせるものでもない。」
「だから、その枠をヒットし続ける必要があったんだよ」
「オヤジ、1週間に5本くらい放映できた時期あったしな」
「・・・」


父は、1つの大ヒットした番組で満足してしまう男では無かった。
いつも、ネタになるものを自分の引き出しに入れる。
そして、この企画を番組として放映させるんだと強い意思で書き溜めていた。

実家にあった古いアルバムを見ていて、父が良い笑顔で写真に映っている。
いつもは、父がカメラマン役だから家族の写真が多いのだけれど。

父は、決して「家」や「家族」を、まったく眼中に無く、仕事していた訳ではないのだった。
母は、どちらかと言うと「箱入り娘」的な育ち方をしてきたような感じがしていた。
9-17時の仕事が普通。残業をすればそれだけ残業代が加算されるのが、あたりまえ。
そんな幻想を抱いていたのかもしれない。だから、父の「仕事」という言葉を捕まえて
喧嘩にならない喧嘩をしていた。

まだ、藤沢市辻堂の公団住まいだったころ、父に反抗した兄に、激怒した父が玄関まで追い詰めて言った。
「俺が、朝から晩まで仕事して稼いでくることが家族への愛情なんだ」と鬼の形相で兄を叱った。
怖くて物陰から見ていた私は「スゲエ」と思った。

その話を父に話したら、「そんなことあったか?」と、惚けているが真意はわからない。

父は、私に「お前は、忙しいのに“家族旅行”にも連れて行き、偉いよな」とポツリと言ったことがある。
別に偉いわけでも無いのだが、旅行に行く動機は2回とも親孝行の為だった。

2回とも両親を誘ったのだったが、1回目は、母だけが参加。
年越しを箱根の温泉旅館に招待したのだ。女風呂で3代そろっての入浴。これは、母が気に入ってくれた。

2回目は、父だけが参加。父が脳内出血の入院から数年後の事。
東京ディズニーランドオフィシャルホテルへの招待。
父に実家へ迎えに行くというと断り、不自由な足を引きずりながらホテルのロビーへとやってきた。
孫娘との時間が楽しいようだった。娘も、父(平山亨)の話が楽しいようでくっついて話を聴いていた。

最近は、残念ながら自分の家族すら招待できずにいる。

私は、父を反面教師にするつもりで家族や親を旅行に招待したのでは無いが、実家の場所がさほどの距離でも無いが故に、「いつでも会える」「いつでも一緒に旅行くらい行ける」と思ってしまったのだ。

時々、親孝行について考えるような歳になってしまい、反省している自分がいる。

私が、家族を持って、そして子どもを養う身になって気が付いた事。
実家から出て、一人暮らししたなら度々、声を聞かせてあげよう。音沙汰無いことが、元気な証拠なんて嘘。親は、いつでも子どもの心配をしている。子どもがいくつになってもだ。
出来る事なら、「あなたの子どもは元気にしています」と笑顔を見せてあげよう。土産なんて気にする事ないさ。音沙汰無いことが元気な証拠と、息子が考えがちな事。余程の事が無い限り、実家に寄りつかないなんて事も。まさに、私がこれに当たる。

父が緊急入院した昨年春から、兄弟が急接近して、携帯電話が大嫌いな兄に電話を持たせて連絡を取り合っている。お互いに、助け合いながら凌がなければならない事が、理解できているからだ。

兄は、長男であるがために大変厳しく育てられた。鉄拳での教育もあたりまえ。それがトラウマになって父を遠ざけていたが、嫌いな父であってもやはり兄なりに行動してくれる。お互い2人同時は無理と判断。今のところ連係プレーは上手くいっている。心配は、今後の金銭問題だけだ。もし、2人とも介護施設入所となったら、今でさえ残高が減るスピードが早い。息子2人の支援などたかがしれているのだ。
これが、目下の悩みの種。

今日の話はここまで。
また、取り留めの無い内容になりました。
では、また。

追記
冒頭の本の表紙、父と私が大好きなものです。
父と「格好良いよなあ!!」と喜んでいます。

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拡散希望!!【父、平山亨とのひととき】のはなし

赤穂浪士 天の巻・地の巻 [DVD]赤穂浪士 天の巻・地の巻 [DVD]
(2007/12/07)
市川右太衛門、月形龍之介 他

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こんにちは。
今朝は、《ハリケンレッド》こと塩谷瞬さんの話題でTVが盛り上がってましたね。これ、《ハリケンレッド》放送時でなかった事は、不幸中の幸いというか(また、ファンのみなさんに怒られますね)、まさに“瞬”な話題を提供してしまったようです。私は、大手プロダクションから個人事務所に移籍?した事実は、知りませんでした。所属する売れっ子ならば、通常所属プロダクションが必死になって「ネタ」を潰しにかかるのですが、それは叶わなかったようです。と、いうか、ここまで騒ぎになるとは関係者は思っていなかったのでしょうか?誰かが、笑い話で、上映中の映画「スーパーヒーロー大戦」の《ハリケンレッド》にモザイクがかかるのかしら?とTweetしていました。モザイクかけなくても、見つけるのは至難の技ですから。

さて、今日の話題は【父、平山亨とのひととき】のはなしです。

恒例の火曜日に見舞いに行ってきました。
父が車椅子から立ち上がっていました。その場面は、介護担当も目視していません。
すぐに、私は駆け寄り父に「駄目じゃん、転んだらどうすんの?」
父は「おう!大丈夫、大丈夫」と笑っています。
父は、昔から鞄いっぱいにモノを持ち歩く癖があり、今でも車椅子のポケットや座席の隙間に、新聞や本などが入っています。転ばなければ良いのですが、もう83歳のお爺ちゃんですので心配でなりません。

やっと落ち着き、義兄の松村昌治さんが亡くなったことを伝えました。
「92歳。大往生だったよ。松村の伯父さんらしく、息子達に“この日に死ぬから”と宣告して、見事にその日に亡くなったよ。苦しいとか、痛いとかの状態でなかったというから」と、父に正直に伝えました。

父は、残念そうな表情をしながら話始めました。
「松村の兄さんはね、『赤穂浪士』という凄い映画を監督:故松田定次先生のファースト助監督として活躍したんだ」
私は、すぐにipadでググってみた。
確かに凄いスタッフで固められ、俳優陣もこれまた凄い人がでている。
その画面を父に見せながら聞いた。
「オヤジは、その映画のスタッフに?」
「僕は、4thまたは5thの助監督で参加させてもらったんだ。本当に駆け出しの頃だけど、凄い体験をさせてもらった」

スタッフを見ると、
原作 大仏次郎 先生
監督 松田定次 先生
脚色 新藤兼人 さん ※当時、脚本とは言わず、脚色といっていました。
企画 マキノ光雄さん等 ※後の社長 岡田茂さんのお名前もありました
そして
助監督 松村昌治 さん

松村の伯父さんは、故松田定次監督から、「まっちゃん」とニックネームで呼ばれるほど懇意にしていただいていたたと言います。
父は、当時駆け出しの助監督でしたから、この時は、監督:松田定次先生からニックネームどころか名前すら呼んでくれないと立場だったと云います。

そこで、企画者;マキノ光雄さんと、助監督:松村昌治さんと 脚色:新藤兼人さん、そして監督:松田定次先生との間で、脚本について喧々諤々と話し合いを超えたものがあったと言います。内容は、ここでは控えます。あの時代に多くつくられた時代劇映画のひとつでしたが、『仕事として』熱い男たちの戦いがあったのだと知りました。

あの時代の監督に多くあったことなのですが、ひとつの映画がクランクアップすると監督宅にスタッフや関係者を招き、それは盛大な宴会が行われていた云います。たしかに、松村の伯父さん宅は広かった。

私が小学生の頃でした。父が運転するクルマに家族全員が乗り深夜に藤沢市辻堂の公団を出発して明け方に、京都市の龍安寺近くの松村の伯父さん宅に着いたことがありました。大きな柿の木がある家でした。
深夜に出発した理由は、例によって父の帰りが何時になるか分からないからでした。無事出発できたから、良かったのですが、こんな事もありました。

珍しく伊豆大島へ家族旅行へ行こうという計画がありました。当然、船旅になるのですが、父は仕事が押して帰宅できませんでした。母は、子どもが不憫な思いをするのはかわいそうと、出航に間に合うように父を除いた3人で旅行したことがあります。

話は変わり、父の口から『アキバレンジャー』という言葉が出てビックリした息子でしたが、良く聞いてみるとどのようなストーリーなのかは知りませんでした。機会があれば、この作品のDVDでもいずれ入手して見せたいと思っています。パイロット監督されている田崎竜太さんのことは、残念ながら知りませんでした。

現在上映中の映画「スーパーヒーロー大戦」の話題になりました。
息子の私が、巷では評価が厳しい意見もある事を伝えました。

父は、あれだけの登場するキャラと人物を出す映画が、如何に難しいものか知っています。
父に聞きました。
往年の東映マンガ祭りの『仮面ライダー』の映画って、どのくらいの尺?
「たしか、30分くらいだったよな」
それから、延々と当時の『仮面ライダー』映画の話になります。
父は、スタッフに、“こんなストーリー”の映画にしたいと伝えると、各スタッフは動きはじめます。

父は息子に、こう云いました。
「僕はこどもだから」
この言葉の「ハッ」と気づかされました。

父は自ら「子ども」と称し、「子どもを舐めるな」と檄を飛ばし、「子どもが狂喜乱舞するテレビ」をつくったのだなと。
父は、劇場版『仮面ライダー』の中で、1番のお気に入りは「地獄谷」のモノです。死神博士が、1号2号を騙して地獄谷に誘い出し、崖上にこれでもかッという多数の怪人を名乗りをさせて登場させるシーン。
もう、父から耳にたこが出来るほど聞きました。
父は、劇場で子ども達が狂喜乱舞している様子を、本当に嬉しそうに話します。
息子である私は、何度でも聞きますよ。父が嬉しそうに話す姿が、私も嬉しくなりますから。


息子は父に真面目な顔をして、この質問をしてみた。

「オヤジにとって、“仕事とは”?」

この質問に、真面目に答えてくれました。
その話は、次の機会に。

今日の話題は、ここまで。
では、また。

ブログランキング、父から叱咤されました。
1位だけど、この数字じゃなあ?
手厳しい父です。ご支援くださいませ。

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拡散希望!!【演じるということ】のはなし

こんばんは。
今日は、予報通り雨が降りましたね。ちょうど、父の滞在先に、父が欲する書籍の山を抱えて入館する時が酷い降りでした。父にあの悲しいニュースを伝える事が、息子の気持ちを重くしていました。

さて、今日の話題は【演じるということ】のはなしです。
いつもなら火曜日の更新をお休みして、翌日に父との会話を思い出しながら記事を纏める。というパターンが多いのですが、この話は是非とも今日中にお伝えするべきと、某ファミレスで入力しています。

いつもの定位置に父は車椅子に座っていました。多数の老人の中にいても、すぐに見つけられます。父のうしろ姿。
父の左側に椅子を自ら用意して座ります。左側から声を掛けないと、父は辛いのです。
息子は座ってひとつ深呼吸して父に伝えました。
「仮面ライダーストロンガーの…」と言い終えるまでに、父から「荒木君のことだろ?」と息子に聴き返します。
父は、新聞などのニュースで既に知っていました。

父は、寂しそうに「僕より全然若いのに…」と、荒木さんの事を教えてくれました。
「仮面ライダーストロンガー」の主役で、荒木君を引っ張ってきてくれたのは、「阿部ちゃん」(一緒に仮面ライダーのプロデューサーをしてくれた阿部征司さんのことです)なんだよ。この話は、息子は初耳でした。
荒木さんの訃報を聞いた、藤岡弘、さん、速水亮さん、高杉俊介さんが「哀悼の意」を表してくれていたことを伝えると、父は、「仮面ライダーで繋がった縁で互いを想いあってくれるなんて、嬉しいね」と涙を溜めながら話してくれました。ある人から教えてくれました。【伝説のイベント】で俳優さんが集まると「演じるということ」の会話がはじまったことを。

父は、試写会で見た映画「スーパーヒーロー大戦」でのJAE(ジャパンアクションエージェンシー)のスーツアクターの演技を観て「見直したよ!」というのです。
この話には、伏線があります。
1975年から放映が始まった「秘密戦隊ゴレンジャー」にありました。
当初、アクションや殺陣は、大野剣友会が担当していました。途中から、当時のJAC(現JAE)に変わったのです。変わったのは、父の意向では決してありません。いつかこの顛末のお話ができる日がくるのかなと思っています。
大野剣友会の故高橋一俊さんが「名乗り」「見栄切り」「間」をつけてくれましたが、スーツアクターが変わるとそれができないのでした。父、自ら教えても様にならない。そこで、「演ずるということ」の話題になったのでした。

父曰く、「仮面ものの俳優になりたいという人が多く応募してきて…」という話を、仲間から聞いたそうだ。
「顔が見えない演技というものを判っているのかな?」と危惧していました。
「格好いい構えは、出来たとしても被り物した状態で、喜怒哀楽を視聴者がわかるように演技をしなければならないのだよ」「俗に云う、背中で演技ができるようにならないと」
息子は聞きました。
「そのような演技ができるようになるにはどうしたらいいのかな?」
父は
「劇団で勉強するとか、人からどう見えるのか?厳しい訓練や評価をしてもらうことが大事なんだと思うよ」

話の中で「弦ちゃん」演じる俳優 福士蒼汰くんは、ちょっと他とは違うね。と好評価でした。

演じるということで、名脇役の故潮健児さんの話題になりました。
父が「悪魔くん」でメフィスト役で潮さんに出演していただいてから、ちょい役も含めて多数出演していただきました。父が潮さんの演技を認めていたのは、主役を喰う事をせず、且つ、監督やプロデューサーが欲する以上の演技をしてくれたこと。アドリブもたくさんしてくれたそうです。それでも脱線せず安心して任せることが出来たと言います。

有名な「地獄大使」の役でも被り物をしても、表情豊かに顔だけで充分な演技力を発揮してくれて、父としては本当に頼もしい存在でした。アドリブは?との父への問いも「ふふふ」と笑いながら「どうだったかな」と煙に巻いてましたが、監督も父も面白いからOKを出していたようです。

父とこうして会話が始まると、歯止めが効きません。
父から「おまえ、なかなか勉強してるな」と言われると、「あの【伝説のイベント】からだよ。あんなに凄い仲間に囲まれてオヤジが仕事してきたと思えば、父の存在が忘却されないようにするのが息子の責務だろ?」
ドヤ顔で言い放ち、親子で大笑いしました。

今日の話題はここまで。
では、また。

ブログランキング、父も気にしております。
ご支援お願い申し上げます。

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拡散希望!!【仮面ライダーと主役俳優の関係性】のはなし

こんにちは。
昨日は、つたないこのブログ記事をお読みくださいまして、改めて感謝申し上げます。
アクセス解析を見まして、芸能関係でもないただの個人ブログに、こんなにも反響(1日で延閲覧数が約1000名)がある事にビックリすると共に、みなさまの『仮面ライダー』への愛情が感じられました。そして、これからも真摯にノンフィクションの記事を掲載してまいります。


さて、今日の話題は【仮面ライダーと主役俳優との関係性】と題して、お話します。
この話題は、大事なフォロワーさんからの素朴な疑問が発端でした。

仮面ライダーと主役俳優さんとのいわゆる2ショットの写真は有りませんよね?というモノでした。
最初に、息子が個人的にお答えしたのは
「当初、旧1号ライダーは、中の人も藤岡弘、さんがアクションをされていたので、当然並んで撮られた写真は無いですね」というものでした。これは、ファンの方もご存知だと思いますが、あの衝撃のバイク事故(第10話の最後を撮影中に発生)から、現代風に言えば≪スーツアクター≫さんは、大野剣友会の方がするように代えざるを得ませんでした。

父にその事を聴きました。
「そうだな。おまえの言うとおり、当初は、藤岡くんが中の人もやっていたから並んだ写真は無いはずだ」
「僕はね、子ども達の夢を壊しちゃいけないと思うんだ。だから、その後も、スタッフに「仮面ライダーのキャラと主役俳優を並べる2ショットは、駄目だよ」と言ったのは覚えているよ。それが、明文化された決まりが有ったかどうかは忘れたけど。」

父は、「ジャリ番」だからと言って手抜きはしてはいけない、子どもは正直だから、期待を裏切る事をすれば番組から離れてしまうと考えていたのでした。そして、何よりも子ども達が大好きで「ワーワー」言いながらハシャギ、座席で飛び跳ねる姿が好きだったのです。子ども達を嬉しい気持ちにさせる事がね。

昨日の記事のように大人の真剣勝負の現場。
スタッフに厳しい言葉を投げかけるのも、「出来上がった映像、音響が全てであり、子ども達の目からどのように写るのか?」「子ども達が見たいとする画面はどんなものか?」ずっとずっと考えてました。

息子の私は、『仮面ライダー』にかかわる俳優さん、監督さん、脚本家さん等の書籍を何度も読み返しています。白倉プロデューサーの著書も例外ではありません。

『仮面ライダー』ファンのみなさんも、お金と時間と意欲があるならば、是非、一通り購読していただきたいと思うのです。関係者が『仮面ライダー』とは、子ども達にとってどうあるべきか、その気持ち、スタッフは腕の見せどころや、人間模様など知って欲しい部分がたくさんあるのです。

お読みいただければ、プロデューサーの父がどのように考え、その意を俳優さんみなさんが理解して演技に望み、父をも、うならせる映像や音響も含めて出来上がった事が、ファンのみなさんも、「そうだったのか!」とさらに『仮面ライダー』が好きになってくれると思うのです。そうすれば、今日の記事のような質問も、自己解決できると考えています。

父は出演していただいた俳優さん、女優さんには、大変厳しい目を向けていました。
父が企画した別番組でしたが、大変俳優として力量もあり演技力もある某俳優さんが、脇役で出演していました。
「彼は、何度言っても主役を喰う演技をしたからな」と以後、父が企画するどの番組にも出演することは無くなりました。父は、仕事に厳しい男です。珍しく、家でテレビを観ていても「このヘタクソ」とブツブツ言いながら画面をみると、また別の某俳優さんです。父の背中を見て育った息子は、そんな一面も見ているのです。


先日、お会いした【大野剣友会代表 岡田勝さん】に、叱咤激励?されました。
「もっと、お父さんの近くに居てやりなさいよ!」
ごもっともです。
何かの縁で、秘密基地を海の向う岸に構えることになり、毎週、父の見舞いにせっせと通っております。
往復約200Km、約5時間越える小旅行です。でも、苦になりません。平山亨の「せがれ」ですから。

少し前、Twitterで親孝行の話を大事なフォロワーさんにした事があります。
親にとって、遠くにいても自分の子どもが元気でいてくれる事が一番。お金が大変で中々帰郷できない人もいるでしょう。プレゼントひとつできないって言うけど、電話ひとつでも「元気にしてる?」って連絡してごらん。音信不通は元気で忙しい証拠なんて、息子の私は嘘だと反省しています。まずは、「声」を聴かせてあげること。手ぶらでもいいから、元気な姿を見せること。このブログを読んでくださる方に、心当たりがあるなら、今からでも遅くはありません。「元気にしてますか?」って連絡してくださいね。

父は、息子と約束しました。「ひ孫の顔を見るまでは頑張る」(一説には120歳まで頑張るそうですwww)
息子は父からの願いを叶えなければなりません。「お前に看取って欲しい」
体調は、一時期より安定もしていますが、なんたって83歳のお爺さんです。
出来る限りのことは、父の為にしたいと考えています。

今日は、ここまで。
では、また。

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特撮部門1位、サブカル部門2位(3月29日正午時点)

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拡散希望!【仮面ライダー旧1号のスタッフ職人魂】のはなし

こんばんは。
今朝5時起きが、6時半起床になり海の向こう岸から、おっさん暴走族と化した息子の私は約束時間前に余裕で到着したのだった。さすがに睡眠3時間半は無茶だったか・・・

さて、今日の話題は【仮面ライダー旧1号のスタッフ職人魂】のはなしです。
この話は、昨日、父から聴きました。

東映生田スタジオにに集まった猛者とも言えるスタッフは、大映からあぶれた者も少なからずいたことは、有名な話です。そのスタッフ達とプロデューサーの父との話です。

父はこの番組を成功させたいと気合を入れ、スタッフの引き締めをしていた。
父は、カメラマンとライトマンに「ジャリ番と思ってバカにすんなよ。写ってりゃいいなんて、仕事したら承知しないぞ」と厳しい言葉を投げかけたのだった。

これには、複線がある。当時、「子ども向け番組」というのは通称「ジャリ番」といって、大人向け番組より格下に見られていた事実がある。大映からあぶれた猛者は、大人向け番組を撮っていた者ばかりだったのだ。父は、「ジャリ番」だって大事な番組だし、世間をアッと言わせる番組にしたいと常々考えていた。
だからこそ、スタッフに向けて挑発的な且つ、厳しい言葉を投げかけたのだった。
その翌日だったらしいが、進行から連絡があって「スタッフが怒って、ロケに集まらないかもしれません」と悲痛な声を出していた。父は、ここで頭を下げる訳にもいかない。状況を静観していたのだった。
後年別のスタッフから父が耳にしたのは、父から厳しい言葉を投げられたスタッフは、このように言っていたそうだ。
「俺達を誰だと思っているんだ。映画の世界で、芸術の香り高さを誇って来た我々に、お前は東映かプロデューサーか知らないが、舐めるのもいい加減しろ。お前が我々の腕を見直す画面をつくって、それから皆で袋叩きにしてやる」と大変な険悪そのものだったそうだ。
それから心配をよそに、スタッフは集結してロケに行った。

出来上がった映像を父は観て、素晴らしいライティングとカメラワークとアングル。プロデューサーとして要求する以上の出来栄えだったのだ。

それを、息子の私に伝えようと身振り手振りで教えてくれたのだった。

もし、お手元に第1話と第2話の映像があったならば、是非、確認と再評価の為にも視聴していただきたい。

第1話1971年4月3日放映 「怪奇蜘蛛男」 脚本 伊上勝さん 監督 竹本弘一さん
『仮面ライダー』のシナリオの冒頭にはこのように記されている。
思うがままに改造人間をあやつり、世界の平和を乱し、手中に収めようとするショッカー一味。
その行く手を阻止せんとし、敢然と立ち上がる我らが仮面ライダーの必死の攻防。
この映画は単なるアクションドラマでなく、スピード感あふれるアクション怪奇さをプラスした“痛快怪奇アクションドラマ”である。

竹本監督の演出の特徴は、徹底的にフィルムを回し、多くの素材を独特のタイミングで編集するところにある。それが、バイクアクションのみならず『仮面ライダー』という作品にスピード感を表現したのであった。

第2話 1971年4月10日放映 「恐怖蝙蝠男」 脚本 伊上勝さん 監督 折田至さん

撮影現場は、有名なお化けマンション。全体の建物を写したシーンは無かった?と思うのだが、「蝙蝠男」の怪奇さを表現するのにハンディライトで撮影したというが、それが返って味のある映像に仕上がったのだ。

第1話の視聴率は、関東では前宣伝の不足もあり8.1%(この数字は父はハッキリ覚えていました)で少なからず父はショックだったのだが、関西の視聴率が20%を超えたことが、後日判明して下手なテコ入れをせずに済んだエピソードもある。

第2話の関東での視聴率は11%越えて、「怪奇性が強すぎる」と批判を受けたが、それが大ヒットとなる、お化け番組として成長していくのである。



父は、3月19日で83歳になりました。記憶が抜けていく事を恐れているのか、いままで未公開だったエピソード(善悪含めて)を息子に伝えようとしてくれています。火曜日の見舞い時には、【ドクトル・Gの謎】から始まり、ずっと親子で会話をしていました。

残らず伝えようとする父。
それを必死で受け止めようとする息子。

特撮ヒーローの歴史を語る上で重要な役割であることに、親子は楽しい会話に
「たのんだぞ!!」
「息子がキッチリと受け止めきってやるぞ!!」
との“気持ちのキャッチボール”をしているのが実情です。

まだまだ、お伝えすることがありますが本日はここまで。
では、また。

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